2000年シドニーオリンピックの野球競技・日本代表

2000年シドニーオリンピックにおける野球競技およびそれに出場した日本代表チーム

2000年シドニーオリンピックの野球競技・日本代表(2000ねんシドニーオリンピックのやきゅうきょうぎ・にっぽんだいひょう)は、2000年シドニーで開催されたシドニーオリンピックの野球競技に出場する野球日本代表選手を編成したチームのことである。

2000年シドニーオリンピックの野球競技・日本代表
大会名2000年シドニーオリンピックの野球競技
日程2000年9月17日 - 24日
成績4位
監督大田垣耕造
 < 19962004 > 
テンプレートを表示

概要

国際オリンピック委員会(IOC)の方針でプロ野球選手の出場が解禁となったことから、プロ野球選手をどの程度選出するか議論が起こり、パシフィック・リーグは1球団1人を選出することで合意が得られたが、セントラル・リーグからは6球団で2人しか選出されなかった。オリンピックに対する選手の受け止めも様々で、出場に前向きな選手がいた反面、イチローは、「興味がない」と発言していた[1]

また、予選では選出されていた古田敦也の扱いをめぐって、日本野球機構側と日本野球連盟側との間に軋轢が生じるなどの混乱が生じた。全員が顔を合わせたのはシドニーに入ってからであり[2]、さらにオールアマ時代には当たり前であった代表合宿は行われず、大会中もアマ選手は選手村、プロ選手はホテル暮らしの区別があり、練習と試合の時しか顔を合わせない状況が生まれ、結果としてチームの一体感が生まれなかった。

選手24人のうち大学生は5人、社会人は11人、プロは8人の構成であり、オリンピック代表チームとしては唯一のプロ・アマ混合チームとなった。

日本は、初戦の対アメリカ合衆国戦でサヨナラ負けし、続いてキューバと韓国に敗れるなど予選リーグから苦戦し、予選を通過したものの4勝3敗の4位だった。準決勝ではキューバの前に完封負けを喫し、ロサンゼルスから続いた連続メダル獲得を賭けた3位決定戦では、韓国のエース具臺晟松坂大輔の投げ合いで0-0の均衡が続いていたが、終盤に松坂が韓国の主砲イ・スンヨプに決勝タイムリーを打たれて1-3で敗れた[3][4][5]。野球が盛んな国には全敗し、五輪では初めてメダルを逃す大会となった。試合後には、涙を流す選手もいた[2][5][6][7]

代表メンバー

所属は選出当時。

背番号氏名所属チーム備考
監督30大田垣耕造 東芝
コーチ33林裕幸 日石三菱
34野村収投手コーチ
35長崎慶一打撃コーチ
投手11土井善和 日本生命
12河野昌人 広島東洋カープ
13渡辺俊介 新日本製鐵君津
14吉見祐治 東北福祉大学
15石川雅規 青山学院大学
16山田秋親 立命館大学
17杉内俊哉 三菱重工長崎
18松坂大輔 西武ライオンズ
19杉浦正則 日本生命
54黒木知宏 千葉ロッテマリーンズ
捕手2鈴木郁洋 中日ドラゴンズ
21阿部慎之助 中央大学
22野田浩輔 新日本製鐵君津
内野手3松中信彦 福岡ダイエーホークス
4平馬淳 東芝
5中村紀洋 大阪近鉄バファローズ
6田中幸雄 日本ハムファイターズ
8沖原佳典 NTT東日本
9野上修 日本生命
外野手1田口壮 オリックス・ブルーウェーブ
10梶山義彦 三菱自動車川崎
24飯塚智広 NTT東日本
25廣瀬純 法政大学
26赤星憲広 JR東日本

シドニーオリンピックの戦績

リーグ対戦相手結果備考
予選リーグ アメリカ合衆国2-4x延長13回
オランダ10-2
オーストラリア7-3
イタリア6-1
南アフリカ共和国8-0
韓国6-7
キューバ2-64位通過
準決勝 キューバ0-3
3位決定戦 韓国1-34位決定

シドニーオリンピックアジア地区予選兼第20回アジア野球選手権の戦績

※会場は蚕室総合運動場野球場。1999年9月11日から16日にかけて開催。

リーグ対戦相手結果備考
予選リーグ フィリピン10-0
チャイニーズタイペイ9-11位通過
決勝リーグ チャイニーズタイペイ2-1
中国3-0
韓国3-5準優勝、シドニー五輪出場権獲得

予選時に選出されていたプロ野球選手

シドニー五輪アジア地区予選を兼ねた第20回アジア野球選手権大会に、初めてプロ野球選手が日本代表に選出された。このうち松坂と松中は本大会でも代表に選出されている。

脚注

関連項目

外部リンク