1987年のル・マン24時間レース

1987年のル・マン24時間レース
前年:1986翌年:1988

1987年のル・マン24時間レース24 Heures du Mans 1987 )は、55回目のル・マン24時間レースであり、1987年6月13日[1]から6月14日[1][2]にかけてフランスのサルト・サーキットで行われた。

1987年のコース

ポスターの絵柄はジャガーであった[2]

概要

ヨーロッパでは不況が深刻化しつつあり、モータースポーツ界にも影響が出始めていた[3]。それに引き換え日本のモータースポーツ界ではフォーミュラ1ホンダが快進撃を見せ、ロータスから日本人ドライバー中嶋悟が出場[3]鈴鹿サーキット日本グランプリが開催されるなど一般からの注目が大きくなり、日本の自動車メーカーがレースに重点を置くようになっていた[3]。ル・マン24時間レースにはマツダトヨタニッサンと3つの自動車メーカーが参戦、お互いが意識して入れ込みがエスカレートしていた[3]

ポルシェはその黄金時代に影が差し始めた印象があった。ワークスは世界耐久選手権に全水冷[2]の935/83型[2]3リットル[4]エンジンを用意したがジャガーの前に歯が立たなかった[4]。ル・マン24時間レースにはいつものようにポルシェ・962Cを3台持ち込んだが、レース予算が限られておりスペアカーはなかった[3]。プライベートチームによる参戦も減った[3]

ジャガーは6,900cc[5][2]エンジンを搭載して世界耐久選手権を席巻、シーズン開幕以来4連勝となっていた[3][4]。5月上旬のル・マン・プラクティスでは1、3、5位のタイムをマークしポルシェ勢に圧力をかけた[2]。ただル・マンで勝利しないと真のスポーツカー王者と扱われないため、ル・マンでの勝利を見ようとイギリスから多数のレースファンが詰めかけた[4]。予想では本命と言い切る人が相当数いた[2]

メルセデス・ベンツのエンジンを積むザウバーV型8気筒の5リットルターボエンジンを積む新車体を開発、戦力アップを図った[3]

マツダが持ち込んだのは基本的には前年型と同じマツダ・757であるが、前年の全滅を会長の山崎芳喜が現地で見ていて激怒した[4]ことを受け、レース用エンジン設計部門が1.5人[注釈 1]から3人に倍増されるなどレース部門が強化された[4]。シャシの改良[4]、車体軽量化[6]、エンジン信頼性向上[6]など徹底的に改良され[4]前回起きたドライブシャフトの折損の原因も焼き入れ不足と判明したので対策された[6]。しかし1987年1月ラッキーストライクが突然スポンサーから降りてしまったため[4]、スポンサーなしで走ることになった[4]。改良の結果、ル・マンに向けて日本車の最終テストの場となった5月3日の富士1000kmでも4位入賞を果たした[4]

日産自動車1986年のル・マン24時間レースで初出場完走が国内で大きな反響を呼び[4]、上位入賞を狙うこととなった。目標を9位に設定[6]、自社製エンジンVEJ30型を新たに開発、富士スピードウェイで12月18日公開テストが行われた。しかし公表スペック「重量165kg、出力700PS/9,600rpm」はでたらめに近く、実際にはクラッチを外した状態ですら230kgもあり、出力は600PSをわずかに上回る程度でしかなかった。また燃費に関しては1.3km/リットルしか走らない悲惨なものだった。ニスモは本社に改善要求をしたが実施されず、ニスモの柿元邦彦が自分でターボと排気系を改良して燃費が1.6km/リットルまで向上[4]、これで完走の目処だけは立ったものの、トルクバンドが狭くなってしまった[4]。ニスモはVEJ30型のあまりの酷さに音を上げ、前年同様VG30型での参加を主張したが、本社エンジン開発部門に押し切られることとなった[4]。ニスモ監督難波靖治は本社に対するあてつけでチーム・ルマンの花輪知夫にVG30型を搭載した車両での参加を要請した[4]。前年にマツダスピードの大橋に教えられた通り最終テストとしてシルバーストンに車両を持ち込んだが、ここで次々にエンジンが壊れ、ル・マン予選・決勝用のエンジンまで全部使い果たしてしまった[4]

この年からトヨタはワークス体制[6][3]となり、ミノルタデンソーをスポンサーにつけ、資金と体制を大幅に強化した[3]トムスは順調で、大物ドライバーアラン・ジョーンズと契約[3]し、童夢から大国正浩を引き抜き[4]トヨタ・87Cを新たに開発した。前年使用した2バルブDOHC4A-GT型エンジンに代え[6]、4バルブ化し遥かに出力向上されたトヨタ3S-GT型2,140cc[6]エンジンを東富士第十二技術部の山口武久が製作[4]した。エンジンの出来は良く、富士1000kmで優勝[4]するなどし、ポルシェを撃破するものと期待が寄せられた[4]。決勝用エンジンの排気マニホールドには「5位以内の入賞を祈ります」とのアルミプレートが貼られていたという[4]

出走は48台[1][7]

予選

この年は例年にもましてガソリンが粗悪[6][4]で、「露骨なターボつぶしだ」との噂がサーキット中で囁かれた[4]ほどで、この点でもノンターボのジャガーに有利であった[4]。雨が降り、タイムアタックの時間はあまり取れなかった[6]

ワークスポルシェが予選ブースト850PS[2]とも言われる大出力を生かして17号車と18号車で[2]フロントローを占めた[3]ものの、19号車をクラッシュで[3]全損[2]させてしまい、決勝に出られるのは2台となった[3]。また予選でタイムが伸びないノンターボ車であるジャガーとの差はわずか3秒で、逆にジャガー有利を周囲に印象づけた[4]

日産自動車のVEJ30型エンジンは国内テストでもまともに走らなかったままルマンに持ち込まれており[6]、燃料が粗悪だったことも災いしてトラブルが続出[6]し、結局各車両3基とスペア1基の計7基全てがトラブルに見舞われ[6]、決勝を前に使えるエンジンがなくなってしまい[4]、エンジンを分解し使える部品を組み合わせて決勝用エンジンを作り上げる作業を、休日であるはずの決勝前日を含め2日にわたる徹夜作業ですることになった[6][4]。ドライバーはその作業を見せられ「2時間持てばいい」「明日は6,800回転で」と言われている[4]チーム・ルマンは不運な接触事故に見舞われ、修理してタイムアタックに出る時には土砂降りになっており、タイムが出なかった[4]

トヨタもガソリンが粗悪だったことでトラブルは出たが、3分34秒45で予選14位と3分34秒89で予選16位[6]、日本車の中では最高位であった[6]関谷正徳は同棲していた恋人と結婚式を挙げようと考えていたが宗教上の理由で使わせてくれる式場がなかなかなく、最終的に予選2日目に遠来のドライバーのためル・マン市長がル・マン市役所の式場を使わせてくれることが決まり、無事結婚式を挙げた[4]。この式はレース仲間、テレビ局、新聞社などから熱烈な祝福を受け、トムスのメカニックも作業の合間を縫って参列した[4]

マツダは日本出発前に決定されたスケジュールをこなすだけで、本格的なタイムアタックはしなかった[4]

決勝

ウォームアップが始まる頃にはジャガーの優勝を期待するイギリス人がグランドスタンドの一画を埋め尽くし、他の国のファンが近寄ることさえできない異様な雰囲気となった[4]。ガソリンのオクタン価は予選よりさらに低く粗悪であった[3]

雨交じりの天候でスタートしスリックタイヤを履く車両が一時後退、インターミディエイトを履くポルシェとジャガーが順位争いを続けた[2]

トヨタはリザーブタンクに関してアラン・ジョーンズとの打ち合わせが上手く行っておらずわずか1時間15分でガス欠にてリタイア[6]、もう一台も水温上昇に悩まされてピットインを繰り返し[6]、ターボのウェイストゲートバルブに穴をあけターボを効かない状態にするまでしたがヘッドガスケットが吹き抜け、4時間半で全滅するという屈辱的な結果に終わった[4]

日産はトラブルを抱えながらも23号車が意外なほど走り、夜中の段階では12位まで順位を上げた。チーム・ルマンはクラッシュでリタイアしたため、期待がこの車両に集まった。ドライバーは自主的に6,600rpmに抑えた[4]。結局朝を迎えてエンジントラブルでリタイアとなったが「4時間持てば良い」と誰もが思っていたチーム内に敗北感はなかったという[4]

優勝候補の一角とされていたヨースト・レーシングクレマー・レーシングのポルシェがピストンに穴が開くエンジントラブルを起こし、1時間でリタイヤ[2]。次の1時間でヨーストのもう1台とワークスポルシェ18号車がエンジントラブルでリタイヤとなった[2]。これでジャガーの優勝は確定したかに思え、皆の興味は「どのジャガーが勝利するか」に集まり[2]フォーミュラ1ドライバーをずらりと揃えたジャガー陣営は僚友同士で激しい順位争いを始めた[2]

しかしヨーストポルシェの異変の段階で問題を察知していたポルシェ監督ノルベルト・ジンガーはワークスポルシェ18号車を調査させてガソリン品質が低いのが原因であると解明しワークスポルシェ17号車の制御プログラムを書き換えて対応、逆に夜になってから猛烈にペースアップして首位に出た[2]

そのままでは規定燃料を使い果たしてしまう状況であったが、夕方からの雨で燃費の制約は緩くなっていた[2]。さらに2時46分[8]ジャガー5号車[8]がユーノディエールを350km/hで走行中に右後タイヤをバースト[8]させる事故が起きた。自動車はバラバラになってコクピットしか残らない状態であり、乗っていたウィン・パーシー[8]は奇跡的にほとんど無傷であったが、2時間以上ペースカーが入り、この結果ポルシェは終盤までガス欠を恐れずペースアップできることになった。ジャガー監督のトム・ウォーキンショーは残り2台でさらにポルシェを追いかけさせたがジャガー6号車はエンジンのヘッドガスケットを破損し[2][8]リタイヤ[8]、ジャガー4号車は冷却系統にトラブルを発生させて長いピット作業に入り脱落、ジャガー優勝の可能性はなくなった[4]。その後残った4号車はオイルポンプ、トランスミッション[8]、サスペンションにもトラブルが発生、コースの至るところでスロー走行しては這うようにピットに帰り、修理してはピットアウトし、ボロボロでそれでも最後まで走行した[4]。ジャガーファンは熱狂してピットアウトを見送った。

結果

完走は12台[7]

ハンス=ヨアヒム・スタック/デレック・ベル/アル・ホルバート[1][7][8]ポルシェ・962C[1][8]、17号車[1]が24時間で4791[1].777[2][8][注釈 2]を平均速度199.657km/h[1][8]で走り優勝した[1][8]。ポルシェの総合優勝は7回連続の12回目[8]

ジャガー陣営の最上位はエディ・チーバー/ラウル・ボーセルヤン・ラマース[8][2]ジャガー・XJR-8LM[2]の4号車[8][2]で、24時間で4394.891km[8][2]を平均速度183.121km/h[8]で走り5位[2]であった。

マツダは性能に絶対的な自信を持っており、徹頭徹尾攻めさせ、201号車がエンジントラブル[6]でリタイヤしたが、トラブルなく走り切った[6]202号車が日本車初のベスト10入り[6]となる7位入賞[6]を遂げた。

順位クラス号車チームドライバーシャシタイヤ周回数
エンジン
1C117[2] ロスマンズ・ポルシェポルシェ・962C[2]D355
ポルシェ・935/83型[2]3.0リットル[2]水平対向6気筒ターボ
2C172[2] プリマガス・コンペティション
  • ユルゲン・ラシック[2]
  • ピエール・イベール[2]
  • ベルナール・ド・ドライヴァー[2]
ポルシェ・962C[2]G335
ポルシェ・935型2.8リットル水平対向6気筒ターボ
3C113[2] プリマガス・コンペティションクーガー・C20[2]M332
ポルシェ・935型2.8リットル水平対向6気筒ターボ
4C111[2] ポルシェ・クレマー・レーシングポルシェ・962C[2]Y327
ポルシェ・935型2.8リットル水平対向6気筒ターボ
5C14[2]ジャガー・XJR-8LM[2]D325
ジャガー[5]・6,900cc[5]V型12気筒[5]
6C2111[2] スパイス・エンジニアリング
スパイス[2]・SE86CA321
フォードコスワース・DFL型3.3リットルV型8気筒
7GTP202[2] マツダスピードマツダ・757[2]D319
マツダ13G型1,962cc3ローター
8C2102[2] エキュリー・エコッセエコッセ・C287[2]Y308
フォードコスワース・DFL型3.3リットルV型8気筒
9C2121[2] コスミックGPモータースポーツ
タイガ・GC287[2]G275
フォードコスワース・DFL型3.3リットルV型8気筒
10C2114[2] チーム・タイガ・フォード・デンマーク
タイガ・GC287[2]A272
フォードコスワース・DBT-E型2.3リットル直列4気筒ターボ
11C2177[2] オトモビル・ルイ・デカルト
  • ジャック・ユクラン[2]
  • ドミニク・ラコー[2]
  • ルイ・デカルト[2]
ALD・C03[2]A270
BMW・M88型3,453cc直列6気筒
12C140[2] グラフ・レーシング
ロンドー・M482[2]G260
フォードコスワース・DFL型3.3リットルV型8気筒
13
NC
C2127 チェンバレン・エンジニアリング
  • ニック・アダムス
  • グラハム・ダクスベリー
  • リチャード・ジョーンズ
スパイス・SE86CA240
ハート・418T型1.8リットル直列4気筒ターボ
14
NC
C2178 オトモビル・ルイ・デカルト
  • ミシェル・ラテステ
  • ジェラール・トランブレイ
  • Sylvain Boulay
ALD・02A236
BMW・M88型3,453cc直列6気筒
15
DNF
C2181 デューン・モータースポーツ
  • ニール・クラング
  • ジャン・クルッカー
  • ダンカン・ベイン
タイガ・GC287A260
ローバー・V64V型3.0リットルV型6気筒
16
DNF
C2108 ローランド・バサラー
  • ジャン=フランソワ・イヴェール
  • Yves Hervalet
  • Hervé Bourjade
ザウバー・SHS C6A257
BMW・M88型3,453cc直列6気筒
17
DNF
C16ジャガー・XJR-8LMD231
ジャガー・6,900cc[5]V型12気筒[5]
18
DNF
C2123 Charles Ivey Racing
  • ジョン・クーパー
  • トム・ドットノーブル
  • マックス・コーエンオリバー
タイガ・GC287G224
ポルシェ・935型2.6リットル水平対向6気筒ターボ
19
DNF
C2116 ルイジ・タベルナ・テクノレーシング
  • ルイジ・タベルナ
  • エヴァン・クレメンツ
  • パトリック・トゥルッコ
アルバ・AR3A219
フォードコスワース・DFL型3.3リットルV型8気筒
20
DNF
GTX203 ロスマンズ・ポルシェ
  • ルネ・メッジ
  • クロード・ハルディ
  • キース・ニーロップ
ポルシェ・961D199
ポルシェ・935型2,848cc水平対向6気筒ターボ
21
DNF
C123 ニスモ日産・R87EB181
日産自動車・VEJ30型3.0リットルV型8気筒ターボ
22
DNF
C2103 ジョン・バートレット・レーシング
  • ティム・リー・デイビー
  • ロビン・ドノヴァン
  • レイモンド・ブーティナウ
Bardon・DB1/2A172
フォードコスワース・DFL型3.0リットルV型8気筒
23
DNF
C2125 Vetir Racing Team
  • ジャン=クロード・ジャスティス
  • Patrick Oudet
  • ブルーノ・ソッティ
タイガ・GC85A164
フォードコスワース・DFL型3.3リットルV型8気筒
24
DNF
C15
  • シルクカット・ジャガー
  • トム・ウォーキンショー・レーシング
ジャガー・XJR-8LMD158
ジャガー・6,900cc[5]V型12気筒[5]
25
DNF
C2198 ロイ・ベーカー・レーシング
  • デイビッド・アンドリュース
  • マーク・ピータース
  • マイク・アリソン
タイガ・GC286A139
フォードコスワース・DFL型3.3リットルV型8気筒
26
DNF
C2101 エキュリー・エコッセ
エコッセ・C286Y135
フォードコスワース・DFL型3.3リットルV型8気筒
27
DNF
C161 クーロス・レーシングザウバー・C9M123
メルセデス・ベンツ・M117型5.0リットルV型8気筒ターボ
28
DNF
C13 ブルン・モータスポーツ
ポルシェ・962CM120
ポルシェ・935型2.8リットル水平対向6気筒ターボ
29
DNF
C132 ニスモ日産・R87ED117
日産自動車・VEJ30型3.0リットルV型8気筒ターボ
30
DNF
C115 リキモリエキップポルシェ・962C GTiG112
ポルシェ・935型2.8リットル水平対向6気筒ターボ
31
DNF
C11 ブルン・モータースポーツ
ポルシェ・962CM88
ポルシェ・935型2.8リットル水平対向6気筒ターボ
32
DNF
C129 伊太利屋スポーツ日産・R86VY86
日産自動車・VG30ET型3.0リットルV型6気筒ターボ
33
DNF
C12 ブルン・モータースポーツポルシェ・962CM40
ポルシェ・935型2.8リットル水平対向6気筒ターボ
34
DNF
C137 トヨタ・チームトムストヨタ・87C-LB39
トヨタ・3S-GTM型2.1リットル直列4気筒ターボ
35
DNF
C162 クーロス・レーシングザウバー・C9M37
メルセデス・ベンツ・M117型5.0リットルV型8気筒ターボ
36
DNF
GTP201 マツダスピードマツダ・757D34
マツダ13G型1,962cc3ローター
37
DNF
C136 トヨタ・チーム・トムストヨタ・87C-LB19
トヨタ・3S-GTM型2.1リットル直列4気筒ターボ
38
DNF
C2113 José Thibault
  • José Thibault
  • André Heinrich
シェブロン・B36A18
タルボPRV型3.0リットルV型6気筒
39
DNF
C118 ロスマンズポルシェポルシェ・962CD16
ポルシェ・935/83型3.0リットル水平対向6気筒ターボ
40
DNF
C151 WMセカテバ
WM・P86M14
プジョーPRV型2.8リットルV型6気筒ターボ
41
DNF
C152 WMセカテバ
  • ロジャー・ドルシー
  • フィリップ・ ガッチェ
  • Dominique Delestre
WM・P87M13
プジョーPRV型2.8リットルV型6気筒ターボ
42
DNF
C2118 Olindo Iacobelli
  • Olindo Iacobelli
  • ジャン=ルイ・リッチ
  • ジョルジュ・テシエ
Royale・RP40M13
フォードコスワース・DFL型3.3リットルV型8気筒
43
DNF
C2200 Dahm Cars Racing Team
  • ペーター・フリッチュ
  • テディ・ピレット
  • ジャン=ポール・リベール
Argo・JM19G12
ポルシェ・930型3.2リットル水平対向6気筒ターボ
44
DNF
C18 ヨースト・レーシングポルシェ・962CG7
ポルシェ・935型2.8リットル水平対向6気筒ターボ
45
DNF
C110 ポルシェ・クレマー・レーシングポルシェ・962CY6
ポルシェ・935型2.8リットル水平対向6気筒ターボ
46
DNF
C2117 チーム・ラッキーストライク Schanche
Argo・JM19BG5
ザクスピード・1.8リットル直列4気筒ターボ
47
DNF
C17 ヨースト・レーシング
ポルシェ・962CG4
ポルシェ・935型2.8リットル水平対向6気筒ターボ
48
DNF
C142 ノエル・デル・ベロ
  • Pierre-Alain Lombardi
  • ジル・ランペルール
  • ジャック・ギヨー
ザウバー・C8G4
メルセデス・M117型5.0リットルV型8気筒ターボ
DNSC119 ロスマンズポルシェポルシェ・962CD-
ポルシェ・935/83型3.0リットル水平対向6気筒ターボ
DNQC2171 CEEスポーツレーシング
タイガ・GC286A-
ボルボ・2.3リットル直列4気筒ターボ

注釈

出典

参考文献

  • 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』グランプリ出版 ISBN 4-87687-161-2
  • 『Gr.Cとル・マン』学研 ISBN 978-4-05-604601-4
  • 黒井尚志『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』集英社 ISBN 4-08-780158-6
  • ドミニク・パスカル著、日沖宗弘訳『ル・マンの英国車』ネコ・パブリッシング ISBN 4-87366-068-8