B・C・フォーブス
バーティー・チャールズ・フォーブス(Bertie Charles Forbes、1880年5月14日 - 1954年5月6日)は、スコットランド系アメリカ人の金融ジャーナリスト・著述家であり、経済誌『フォーブス』を創刊した[1]。
バーティー・チャールズ・フォーブス | |
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Bertie Charles Forbes | |
![]() B・C・フォーブス(1917年頃) | |
生誕 | Bertie Charles Forbes 1880年5月14日 ![]() |
死没 | 1954年5月6日 (73歳没)![]() |
国籍 | ![]() ![]() |
出身校 | セント・アンドルーズ大学ダンディー・ユニバーシアード・カレッジ |
職業 | ジャーナリスト、著述家、出版者 |
配偶者 | Adelaide Mary Stevenson (1896-1954) |
生涯
スコットランドのアバディーンシャー州ニューディアーで10人兄弟の1人として生まれた。父はホワイトヒルで小売商兼仕立屋をしていた[2]。
セント・アンドルーズ大学ダンディー・ユニバーシティ・カレッジ(後にダンディー大学として独立)を卒業した後、1897年に地元の新聞社に入社して記者や論説委員として働いた。1901年に南アフリカのヨハネスブルグに移り、『ランド・デイリー・メール』紙で初代編集長エドガー・ウォレスのもとで働いた[3]。1904年に渡米してニューヨークに住み、『ジャーナル・オブ・コマース』誌で金融担当の記者兼編集者を務めた後、1911年にハースト社の新聞部門に入社して配信コラムを担当した。2年後にハースト社を退社し、『ニューヨーク・アメリカン』紙で経済編集者を務めた。
1916年に『ニューヨーク・アメリカン』紙を辞め、1917年に『フォーブス』を創刊した。1954年にニューヨークで亡くなるまで編集主管を務めたが、晩年は息子ブルース・チャールズ・フォーブス(1916-1964)とマルコム・スティーブンソン・フォーブス(1919-1990)が補佐した。
1942年に投資家連盟(Investors League)を創設した。
1954年5月6日にニューヨークで死去した[1][4]。1988年[2]に遺体が故郷のスコットランドに戻され、アバディーンシャー州ニューディアのヒル・オブ・カルシュにあるニューディア教会の墓地に埋葬された。
スコットランドから離れて暮らしていたときでも、2年に1度はアバディーンシャーに戻り、クルーデン・ベイ・ホテルに宿泊して「ホワイトヒルの人々をピクニックでもてなす」ことをしていた。この伝統は、1987年に息子のマルコムが復活させた[2]。
著書
- Finance, Business and the Business of Life (1915)
- Men Who Are Making America (1917)
- Forbes Epigrams (1922)
- Men Who are Making the West (1923)
- Automotive Giants of America (1925)
- How to Get the Most Out of Business (1927)
- 101 Unusual Experiences (1952)
- America's Twelve Master Salesmen (1952)
脚注
参考文献
- McKean, Charles (1990), Banff & Buchan, Royal Incorporation of Architects in Scotland, ISBN 978-1-85158-231-0
外部リンク
- B・C・フォーブスに関連する著作物 - インターネットアーカイブ
- Online Books by B. C. Forbes at The Online Books Page
- Bertie Charles Forbes papers at Syracuse University Special Collections Research Center