馬場賢治

日本のサッカー選手

馬場 賢治(ばば けんじ、1985年7月7日 - )は、神奈川県平塚市出身のサッカー指導者、元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダーフォワード

馬場 賢治
名前
愛称漢(おとこ)・馬場賢治[1]、バケン
カタカナババ ケンジ
ラテン文字BABA Kenji
基本情報
国籍日本の旗 日本
生年月日 (1985-07-07) 1985年7月7日(38歳)
出身地神奈川県平塚市
身長177cm
体重70kg
選手情報
ポジションMF / FW
利き足右足
ユース
1993-1997ベルマーレ平塚ジュニア
1998-1999ベルマーレ平塚ジュニアユース
2000金旭中学校
2001-2003桐光学園高校
2004-2007近畿大学
クラブ1
クラブ出場(得点)
2008-2011ヴィッセル神戸 30 (1)
2010湘南ベルマーレ(loan) 16 (1)
2012-2014湘南ベルマーレ 35 (10)
2014水戸ホーリーホック(loan) 30 (7)
2015水戸ホーリーホック 40 (9)
2016-2017カマタマーレ讃岐 81 (10)
2018-2019大分トリニータ 33 (12)
2019FC岐阜 (loan) 19 (0)
2020鹿児島ユナイテッドFC 30 (6)
1. 国内リーグ戦に限る。2020年12月20日現在。
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来歴

プロ入り前

ジュニア、ジュニアユースとベルマーレ平塚(現:湘南ベルマーレ)の下部組織に所属したが、中学3年次に平塚市立金旭中学校サッカー部に籍を移す[2]。高校・大学時代は主にボランチ又はプレイメーカーを任され[2]桐光学園高時代の3年次には背番号10を背負った[2]近畿大学では4年時の春季関西学生リーグで得点王を獲得[2]。卒業後はヴィッセル神戸大分トリニータ等からオファーを受けた中[3]、神戸への入団を選択。

プロ入り後

ルーキーシーズンの2008年は、前線からプレスを掛ける汗かき役としてフォワードでプレーをすることになると、同ポジションの栗原圭介吉田孝行のプレースタイルを見て学ぶことで[4]出場機会を得ていった。同年はリーグ戦16試合に出場、神戸に加入した大卒選手では史上3人目となるA契約移行選手となった。翌2009年にはプロ初得点もマークしたが、大久保嘉人ボッティ金南一らの存在もありレギュラーポジションを確保することはできなかった[2]

2010年、ジュニア・ジュニアユース時代に在籍し、馬場が特別なチームと公言する[5]湘南ベルマーレ期限付き移籍2011年は神戸に復帰したが、2節のジュビロ磐田戦に途中出場した以外は出番を得られず、シーズン後に戦力外通告を受けた。翌2012年、前年の神戸退団決定後、真っ先にオファーを受けた湘南[5]に完全移籍で2年振りに復帰。序盤戦はボランチを務めていたが、その後は3トップの一角を務め[5]チーム最多となる9得点をマーク。チームのJ1復帰に貢献した。2013年はリーグ戦7試合の出場にとどまった。

「全く知らない所で再びチャレンジしたい」という思いから[6]2014年水戸ホーリーホックへ期限付き移籍[7]。翌15年に完全移籍に移行した[8]。同年は自己最多タイのリーグ戦9得点をマークした。

2016年、高校の先輩である中島健太がスタッフを務めるカマタマーレ讃岐に完全移籍[9]。同年はリーグ戦全試合出場を果たすなど、翌2017年までの2年間でリーグ戦81試合に出場した。

讃岐より来季の更新オファーも受けていたが、もう1度J1を目指す気持ちが高まった中で、早くJ1を目指せる可能性のあるクラブと判断した[3]大分トリニータ2018年より完全移籍[10]。過去に大分からは前述した大学時代に加え、神戸時代にも獲得オファーを受けていたという[3]4月28日、J2第11節・FC町田ゼルビア戦にてプロ入り後初のハットトリックを達成[1]。シーズン途中の8月17日からは、シーズン開幕時からキャプテンを務めていた竹内彬が讃岐に期限付き移籍したことに伴い[11]、後任のキャプテンを務めた[12]。シーズントータルで12得点とプロ入り後初の2ケタ得点を達成。藤本憲明と並びチーム得点王となる活躍で大分のJ1昇格に貢献した。

2019年にはキャプテンの座を鈴木義宜に譲り副キャプテンを務めたが、新加入のオナイウ阿道小塚和季らの台頭もあって出場機会を失い、7月18日に讃岐時代の恩師である北野誠が監督に就任したFC岐阜に期限付き移籍することが発表された[13]。岐阜では主に先発出場で19試合に出場したが無得点に終わり、チームのJ3降格を食い止める事は出来なかった。シーズン終了後大分・岐阜双方より契約満了となった[14][15]

2020年、鹿児島ユナイテッドFCに加入[16]。30試合に出場したが同年限りで契約満了により鹿児島を退団[17]

2021年1月12日、現役引退が発表された[18]

現役引退後

アパレルブランドMIND PLUS⁺を立ち上げ代表を務める傍ら、母校である近畿大学体育会サッカー部のコーチも2023年まで兼任した[19]2024年、大分トリニータU-18のコーチに就任[20]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点出場得点出場得点 出場得点
日本リーグ戦 リーグ杯天皇杯期間通算
2008神戸22J11604100201
20091315010191
2010湘南171613010201
2011神戸2210001020
2012湘南17J2289-10299
2013J1713000101
2014水戸32J2307-10317
201539409-30439
2016讃岐11425-10435
2017395-00395
2018大分383112-003112
201911J120300050
岐阜39J2190--190
2020鹿児島50J3306--306
通算日本J155318130764
日本J222947-6023547
日本J3306--306
総通算314561819034157

タイトル

  • 関西学生サッカーリーグ 優秀選手賞(2006年、2007年)[21][22]
  • 関西学生サッカーリーグ 年間最優秀選手賞(2007年)[22]
  • 関西学生サッカーリーグ アシスト王(2006年)[21]
  • 関西学生サッカー春季リーグ 得点王(2007年)[23]

代表・選抜歴

指導歴

  • ???? - 2023年 近畿大学体育会サッカー部 コーチ
  • 2024年 - 大分トリニータ U-18コーチ

脚注

関連項目

外部リンク