RKB毎日放送

福岡県のTBSテレビ系列局
RKBから転送)

RKB毎日放送株式会社(アール・ケー・ビーまいにちほうそう、: RKB MAINICHI BROADCASTING CORPORATION)は、福岡県放送対象地域とした中波放送(AM放送)事業とテレビジョン放送事業を兼営している特定地上基幹放送事業者である。

RKB毎日放送株式会社
RKB MAINICHI BROADCASTING CORPORATION
RKB毎日放送放送会館
種類株式会社
略称RKB
本社所在地日本の旗 日本
814-8585
福岡県福岡市早良区百道浜二丁目3番8号
北緯33度35分34.85秒 東経130度21分3.16秒 / 北緯33.5930139度 東経130.3508778度 / 33.5930139; 130.3508778 東経130度21分3.16秒 / 北緯33.5930139度 東経130.3508778度 / 33.5930139; 130.3508778
設立2015年平成27年)9月29日
(RKB毎日分割準備株式会社)
1951年昭和26年)6月29日創業)
業種情報・通信業
法人番号3290001071513 ウィキデータを編集
事業内容テレビジョン放送ラジオ放送
代表者代表取締役会長 井上良次
代表取締役社長 佐藤泉
資本金1000万円(2020年3月31日現在)[1]
売上高148億3800万円(2023年3月期)[2]
営業利益4億5000万円(2023年3月期)[2]
経常利益4億6100万円(2023年3月期)[2]
純利益2億3200万円(2023年3月期)[2]
純資産54億500万円
(2023年3月31日現在)[2]
総資産113億1200万円
(2023年3月31日現在)[2]
従業員数215人
決算期3月31日
主要株主株式会社RKB毎日ホールディングス 100%
外部リンクhttps://rkb.jp/ [注 1]
特記事項:従業員数は2011年(平成23年)3月31日時点。
アナログ親局・IDともに4ch。JNN系列のない佐賀県でも視聴者が多く、実質的に放送対象地域となっている。
創業当初の旧法人の社名は「株式会社ラジオ九州」。
1958年昭和33年)8月18日、西部毎日テレビジョン放送株式会社と合併し現社名に変更。2016年(平成28年)4月1日に認定放送持株会社移行に伴い現体制となる。
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RKB毎日放送
基本情報
英名RKB MAINICHI BROADCASTING CORPORATION
略称RKB
本社〒814-8585
福岡県福岡市早良区百道浜2丁目3番8号
演奏所本社と同じ
公式サイトhttps://rkb.jp/
ラジオ
放送対象地域福岡県
系列JRN
愛称RKBラジオ
呼出符号JOFR
開局日1951年12月1日
親局 / 出力福岡 1278kHz /  50kW
主な中継局ラジオを参照
テレビ
放送対象地域福岡県
ニュース系列JNN
番組供給系列TBSネットワーク
愛称RKB
呼出符号JOFR-DTV
呼出名称RKBまいにちデジタルテレビジョン
開局日1958年3月1日
リモコンキーID4
デジタル親局福岡 30ch
アナログ親局福岡 4ch
ガイドチャンネル4ch
主な中継局
  • 北九州・行橋・久留米・大牟田・糸島 30ch
  • 宗像 24ch
主なアナログ中継局北九州8ch
テレビを参照
特記事項:
アナログ親局・IDともにMBSと同じ4ch。JNN系列局のない佐賀県でも視聴者が多い。
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JNN系列コールサインはJOFR-DTVリモコンキーIDはアナログ親局の4chから「4」。

ラジオ放送についてはRKBラジオを参照。

概要

ネットワークは、テレビJNN、ラジオJRNに加盟。略称の「RKB」は、1951年昭和26年)の開局当初ラジオ九州Radio Kyushu Broadcasting)という局名であったことに由来する。その後、北九州市にあった西部毎日テレビジョン放送と合併した際に、略称RKBを継承して今日の局名となった。

ロゴマークについては、テレビ・ラジオで独自のものを導入する時期もあったが、2007年平成19年)7月からは会社とテレビのロゴは「+rkb」に変更している。ただし、略称の公式表記はロゴとは異なり『大文字』が正しい。よって略称を「rkb」と小文字では表記しない。

夜間における緊急事態発生に備え、局アナ1人と制作・技術・報道部門のスタッフ数人が、局に毎日交替で泊まり込む「宿直勤務制度」を実施している。

テレビのニュース名称は、開局から1975年(昭和50年)3月30日までは『RKB毎日ニュース JNN』、同年3月31日からは『JNNニュース』である。夕方のローカルニュースは『RKBニュースワイド』、『今日感NEWS』、『今日感 THE NEWS』などとなっていた。2021年令和3年)現在、平日のローカルニュース番組は特に名称がなく、週末の昼間は『RKBヘッドラインニュース』を放送している。

ラジオのニュース名称は、かつては『RKB毎日ニュース』、『RKBヘッドライン』という名称であったが、現在は毎正時のニュースが『RKBラジオニュース』、毎時50分のニュースが『RKB50ニュース』となっている。

韓国の独立系放送局であった京仁(きょんいん)放送仁川広域市)と姉妹提携関係を結んでいたが、同局が赤字経営から2005年1月1日に廃局となり、提携関係も消滅した。

2010年(平成22年)よりJリーグギラヴァンツ北九州リーグ公式戦の公式試合映像の製作をJリーグメディアプロモーションから、その映像を使用したスカパー!Jリーグ中継の番組制作をスカパー!からそれぞれ受託、実況は原則RKBのスポーツ担当アナウンサーを派遣している。

当局のテレビにおいては、2021年(令和3年)10月の改編以降、『THE TIME'』、『THE TIME,』、『ラヴィット!』、『金曜ビッグバン!』、『ひるおび!』『ゴゴスマ -GO GO!Smile!-』、『タダイマ!』と生放送番組が平日の午前4時30分から午後7時まで15時間半連続して放送されている。以前は午前10時台がドラマの再放送や通販番組などに当てられていたため、平日の午前11時から午後7時まで生放送番組が連続していた。2020年(令和2年)の火・木曜も同様である。(昼前から夕方にかけて生放送が連続する事例としては、同じJNN系列の毎日放送、大分放送や、NNN系列の札幌テレビ青森放送(金曜のみ)、ミヤギテレビ静岡第一テレビ熊本県民テレビ、NNN系列でRKB毎日放送と同じく福岡県を放送エリアとする福岡放送なども同様である。)

西日本新聞社西日本パイレーツ(後の西鉄ライオンズ→埼玉西武ライオンズ)の経営に失敗したため、1951年(昭和26年)の開局時はラジオ九州への出資を見送ったが、RKBと西日本新聞は1958年(昭和33年)のテレビ開局以降は親密な関係を持っている。

2016年(平成28年)4月1日に、西日本の民放では初めてで、全国の民放では7番目となる認定放送持株会社に移行した。また、旧法人のRKB毎日放送株式会社は商号を「株式会社RKB毎日ホールディングス」に変更し、経営管理・不動産事業を除く現業全般(放送・文化事業など)を、2015年(平成27年)9月29日に分割準備会社として設立された「RKB毎日分割準備株式会社」(2016年(平成28年)4月1日に新法人の『RKB毎日放送株式会社』に商号変更)が承継した。TBS系列ではTBSホールディングス(TBSHD)、中部日本放送(CBC)に次いで3番目の放送局を子会社に持つ放送持株会社である。在京キー局を除く地方局としては、CBCに次いで2番目となるが、TBSテレビやCBCテレビで行ったテレビ放送部門とラジオ放送部門の分社独立化や、RBCiラジオのような放送部門の社内カンパニー創設は行っていない。

事業所

沿革

RKB毎日放送成立後の初代ロゴ
(1958年-1969年)
CM(コンサートの主催等)の社名表記では1980年代でも見ることができた

ラジオ九州

  • 1950年昭和25年)2月1日 - 毎日新聞西部本社版に「ラジオ九州発足」の記事を公表。毎日新聞は当時、東京・大阪・福岡の3都市に毎日系の放送局を開設する構想を進めていた。ラジオ九州の創立準備事務所は福岡市中洲の玉屋デパート内に置いた。
  • 1951年(昭和26年)
    当時の本社は、福岡市新開町(現在の福岡市中央区渡辺通)の電気ビル別館(現・共創館。後述の放送会館へ移転後の1969年(昭和44年)にはエフエム福岡の本社が入居する)。
    • 10月4日 - ラジオ九州に本免許交付(コールサイン・周波数・出力は、予備免許に同じく)。
    • 12月1日 - ラジオ放送開始。民放としては九州初、全国4番目の放送開始。
    当時の送信所は、現在の糟屋郡粕屋町原町3丁目。当初の送信アンテナは木製支柱だった。1954年(昭和29年)に鋼製アンテナに変更。
  • 1952年(昭和27年)
    • 2月5日 - 先発民放の仙台放送(ラジオ仙台、現・東北放送)、北日本放送、北陸文化放送(ラジオ北陸、現・北陸放送)と共に、東京支社を通じて「火曜クラブ」(現在の地方民間放送共同制作協議会、通称「火曜会」)結成。
    • 4月 - 芥川也寸志(小説家・芥川龍之介の三男)作曲のステーションテーマソング使用開始。長年にわたりアナログテレビ放送のオープニング・エンディングテーマとしても使用された。
    • 6月30日 - 福岡放送局ラジオ昼間10kW増力許可。
    • 12月24日 - 小倉放送局ラジオ開局(1040kc、100W、日本初の民放ラジオ中継局)。
  • 1955年(昭和30年)2月13日 - 第4回別府大分毎日マラソンをラジオ大分(現・大分放送)と共同制作で実況中継(恒例化)。
  • 1956年(昭和31年)11月22日 - テレビ予備免許交付。
  • 1958年(昭和33年)
    • 3月1日 - テレビ放送開始(コールサインJOFR-TV、チャンネル4ch、映像出力5kW、音声出力2.5kW、民放としては九州初)。送信所は本社敷地内の鉄塔に設置。スーパーターンスタイルアンテナ[注 2]
    • 3月30日 - 渡辺通り(当時の町名は福岡市新開町)の放送会館落成。舞台と客席を備えたホールが設置され、公開番組の収録や宝くじの抽選などに使用された。ラジオスタジオは廊下から見学可能となっていた。当初は3階建であったが、後に4階部分と、2階にラジオセンターが増築された。
    • 6月1日 - テレビニュースネットワーク協定締結。参加局はラジオ東京(KRT。法人としては現在のTBSホールディングス(TBSHD)、放送局としてはTBSテレビ(TBS))、大阪テレビ放送(OTV。現在の朝日放送テレビ(ABC))、中部日本放送(CBC。現在のCBCテレビ)、北海道放送(HBC)、RKBの5社

西部毎日テレビジョン放送

  • 1957年昭和32年)10月6日 - 郵政大臣の指示により、毎日新聞系の西部毎日テレビがラジオ山口(現在の山口放送〔KRY〕)、北九州テレビ放送(産経新聞社系)と合体する事となる。テレビ予備免許取得。(コールサインJOGX-TV[注 3]、チャンネル8ch、映像出力1kW)
  • 1958年(昭和33年)3月19日 - 西部毎日テレビジョン放送、創立総会を開く(出資比率 西部毎日6:KRY3:北九州1。ただし、北九州側は合体を辞退)。

合併・RKB毎日放送

  • 1958年昭和33年)8月1日 - 株式会社ラジオ九州と西部毎日テレビジョン放送株式会社が合併しアール・ケー・ビー毎日放送株式会社となる。これに伴い、西部毎日テレビはRKB毎日放送関門テレビジョンとして開局(JOFO-TV[注 3]8ch、映像1kW。関門地区第一局)。
  • 1959年(昭和34年)
    • 8月1日 - JNN(ジャパンニュースネットワーク)発足、加盟。
    • 9月1日 - 大牟田放送局本免許(JOFE、1560kc、40W)。
  • 1960年(昭和35年)2月1日 - KRT、CBC、ABCと四社連盟を結成。翌3月1日、HBCが加わり五社連盟に。1975年(昭和50年)3月31日、ABCが脱退しMBSが加盟。
  • 1961年(昭和36年) - 創立10周年を記念して、「RKBカークイズ」を実施。
  • 1962年(昭和37年)
  • 1963年(昭和38年)
    • 5月1日 - TBSがRKBテレビの月平均90時間(ゴールデンタイム中心)を買い取る業務協定を締結。
    • 11月30日 - 西鉄福岡駅コンコースに、ラジオサテライトスタジオ「RKB西鉄ターミナルスタジオ」開設(九州初のラジオサテライトスタジオ)。メインベルト番組「サテライトであいましょう」開始(オリジナルテーマソングは「サテライトでデイト」、歌唱:九重佑三子)。
  • 1964年(昭和39年)
  • 1965年(昭和40年)5月2日 - JRN(ジャパンラジオネットワーク)発足、加盟。
  • 1966年(昭和41年)4月3日 - テレビカラー放送開始。
1969年〜2007年まで使われたロゴ
旧ロゴが書かれた中継車のパラボラアンテナ
  • 1969年(昭和44年)
    • 3月1日 - 以後38年にわたり使用される、手書きの続け字調の旧ロゴ制定。
    使用を停止した現在でも、一部のマイクや放送機材、ラジオ・テレビの送信所・中継局の表札でも見かけられる。
    2022年令和4年)6月20日から6月26日の1週間にわたりラジオで展開されたスペシャルウィーク『RKBシン・ラヂオ週間』で約15年ぶりにこのロゴが使われた[4]
  • 1972年(昭和47年)7月1日 - 福岡放送局ラジオ出力50kW増力。と同時に、現在の和白送信所に移転。電波の伝搬効率を向上させるため、鉄塔とアースを海上の浅瀬に設置している。局舎は鉄塔横の陸上に設置しており、高床式となっている。
  • 1976年(昭和51年)8月16日 - ラジオ終夜放送開始。『いすゞ歌うヘッドライト』、『こずえの深夜営業』(どちらもJRNラインネット)を、ネット開始した。
  • 1978年(昭和53年)11月23日 - 中波ラジオ周波数9kHzステップ変更により、現行周波数へ[注 4]
  • 1979年(昭和54年)10月7日 - テレビJNN九州6局共同制作ドキュメンタリー番組『窓をあけて九州』放送開始( - 2012年(平成24年)3月25日)。
  • 1980年(昭和55年)3月30日 - テレビ音声多重放送開始(九州及び福岡地区ではFBSに次いで2番目)。RKB制作での第一号番組は、『家族そろって歌合戦』であった[注 5]
  • 1991年平成3年)4月1日 - 在福局では初の夕方ワイド番組、『RKBワイド5』が放送開始。
  • 1992年(平成4年)
  • 1993年(平成5年)6月 - 福岡テレビ送信所を渡辺通の本社(当時)から現社屋に近接する福岡タワーへ移転。移転後に取り外したスーパーターンスタイルアンテナの一部は、名古屋テレビ塔の展望室に展示されている。
  • 1995年(平成7年)8月 - 福岡で開催された1995年夏季ユニバーシアードの公式テレビ局にNHK福岡放送局と共になり、競技の映像を配信したほか数多くの関連番組等を放送した[5]
  • 1996年(平成8年)7月1日 - 本社を福岡市中央区渡辺通4-1-10から現在地に移転。
    移転前日の最後の番組は、テレビは『ありがとう渡辺通』(VTR、出演者:中村基樹大村由紀子ら、『きょうもやっぱり基樹です』の出演者)。ラジオは『さよなら渡辺通』(生放送、出演者:林幹雄井上悟。当日は野球中継が延長されたが移転作業の都合上放送終了が延ばせなかったため、番組が予定より30分ほど短縮された)。
    移転当日は早朝のテレビ放送開始直後に中村基樹らが出演する生放送の移転特別番組がテレビで放送され、テレビの夕方ワイド番組『今日もやっぱり基樹です』で移転の様子や新社屋の内部が放送された。
  • 1998年(平成10年)2月2日 - 郵便番号7桁化に伴いRKBの私書箱郵便番号を「814-8585」に制定。
  • 2003年(平成15年)6月30日 - 在福局最長のTV大型情報番組『今日感テレビ』開始(以後今日まで枠大を続け、2020年(令和2年)9月18日の終了まで、放送時間日本最長のTVローカル情報番組へと成長)。
  • 2004年(平成16年)9月23日 - 渡辺通の旧本社跡地に商業施設BiVi福岡(びび-)オープン(BiVi福岡のビルにはRKBのロゴマークが付いている)。
  • 2006年(平成18年)
    • 3月1日 - アナログ・デジタル統合の主調整室(マスター)へ更新(NEC製)。
    • 4月 - 同局のスポーツ記者らが大野城市内のホテルで女性に対して集団強姦やわいせつ目的の容疑で逮捕される。その記者は懲戒解雇処分に[6][7][8]
    • 5月1日 - 福岡地区で地上デジタル放送(ワンセグ含む)の試験放送開始。
    • 7月1日 - 福岡地区で地上デジタル放送開始。
  • 2007年(平成19年)7月1日 - テレビ開局50周年を機に、ロゴを「RKB」(手書きの続け字調)から「+rkb」に変更。色は+がピンクでrkbが黒。RKB部分は小文字。ただし、公式文書で使われる略称は大文字のまま。
  • 2008年(平成20年) - テレビ開局50周年。テレビ開局50周年のキャッチコピーは、「テレビご自由年。RKB」。(番宣番組も4月より『ももピッ!』から半年間『テレビご自由年。RKB』に変わった。2015年(平成27年)3月までは、『デジももタイムズ』だったが、同年4月より『みて4 RKB』に変更。)
  • 2009年(平成21年)6月26日 - 登記社名をRKB毎日放送株式会社に変更[注 6]
  • 2010年(平成22年)
    • 5月30日 - この日を以て福岡本局で実施していたAMステレオ放送を終了。翌5月31日より従前のモノラルに戻す。
    • 7月4日 - アナログTV画面を強制レターボックス化(CM中を除き4:3SD画面時は上下に加え左右にも黒帯が入る額縁画面に)。これに伴い各番組テロップは16:9画面対応に。
  • 2011年(平成23年)
    • 7月24日 - この日を以て地上アナログ放送を終了。関門テレビ放送局が総務省の取り決めで本局以外は中継局に降格となるため「JOFO-TV」のテレビコールサイン返上[注 7]
    • 11月21日 - 福岡ソフトバンクホークスが日本一を決めた「コナミ日本シリーズ2011・第7戦」(福岡Yahoo! JAPANドーム)の平均視聴率が44.4%、瞬間最高視聴率は秋山幸二監督が胴上げされた瞬間の62.6%(22時07分)を記録した。なお、同じく福岡ソフトバンクホークスが日本一を決めた2014年(平成26年)10月30日の「SMBC日本シリーズ2014・第5戦」(福岡 ヤフオク!ドーム)の平均視聴率が北部九州地区で26.7%、瞬間最高視聴率は秋山監督の優勝インタビューが放送された瞬間の43.9%(22時17分)だった[9]
  • 2012年(平成24年)8月25日 - 2か月間の長期設備点検のため、土曜・日曜のTBSニュースバードの放送を一時休止した(9月1日から10月27日までは土曜3時14分終了・5時14分開始、日曜は遅くとも3時4分終了となっていた。その後、同年11月3日に土日のニュースバードの放送を再開)。
  • 2015年(平成27年)9月2日 - KBCラジオとともにFM補完中継局の予備免許を受ける[10]
  • 2016年(平成28年)
    • 3月28日 - FM補完中継局の本放送開始[11]。なお、このFM開局を記念し、KBCラジオと共同制作で『熱ラジ!』を2局同時生放送[12]
    • 4月1日 - 在福局で初、全国でも7番目となる認定放送持株会社体制へ移行[13][14]
    • 9月2日 - RKBラジオは、福岡・佐賀・長崎の北部九州および山口各県のコミュニティーFM計11局[注 8]と災害時に情報を相互に融通する連絡網となる「北部九州・山口災害情報パートナーシップ」を締結し、この日よりスタート。なお各社は災害時、RKBがまとめた災害の総合的な情報と、各FM局が現地の被害状況を伝える生の声を補完し合うこととしている[15][16]
  • 2018年(平成30年)
    • 6月18日 - RKBラジオ福岡送信所にトラブルが発生し、午前9時35分ごろからラジオ放送が停波する事態となった(AM1278kHzのみ。ワイドFM・radiko等では聴取可能)。同日午後5時25分ごろに完全復旧[17]
  • 2020年令和2年)
    • 11月16日 - 創立70周年を迎えるのを機に、タグライン(コーポレート・スローガン)「Be colorful.」(ビー カラフル)を制定[18]。同日から番宣番組のタイトルも『Be colorful. RKB』に変更される。
  • 2021年(令和3年)
    • 6月 - 創立70周年。
  • FM転換を見据えた総務省実証実験としてAM停波による社会的影響を検証するため、2024年2月5日から2025年1月31日までの期間、行橋AMラジオ中継局を停波。FM、またはワイドFM放送で代替放送を行う[19][20][21]

ネットワークと放送エリア

  • 山口放送との関係 - 1953年(昭和28年)3月26日に山口県防府市に防府中継局を設置する免許申請を行ったが、ラジオ山口(KRY)の周南放送局開局申請との競願となった。その後、小澤太郎山口県知事(当時)の斡旋でKRYはRKBと業務協定を行う事となり、RKBは申請を取り下げた。しかし、1956年(昭和31年)の開局時はライバルのKBCラジオの協力を取り付けたため、業務協定は結局実現しなかった。
    関門地区のテレビ免許でもRKBとKRYは競願の末、両社で西部毎日テレビジョン放送を設立。RKBがこれを合併した事で、一時KRYがRKBの経営に携わっていた時期があった。
    1982年(昭和57年)9月、RKBはTBSの意向を受けKRYのJRN加盟を承諾。
  • KNSネット - 1954年(昭和29年)5月1日よりラジオ長崎、ラジオ佐世保(共に現在の長崎放送(NBC))との間で、両局がローカル番組を除きRKB番組をそのまま放送する業務協定を行い、1958年(昭和33年)一杯まで継続した。略称は、当時の放送局名(ラジオ九州=Radio Kyushu、ラジオ長崎=Radio Nagasaki、ラジオ佐世保=Radio Sasebo)の頭文字から取ったものである。
  • FOLネット - 1955年(昭和30年)ニッポン放送 (JOLF)、新日本放送(NJB。現在のMBSラジオ(MBS))とラジオスポーツ番組のラインネットワークを結ぶ。ラジオ中国(現在の中国放送(RCC))等の協力を得て1962年(昭和37年)まで継続した。FOLとは、各局のコールサイン(RKBのJOFR、MBSのJOOR、LFのJOLF)から取ったものである。
  • 幻の唐津進出 - 1958年(昭和33年)7月15日、佐賀県唐津市にラジオ放送局の免許を申請したが、却下されている。これは申請の半月後の8月1日に長崎放送佐賀放送局の開局を控えていたことが影響していると思われる。結局唐津には長崎放送が1974年3月31日に中継局を開局させている。
  • テレビネットの変遷 - テレビ放送開始当時は、ラジオ東京日本テレビ(NTV)から内容の優れた番組を自由にネットした。(いわゆるオープンネット状態)
    1958年(昭和33年)8月、テレビ西日本(TNC)の開局でNTV系列の番組が大幅に同局へ移行。1960年(昭和35年)2月1日、「四社連盟」(現在の「五社連盟」)の結成に伴い、KRT系列番組を編成の基本とする。
    1961年(昭和36年)4月、それまで九州朝日放送(KBC)で放送されていた日本教育テレビ(NET。現在のテレビ朝日(EX))の学校放送がRKBに移行。これを契機にNET系列番組のネットが増え、全放送時間の3割までを占めるに至る。
    1964年(昭和39年)10月、TNCがフジテレビジョン(CX)系列に、KBCがNET系列にそれぞれ移行し、学校放送以外のNET系列番組が姿を消す。一方、この一件で福岡地区での日本テレビ系列局が喪失した事から、NTV系列番組が復活。サス枠(いわゆる放送中断の時間帯)が埋まったことで念願のテレビ全日放送の実施が可能となった。
    1969年(昭和44年)4月、福岡放送(FBS)の開局に伴い、NTV番組が同局に移行。名実ともにJNN系列のフルネット局・基幹局となって現在に至る。
    ニュースネットは1958年(昭和33年)にKRTと協定を結んで以来、KRT=TBS=JNN系列となっている。
  • FBS開局の背景 - 関門地区テレビ免許競願調整の際、毎日新聞系の西部毎日テレビジョン放送はRKBと、朝日新聞系のTNCはKBCとそれぞれ合併する事を条件に免許が与えられた。
    西部毎日テレビジョン放送は開局までにRKBと合併したが、TNCは結局KBCと合併しなかった。寧ろTNCは別の意味でKBCと手を結び、1962年(昭和37年)に関門限定のTNCが福岡に、福岡限定のKBCが北九州にそれぞれ進出して、両地区を押さえていたRKBの強力なライバルとなった。
    収まらない当時の西部毎日関係者(九州電力系など)は、新規にテレビ局開設を計画。これに九州に進出して間もない読売新聞やネット局を失ったNTVが合流。FBS開局に繋がった。FBS開局にあたり、RKBから社員が移籍や出向して支援した。
  • ラジオニュース - 1953年(昭和28年)9月1日には、それまでの『毎日新聞ニュース』(後のRKB毎日ニュース)に加え、『西日本新聞ニュース』も放送するようになった。
    1967年(昭和42年)2月、定時ニュースは、北九州市の毎日新聞西部本社に設置したニューススタジオから放送する事となり、RKB報道部と毎日新聞社の共同制作に変更された。この他、西日本新聞社からは別途地域生活情報の提供を受ける事となった。
    1970年(昭和45年)10月、RKBのラジオニュースは、すべて福岡のRKB報道部で制作される事となり、現在に至る。
  • エリア外の進出 - 1954年(昭和29年)、東京支社にラジオスタジオが完成し、ニュースやドラマなど一部のRKB番組が制作された。当時の経営陣はこのスタジオの有効活用を生かして、同じ毎日新聞系列のラジオ福島(rfc)に対し、一時期このスタジオで制作された毎日新聞ニュースの同時ネットを行った。
    また、このスタジオを使用して神奈川県域でラジオ放送局免許を取得し、関東地方に放送局を設置する計画があったが、競願の末ラジオ関東(JORF。現在のラジオ日本)に一本化され、結局RKBは関東進出を果たせずに終わってしまった。ただしラジオ関東は1977年(昭和52年)12月まで毎日新聞のニュースを放送していた。

テレビネットワークの移り変わり

社史・記念誌

RKBでは、以下の7冊を発行している(2022年10月時点)。

  • 放送十年 RKB毎日社史(RKB毎日放送・編) 1962年10月発行、全226ページ[22]
  • 放送20年 RKB毎日放送社史(RKB毎日放送株式会社社史編纂委員会・編集) 1973年発行、全396ページ。
  • 放送この十年 RKB毎日放送創立30周年記念(RKB毎日放送株式会社社史編纂小委員会・編集) 1981年発行、全202ページ[23]
  • RKB30〜40年 多メディア時代への挑戦(RKB毎日放送株式会社社史編纂小委員会・編) 1991年12月発行、 全303ページ。
  • 九州・福岡RKB放送史事典 RKB毎日放送創立50年記念(RKB毎日放送株式会社50年史編纂委員会・編纂) 2001年12月発行、全569ページ。
  • RKB50〜60年史 アナログからデジタルへ(RKB毎日放送株式会社60周年社史編纂委員会・編纂) 2011年12月発行、全398ページ。
  • Be colorful. rkb 70th : RKB60〜70年史 (RKB毎日放送株式会社創立70周年社史編纂プロジェクト・編集) 2022年3月発行、全408ページ。

本局及び中継局一覧

主な局名と周波数またはチャンネルコールサインおよび出力。

ラジオ

RKBラジオ#基本データを参照。

テレビ

リモコンキーID

JNN系列のリモコンキーID地図

リモコンキーIDは「4」。福岡アナログ親局の4chから由来している。JNN系列準キー局の大阪MBSも同様の理由で「4」が使われる[注 9]

この影響で、本来は「4」が割り当てられるはずだったNNN/NNS系列のFBSSTVと同じく「5[注 10]が割り当てられた。

MBS・RKB以外のJNN系列局のリモコンキーIDはHBCTBCMBCが「1」、RCCtysNBCRKKOBSRBCが「3」、CBCが「5」、その他16局はTBSキー局)・IBCMROのアナログ放送チャンネルと同じ「6」が使用される。在福民放で「6」は他系列を含めどの局も使用していない(九州・沖縄で他系列を含め「6」を使用する局はMRTのみ)。

送信所

  • 呼出符号:JOFR-DTV
  • 呼出名称:RKBまいにちデジタルテレビジョン
チャンネルの前にvがつく局は垂直偏波
局名チャンネル空中線電力
福岡局30ch3kW
関門局30ch1kW
久留米局30ch30W
大牟田局30ch10W
行橋局v30ch10W
宗像局24ch21W
糸島局v30ch30W
太宰府局v30ch1W
吉田局14ch1W
鞍手局v30ch1W
苅田局v24ch1W
筑前山田局30ch1W
後藤寺局30ch1W
宝珠山局49ch1W
須恵局30ch1W
  • 「北九州局」ではなく「関門局」の名称が使われているのは、今のRKB発足の際の経緯に由来する。
  • 関門局の送信施設は他の民放の北九州局とともにKBC九州朝日放送の設備を共用。

アナログ放送

2011年7月24日停波時点

  • 福岡局 4ch JOFR-TV 10kW 呼出名称:RKBまいにちふくおかテレビジョン
    • 久留米局 48ch 300W
    • 大牟田局 61ch 100W
    • 宗像局 49ch 30W
  • 関門局 8ch[注 11] JOFO-TV 1kW 呼出名称:RKBまいにちかんもんテレビジョン

RKBテレビ・ラジオのサービスエリア外視聴

  • テレビ・ラジオ共に佐賀県全域に電波が飛んでおり、区域外ながらも佐賀県での視聴者はかなり多い(元々民放TVがFNN系列のサガテレビしか無い為、佐賀県内ケーブルテレビ各社は当局を含む在福TV局再送信を実施。ラジオではRKB同様にJRN加盟のNBCラジオ佐賀がある)。
  • 福岡県外におけるRKBテレビ・ラジオ直接受信可能エリアは佐賀県のほぼ全域と山口県西部(下関 - 宇部付近の周防灘沿岸部、本来の系列局はtys)、長崎県有明海沿岸部、壱岐、対馬、平戸、松浦の一部地域(本来の系列局はNBC)、大分県北西部(中津 - 宇佐・日田付近の平野部、国東半島の周防灘沿岸部、本来の系列局はOBS)、熊本県北部(熊本市以北、本来の系列局はRKK)、愛媛県の一部地域(本来の系列局はitv)。
  • TBS系列局の無い佐賀県で本局を受信される場合はそのまま4chでプリセットされる。大分県・長崎県・熊本県・山口県で本局を受信される場合、「4」はそれぞれ地元局(テレビ大分長崎国際テレビ熊本県民テレビ山口放送)に設定されるため041・042の後に枝番が付き、リモコンキーの「6」か「9」以降でプリセットされる。※在福民放局RKBを含め5局は、有明海沿岸地域や周防灘沿岸地域でも受信出来る世帯が多い。

ケーブルテレビ再送信局

以下のケーブルテレビではRKBテレビが再送信されている。なお地上デジタル放送は日本民間放送連盟区域外再放送を禁止しており、デジタル放送再送信特例地域以外への再送信は原則不可であるとされていた。2011年平成23年)7月24日のテレビ放送のデジタル転換により、地元にTBS系の局がある地域を中心に順次再送信が取り止められることになっていた。佐賀県はデジタル放送再送信特例地域として位置付けられ、地元にTBS系列もなく民放も1社しかないため、RKB側が地上デジタル放送においての区域外再放送に同意した。

大分県の場合は、OCT・OCN・CTB・CTSが2007年(平成19年)4月に大臣裁定を申請して、同年8月に再送信許可が総務大臣から出されて9月より再送信を実施、2008年(平成20年)7月にはRKB側も再送信に同意していたが、2015年(平成27年)2月2日にCTBが再放送継続協議が整わず再送信を終了。残る3局も同じ理由で2016年(平成28年)3月31日に再送信を終了した。KCVと豊後高田の場合は大臣裁定が出されず、RKB側も地元局も再送信を容認している。(なお同様に九州朝日放送も再放送を終了したが、テレビ大分クロスネット局であり、一部視聴できない番組があることを踏まえ、引き続き福岡放送テレビ西日本TVQ九州放送の再放送は行われている)

山口県のケーブルネット下関についてはもともとアナログ時代から同社の配信エリアに電波が届いており(一部地域を除く)、デジタル化後も再送信を継続。しかし同県内の他のケーブルテレビ局(山口ケーブルビジョンなど)では、デジタル化に伴い再送信が打ち切られた。長崎県では地域によって対応が分かれ、紆余曲折を経て有明海沿岸・壱岐・対馬の各業者が再送信を実施している。

※ 特例地域 徳島県佐賀県※ 太字はデジタル波再送信実施局

その他

デジタルTVは、福岡・関門・久留米・大牟田は開局当初は当面定格の1% - 10%の出力で放送(福岡局は久留米局の開始とともに定格出力となった)、宗像は試験放送中にアナログ放送に障害が発生したため試験途中から2Wに減力(開局でフルパワーとなった)[1]。行橋は当初からフルパワーで放送

デジタルのみ、画面右上に「+rkb」のウォーターマークが出る(2007年6月までは「RKB」の表示だった)。CM中は消去するが、ネット受け番組はCM開始の1秒前から消去する。ウォーターマーク表示は、福岡県内の全民放局が行っている。

RKB毎日放送の社屋の隣にはFNN/FNS系列のテレビ西日本の社屋がある。

基本的には24時間放送[注 12]だが、不定期で放送機器のメンテナンスのため放送を休止することがある。かつては毎年8月から9月にかけて土日深夜のニュースバードを休止してメンテナンスを行うことがあった。

新聞のテレビ欄の表示名

  • 毎日新聞が「RKB毎日」と記載するほかは、「RKB〔毎日〕」または「RKB〔RKB毎日〕」と表示する(中国新聞山口県版、読売新聞〔テレビのみ〕、産経新聞九州・山口特別版も毎日新聞と同様「RKB毎日」と表記。アナログ放送時代は、九州と北海道のテレビ欄で略称表記が主となっていた)。
    • RKBの番組でも「毎日放送」はあまり使用されておらず「RKB」または「RKB毎日」[注 13]呼称が広く使われている。しかし、2006年平成18年)12月1日の全国一斉地上デジタルテレビジョン放送の開始に伴う紙面刷新で、毎日新聞も福岡県版のみ「RKB〔毎日〕」の表記に切り替わった。ただし、ラジオ欄は従来どおり「RKB毎日」の表記である。日本経済新聞2009年(平成21年)4月から「毎日 RKB」として表記されている(ラジオは今まで通り「RKB毎日」と表記)。西日本新聞朝日新聞2010年(平成22年)4月1日からテレビ・ラジオとも「RKB〔RKB毎日〕」と表記され、西日本新聞は2011年(平成23年)7月24日からテレビのみ「RKB〔RKB毎日放送〕」と表記されている。
    • 産経新聞では、2009年(平成21年)9月30日付までは、慣例により産経直系のFNSであるテレビ西日本を民放の一番手にしていたが、同年10月1日付からの九州・山口特別版創刊後は、毎日新聞西部本社に紙面印刷を委託していることに配慮して、毎日新聞同様、RKBを民放の一番手(TNCはその次)に載せるようにした。
  • なお、RKB毎日放送と系列局である毎日放送 (MBS) は別会社であるが資本関係があり(MBSが筆頭株主)、健康保険組合を共有したり、地上アナログ放送親局チャンネルと地上デジタル放送リモコンキーIDが同じ「4」だったりするなど姉妹会社の関係にある。このため、腸捻転時代からMBS製作番組がRKBで放送されたり、逆に腸捻転解消後はRKB制作の番組がMBSで放送されることもある。また、腸捻転時代にMBSが経営難に陥っていた東京12チャンネル(現・テレビ東京)の経営再建を支援していた関係[注 14]で、TVQ開局の前年(1990年(平成2年)3月)までRKBではテレビ東京制作の番組が数多く番販ネットされていた。
  • 地デジの番組表(Gガイド)では、「RKB毎日放送」と表記している。

番組

自社制作番組

太字の番組はJNN西部ブロック(九州・沖縄・山口各県)向けの番組としてRKB毎日放送を基幹局(キー)とする共同製作。

情報・ワイドショー
バラエティ
  • まじもん! (水曜19:00 - 20:00)
  • エンタテ!区〜テレビが知らないe世界〜(木曜(水曜深夜)0:55 - 1:25)
  • 華丸の「先生!染まりんしゃったね…。」(日曜(土曜深夜)0:28 - 0:58)
  • キャッチアップ!R(金曜(土曜深夜)2:55 - 3:25)
  • BLUEでカンパイ!(土曜 18:55 - 19:00)
  • コモンセンス〜常識を疑え〜(水曜(火曜深夜)1:28 - 1:58)
教養・ドキュメンタリー
スポーツ
  • S☆1 BASEBALL 鷹ちゃんLive(福岡ソフトバンクホークス戦中継) - 日本シリーズの全国ネット中継はTBSテレビ主導制作(技術面・リアルタイム字幕放送・連動データ放送付加・番組送出も全て担当し、RKB毎日放送は制作協力扱いとなる)で放送する。
    • RKB毎日放送での放送日に地上波関東ローカルやBS-TBSでも放送する場合は、TBSテレビが地上波向けとBS向けをそれぞれ別制作している。
    • 広島東洋カープ戦(Veryカープ! RCCカープデーゲーム中継)は中国放送が、対阪神タイガース戦(タイガース全力応援宣言 MBSベースボールパーク)は毎日放送(MBSテレビ)が、対北海道日本ハムファイターズ戦(Bravo! ファイターズ)は北海道放送が別制作することが多いが、要員や制作予算の都合上ごくまれに同時ネットとなったことがある。
  • 別府大分毎日マラソン(毎年2月第1日曜 11:43 - 14:24 RKB毎日放送・大分放送共同制作 - 11:43 - 11:50(直前番組)はRKB毎日放送のみ放送、11:50 - 14:24は全国ネット)
  • クロスカントリー日本選手権(RKB毎日放送製作-全国ネット)- 「福岡国際クロスカントリー大会」時代より放送。年度により制作がTBSテレビ主導の場合あり
  • RKB×三井松島レディース(RKB毎日放送制作-JNN全国ネット)- 2004年までは九州ブロックネット、2005年より全国ネット昇格
    • 2000年から2009年まではヴァーナルレディース、2010年から2012年まではフンドーキンレディース、13年から22年まではほけんの窓口レディース。
  • 選抜女子駅伝北九州大会 - 2019年まで関西・中四国・九州ブロックネットで録画中継。2020年は録画中継がRKB毎日放送・テレビ高知のみとなった代わりにBS-TBSで生中継
  • 北九州マラソン - BS-TBSでも放送。
民教協制作テレビ番組

TBS系列局制作番組

太字は同時ネット

報道・情報・ワイドショー
バラエティ・ドラマ
教養・ドキュメンタリー
アニメ
単発特別番組枠

その他

過去に放送していた自社制作番組

過去に放送していた番組

FBS開局まで放送されていた日本テレビ系の番組

腸捻転時代にネットされていた朝日放送の番組

★はKBCに移行した番組。
☆はそのうち現在もKBCで放送中の番組。

ほか。

腸捻転解消でKBC・TNCから移行した毎日放送の番組

☆=KBCから移行、●=TNCから移行

なお、『ヤングおー!おー!』は腸捻転解消前からRKBにネットされていた。関東地区では東京12チャンネル(現・テレビ東京)でネットされていた為の番組販売扱いで、腸捻転時代はMBSとは1週遅れで放送されていたが、腸捻転解消後から最終回まではTBS系番組扱いとして同時ネットで放送された。なお、NET(現・テレビ朝日)に同時ネットされていた期間(1969.7 - 1969.9)およびその後の数年間(1週遅れの土曜午後枠)はKBCが放送していた。
また、『キリンものしりシリーズ』も腸捻転解消前からKBCではなくRKBでの放送だった上、腸捻転時代は地場企業の徳島水産(現:トクスイコーポレーション)と泰明堂(現:マルタイ)との1日交代による提供[注 19]だったスポンサーが、腸捻転解消後はキー局と同じキリンビールのスポンサードネットとなった。

ブロックネット

本社が渡辺通にあった頃にネットされていたTBSテレビ系の番組

◇は本社が百道浜に移転してからもしばらく放送。☆は現在も放送中。

TVQ開局まで放送されていたテレビ東京系の番組

深夜アニメ

(※UHFアニメのみ)

TBS・MBSなどJNN系列のアニメに関してはTBS系アニメを参照。

上記以外の過去の放送番組

主な受賞作品

文化庁芸術祭賞

  • 2002年度テレビ部門大賞
    • 炭鉱美人〜闇を灯す女たち〜
  • 2008年度テレビ部門優秀賞
    • 母は闘う〜薬害肝炎訴訟原告 〜山口美智子の20年〜

スタジオ

テレビスタジオ

  • T-1スタジオ(120坪 汎用)地下1階
    • 現在放送中の番組 日曜もシエスタ・中継番組の受けサブ
    • 過去に放送されていた番組 今日感テレビ(日曜版含む)・探検!九州 豆ごはん・まちプリ
  • T-2スタジオ(65坪)1階
  • ニューススタジオ 1階報道センター内
    • 現在放送中の番組 RKBヘッドラインニュース
    • 過去に放送されていた番組 ウォッチ@24

ラジオスタジオ

  • R-Aスタジオ 1階 生ワイド用 ガラス張りでロビーから見学可 ライブカメラでHPに公開
  • R-Bスタジオ 2階 生ワイド用
  • R-Cスタジオ 2階
  • R-Dスタジオ 2階 録音用
  • Rニューススタジオ[26] 1階報道センター内 ラジオニュース用アナウンスブース

サテライトスタジオ

アナウンサー

現在

報道制作センターアナウンス部所属

〇は福岡県出身。全員が アナウンススクール 講師兼務。

男性

女性

スポーツ部所属

2023年の社内組織改編を機に、アナウンス部に所属していた以下のスポーツアナウンサーが、アナウンス職のままスポーツ部へ異動している。

契約・派遣アナウンサー

  • 久家佳子
  • 堤千春
  • 小野愛梨(元大分放送記者キャスター、2023年4月 - )
  • 竹井りさ

過去

他部署所属

男性
  • 1983年 坂口卓司(-2006年。同年10月以降は制作業務メイン)
  • 1989年服部義夫(元アナウンス部長。)
  • 1996年 櫛山道太(-時期不詳。その後はラジオ制作部のプロデューサーとして活動)
  • 1998年 桐田穣(-時期不詳。くまもと県民テレビより移籍。2022年時点ではスポーツ事業担当部長)
  • 2001年 今林隆史(-時期不詳。その後は報道部の記者として活動)
  • 2002年 岩谷源一(-時期不詳。スポーツ部へ異動)
女性
  • 1981年 安田瑞代(-2014年、その後は番組制作プロデューサーとして活動)
  • 1989年 大村由紀子(-時期不詳。報道・制作など裏方で活動中)
  • 1993年田中みずき(-2024年6月。ラジオ番組は引き続き出演予定。)
  • 1996年 高藤秋子(-時期不詳。現・JNN北京支局)
  • 山田尚(事業部長に就任)

退職

※はアナウンス部長経験者。●は故人。

男性
  • 1951年開局時
    • 鬼塚篤敬(-時期不詳。元・台湾放送協会。ラジオ九州第一声を担当)
  • 1954年
  • 1957年
    • 杉山明男(-時期不詳)
    • 水野雅央(-時期不詳。大学教授に転身)
  • 1959年
    • 大関正矩(-時期不詳)
  • 1960年
    • 林幹雄●(-1990年。2020年10月17日に死去)
  • 1961年
    • 渡辺篤(-時期不詳)
  • 1963年
    • 井上悟(-1999年。別名:井上里瑠・井上サトル。後にRKBの関連会社であるRKB興発の代表取締役社長を務めた。令和元年までRKB朋友会(退職者の会)会長を務めた)
    • 山下忠道(-時期不詳)
  • 1964年
    • 中村基樹(-1997年。フリーアナウンサーに転身)
  • 1965年
    • 村瀬忠幸(-時期不詳)
  • 1967年
    • 隈部崇之(-2001年。フリーアナウンサーに転身)
  • 1968年
    • 中村靖(-時期不詳)
    • 丸木素(-時期不詳。後に北九州支局長に就任)
  • 1970年
    • 小泉大※●(-2000年前半)
    • 安藤豊(-2006年。2009年までは嘱託職で在籍し、その後は専属パーソナリティとしてラジオに出演)
  • 1972年
  • 1974年
  • 1981年
    • 四家秀治(-1990年。フリーアナウンサーを経て、テレビ東京に入社。2011年に退社し、再びフリーアナウンサーとなる)
  • 1990年
  • 1994年
    • 村上健太(-時期不詳)
  • 2002年
  • 2014年
    • 三好ジェームス(-2022年。沖縄テレビから移籍。2022年6月に営業部へ異動した後、2023年7月末に退社。退社後、放送関係以外の業種の企業に入社した)
  • 2015年
    • 佐藤巧(-2023年3月。フリーアナウンサーに転身)
入社年度不明
女性
  • 1952年
    • 桜井淑子(-時期不詳)
  • 1953年
    • 井上加寿子(-1959年。フリーアナウンサーに転身)
  • 1961年
    • 古山和子(-時期不詳)
  • 1967年
    • 林田スマ(-1971年。フリーアナウンサーに転身)
  • 1969年
    • 松村啓子(-時期不詳)
  • 1974年
    • 入江治美(-時期不詳)
  • 1975年
  • 1976年
    • 百済英子(-時期不詳)
    • 中川ゆう子(-時期不詳)
  • 1978年
    • 綾戸美鶴(-時期不詳)
    • 野川真理(-時期不詳)
    • 岡北理恵子(-時期不詳)
    • 山下奈緒美※(-2015年、秘書室所属を経て退社)
  • 1979年
    • 林田弓子(-時期不詳)
    • 結城真佐子(-時期不詳)
  • 1981年
    • 古賀和子(-2018年。ラジオ局編成制作部担当部長を務めた後に退社)
  • 1990年
    • 斉藤絹子(-2006年。2014年からフリーアナウンサー)
    • 富永倫子(-2011年。その後はパーソナリティとしてラジオに出演)
  • 1992年
    • 石川伸子(-時期不詳。フリーアナウンサーとして活動したのちに放送関係以外の業種の企業に入社)
  • 1994年
    • 森美奈子(-時期不詳。その後は子会社RKBミューズに箱を置き、土日を中心に夜間のテレビニュースを担当した後に退社)
    • 梁井久美(現姓・中西)(-1996年。フルート奏者に転身した後、リポーターとして2006年に現場に復帰した)
  • 1997年
  • 1998年
    • 岡佳奈(-2003年。その後は中国放送でアナウンサーを務め、2006年3月末で退社)
  • 2005年
  • 2013年
    • 福田典子(-2016年。その後はテレビ東京でアナウンサーを務め、2024年3月末で退社。現在はベンチャー企業の社員兼フリーアナウンサー)
    • 壽老麻衣(-2018年。同年からフリーアナウンサー)
  • 2019年
    • 辻満里奈(-2022年。フリーアナウンサーに転身)
入社年度不明
  • 青山恭子
  • 伊藤ユキ子(1978年の渡英までに在籍)
  • 金川泰子
  • 川添雅代
  • 清川光代
  • 古賀朋子
  • 下川淑子
  • 高巣玲子
  • 田崎香織
  • 手嶋玲子
  • 永田美穂子
  • 中村いく子
  • 永田啓子
  • 西藤文子
  • 浜田令子
  • 船津達子
  • 三角真弓
  • 森和子
  • 森田美智子
  • 森山京子
  • 山中多恵美
  • 吉住広美

派遣・契約

アナウンサー以外

脚注

注釈

出典

関連項目

外部リンク