TOMATOS(トマトス) | |
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出身地 | ![]() |
ジャンル | ロックステディ レゲエ カリプソ ブルース |
活動期間 | 1982年 - 1994年 |
レーベル | ナツメグ 東芝EMI |
公式サイト | 松竹谷清 NEWS WEB SITE |
旧メンバー | 松竹谷清 (ヴォーカル、ギター) 横銭ユージ (ドラムス) 松井仁 (ベース) 小安田憲司(ギター) 小出斉 (ギター) EBBY (ギター) ナベ (ベース) 後藤茂貴/シゲキ(ドラムス) 松永孝義 (ベース) 今井秀行 (ドラムス) 田中元尚 (ドラムス) 関口道生 (ギター) 氏永仁 (ドラムス) |
TOMATOS(トマトス)は、1980年代初頭に松竹谷清を中心に結成された、日本のバンド。ロックステディ、レゲエ、カリプソなどカリブの音楽を早くから取り入れた。
1980年代初頭、友部正人のバックバンドや、ブルース・バンドのジュークなどで活動していた松竹谷清(ヴォーカル、ギター)を中心に、横銭ユージ(ドラムス)、松井仁(ベース)、小安田憲司→小出斉(ギター)4人で「TOMATOES」を結成。小出脱退後の1983年に日比谷野外音楽堂で行なわれた伝説的音楽イベント「天国注射の昼」に出演、東映ビデオから発売されたビデオに「ブラブラ」が収録。
1984年~1985年、「TOMATOS」に改名。じゃがたらのEBBY(ギター)、ナベ(ベース)、パラフレイズのシゲキ(ドラムス)が加入。渋谷屋根裏を中心にライブ活動を行なう
1986年、渋谷ライブインにて第1回「TOKYO SOY SOURCE」をじゃがたら、MUTE BEAT、S-KEN & HOT BOMBOMSと共に開催。(1988年まで計5回開催、第1回のみ渋谷ライブイン、2回目以降はインクスティック芝浦ファクトリー)
1987年、CSV渋谷より12インチEP『ROCK-A-BLUE BEAT』を発表、渋谷エッグマンにて小玉和文をゲストに発売記念ライブを行なう。同レーベルから発表されたNAHKI & TOMATOS名義の7インチEP『Do What You Want』に参加し、レゲエ・ジャパンスプラッシュなどに出演する。
1988年、松竹谷は渋谷クラブクアトロのオープン記念ライブとして、スカタライツのローランド・アルフォンソをゲストに迎えたMUTE BEATに参加。後にCD化された。また小岩から代々木に移転したライブハウス、チョコレートシティのこけら落しとして出演。MUTE BEATの小玉、増井明人をゲストにスカタライツの「BRIDGE VIEW」を演奏する。
同年より六本木インクスティックを中心に「スタンダードセッション」と銘打ち、じゃがたらやMUTE BEAT、後のピアニカ前田等とセッションを行なう。そうした活動をベースに、ナツメグレーベルよりピアニカ前田&GOOD BAITESとして7インチEP「JUST YOU JUST ME」、「ルセロ」を発表、プロデュース、演奏などで全面参加する。
1989年、ナベ、シゲキに代わり上川大輔→松永孝義、今井秀行→田中元尚が加入。
1990年、7インチEP『ROCK YOUR BABY』をリリース。
1991年、4曲入ミニ・アルバム『STEP BY STEP』をリリース。
1992年、CD「ROLAND ALPHONSO meet GOOD BAITES with ピアニカ前田 at WACKIES NEW JERSEY」に松竹谷清が参加。また、ピアニカ前田のCD「JUST A GUY」にプロデュース、演奏などで全面参加。[1]
1993年、初のフルアルバム『PARTY DOWN』、シングル『青い影』で東芝EMIからメジャー・デビュー。
1994年、松竹谷清が札幌へ移住したため、活動停止。
松竹谷清は現在、札幌にて「BAR BAHIA」を経営し、精力的に活動中。1996年には、ソロ12インチEP『I'LL REMEMBER APRIL』をリリース。2009年には吾妻光良 & The Swinging Boppersと共に、2010年には元じゃがたらのエマーソン北村と共に「ライジング・サン・ロックフェスティバル」に出演した。
2018年、自主レーベル「BAHIA LABEL」より、22年ぶりに、ソロ7インチEP『THE CHRISTMAS SONG』をリリース。