PFKロコモティフ・プロヴディフ

ブルガリアのサッカークラブ

プロフェシオナレン・フドボレン・クルプ・ロコモティフ1926プロヴディフブルガリア語: Професионален Футболен Клуб Локомотив 1926 Пловдив)は、ブルガリアプロヴディフをホームタウンとするサッカークラブである。

ロコモティフ・プロヴディフ
原語表記Професионален футболен клуб Локомотив 1926 Пловдив
愛称Смърфовете (The Smurfs)
Железничарите (The Railwaymen)
クラブカラー白・黒・赤[1]
創設年1926年
所属リーグファーストリーグ
ホームタウンプロヴディフ
ホームスタジアムロコモティフ・スタジアム
収容人数10,000
代表者ブルガリアの旗 フリスト・ボネフ
監督ブルガリアの旗 アレクサンダル・トマシュ
公式サイト公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

歴史

クラブのルーツはスポルテン・クルブ・カラジャが創設された1922年春まで遡る。カラジャは1924年にプロヴディフで行われた最初の公式サッカー選手権に参加し、2部で優勝した。1926年7月26日[注 1]、カラジャと1924年創設のアトレティクが合併し、スポルトクルブが創設された。[2]

スポルトクルブは1936年に1部で初優勝した。1938年、1937年に創立され、10チームで争われたナツィオナルナ・フトボルナ・ディヴィジヤに参加した。1940年に終了後は、1944年までプロヴディフ州のリーグ戦に参加、1940年と1942年にはツァルスカ・クパで準優勝した。[3]

1945年にパルチェヴィチなどと合併し、スポルトクルブ=パルチェヴィチ1945となったが、すぐにスラヴィヤに改称された。オリジナルであるスポルトクルブの名前が復活しなかったのは、この名前がブルガリアのスポーツの発展に貢献した西側諸国(ドイツ)に関連する言葉であったことが主な理由だと考えられている。事実として、1944年の新政権誕生以降、ブルガリアのサッカーでは「スポルトクルブ」や「アトレティク」などの西ヨーロッパに関連するクラブ名は存在しなかった。1947年にP.チェンゲロフと合併し、スラヴィヤ=チェンゲロフとなったが、長く続かず、再びスラヴィヤの名前が復活した。[3]

スラヴィヤはプロヴディフから唯一、1948年創立のAグループに初年度から参加し、1948年10月10日に行われたTVPヴァルナ戦でデビューした[4]。同年、ソビエト・アーミー・カップで準優勝した[5]

1949年10月にロコモティフと合併し、DSOエネルギヤとなったが、数日後にDSOトルペドに改称された[4]。ロコモティフは1935年に鉄道スポーツクラブZSKとして創設された[5]。1944年末にレヴスキと合併し、ZSKレヴスキとなったが、1年後に合併は解消され、ロコモティフとなっていた[5]。1951年にクラブから運送業者組合のDSOトルペドが取り除かれ、DSOロコモティフとなった[4]。DSOロコモティフは継続してAグループに参加し、DSOトルペドは3部に参加した[4]。1957年春にDFSロコモティフに改称された[6]。また、DSOトルペドとDSOセプテムヴリが加わった[6]

1960年にソビエト・アーミー・カップで準優勝した。1968-69シーズンにAグループで初めてトップ3に入り、1972-73シーズンには2位になった。1971年、1982年にもカップ戦で準優勝し、7回目の挑戦となった1983年に初優勝した[注 2][8]

2001年にVAI投資持株会社のオーナーでFKヴェルブジド・キュステンディル会長のゲオルギ・イリエフに買収され、ゲオルギ・イリエフが新会長に就任した[9]。同年7月23日にロコモティフとヴェルブジドは合併し、PFKロコモティフ1936となり[10]、ゲオルギ・イリエフが会長に就任した[11]。ロコモティフはヴェルブジドに代わり、Aグループに参加した[9]

2003-04シーズンにAグループ初優勝[12]、2004年にはブルガリア・スーパーカップでも優勝した[8][13]

2005年8月25日、ゲオルギ・イリエフ会長はUEFAカップ 2005-06予選2回戦のOFKベオグラード戦の勝利を祝うために訪れていた黒海のリゾート地サニービーチで銃撃され、死亡した[14][15]。10年後の2015年、ゲオルギ・イリエフに敬意を表し、生前に会長を務めたヴェルブジドとロコモティフの試合が行われた[16]

2011年、クラブが1926年に創設されたことが文書で証明されたため、2011-12シーズンからPFKロコモティフ1926に改称された[17]

2012年にブルガリア・カップで準優勝し[18]、スーパーカップでも準優勝した[19]

2019年にブルガリア・カップで初優勝果たし翌年も優勝し連覇を達成した。

獲得タイトル

国内タイトル

国際タイトル

  • なし

過去の成績

シーズンディビジョンブルガリア・カップ
リーグ順位
2005-06Aグループ5位2811710434240ベスト32
2006-07Aグループ7位3013413474443準決勝敗退
2007-08Aグループ9位3012711372843準々決勝敗退
2008-09Aグループ6位3012711404343ベスト32
2009-10Aグループ12位309615365233ベスト32
2010-11Aグループ5位3014106542852準々決勝敗退
2011-12Aグループ6位301767443957準優勝
2012-13Aグループ9位3010911373439ベスト32
2013-14Aグループ7位3815518495550準決勝敗退
2014-15Aグループ10位329518285232準決勝敗退
2015-16Aグループ5位3215414404549ベスト16
2016-17ファーストリーグ5位36141012505252準々決勝敗退
2017-18ファーストリーグ8位36111114354844ベスト16
2018-19ファーストリーグ10位3410816374038優勝
2019-20ファーストリーグ5位311588533553優勝
2020-21ファーストリーグ2位3117104482361準々決勝敗退
2021-22ファーストリーグ9位3291112364338準々決勝敗退
2022-23ファーストリーグ

欧州の成績

歴代監督

  • エドゥアルド・エラノスヤン (2003-2005)
  • アヤン・サダコフ (2005-2006)
  • イヴァン・マリノフ (2006-2007)
  • ヤーセン・ペトロフ (2007-2008)
  • ドラギ・カナトラロフスキ (2008)
  • アヤン・サダコフ (2008-2009)
  • イヴァン・マリノフ (2009)
  • ステファン・ゲノフ (2009)
  • ナジ・シェンソイ (2009-2010)
  • フリスト・ボネフ (2010)
  • ネデルチョ・マトゥシェフ (2010-2011)
  • サシャ・ニコリッチ (2011)
  • ドラギ・カナトラロフスキ (2011)
  • エミル・ヴェレフ (2011-2012)
  • ステファン・ゲノフ (2012-2013)
  • アレクサンダル・スタンコフ (2013-2014)
  • エミル・ヴェレフ (2014)
  • ネデルチョ・マトゥシェフ (2014)
  • フリスト・コレフ (2014-2016)
  • イリアン・イリエフ (2016)
  • エドゥアルド・エラノスヤン (2016-2017)
  • ヴォイン・ヴォイノフ (2017)
  • ブルーノ・アクラポヴィッチ (2017-2020)
  • アレクサンダル・トゥンチェフ (2020-2022)
  • アレクサンダル・トマシュ (2022-)

出典: loko-pd.com

歴代所属選手

脚注

外部リンク