飯倉大樹

日本のサッカー選手

飯倉 大樹(いいくら ひろき、1986年6月1日 - )は、神奈川県横浜市栄区出身のプロサッカー選手Jリーグ横浜F・マリノス所属。ポジションはゴールキーパー

飯倉 大樹
名前
愛称ヒロキ、ペレ
カタカナイイクラ ヒロキ
ラテン文字IIKURA Hiroki
基本情報
国籍日本の旗 日本
生年月日 (1986-06-01) 1986年6月1日(38歳)
出身地神奈川県横浜市栄区
身長181cm
体重75kg
選手情報
在籍チーム日本の旗 横浜F・マリノス
ポジションGK
背番号21
利き足右足
ユース
1993-1996FCイーグルス(横浜市立本郷小学校
1997-1998横浜マリノスプライマリー追浜(横浜市立本郷小学校)
1999-2001横浜F・マリノスジュニアユース追浜(横浜市立本郷中学校
2002-2004横浜F・マリノスユース(藤嶺学園藤沢高等学校
クラブ1
クラブ出場(得点)
2005-2019横浜F・マリノス 225 (0)
2006ロアッソ熊本(loan) 26 (0)
2019-2022ヴィッセル神戸 63 (0)
2023-横浜F・マリノス 6 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2023年12月5日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴

横浜F・マリノス

横浜F・マリノスのアカデミー出身。小学生まではフィールドプレイヤーであり、中学生になってからゴールキーパーに転向[1]内藤友康とはジュニアユース時代のチームメイトで、2人でレギュラーを争っていた。また、2003年NEW!!わかふじ国体の神奈川県選抜でも同じチームで活躍した。

2005年にトップチームに昇格し、2006年に当時JFLに昇格したばかりのロッソ熊本(現・ロアッソ熊本)へ期限付き移籍し、リーグ戦26試合に出場した。2007年に復帰し、第29節の清水エスパルス戦でJリーグデビューを果たしたが、チームは0-2で敗れた。同年はこの1試合の出場に終わり、2008年は公式戦出場がなかった。

しかし、2009年になると徐々に出場機会が増え、ミスも目立ったが中盤戦にかけてスタメンに定着した。カップ戦での退場により(後述)出場停止処分を受けた終盤戦は控えに降格したものの、先輩の榎本哲也とポジション争いを演じて19試合に出場した。2010年は自身初のリーグ戦全試合出場を果たし、榎本から正GKの座を奪った。2011年も度々ファインセーブを見せ、チームの前半戦首位に貢献。しかし、チームは後半戦で失速し結局5位だった。ワールドカップアジア3次予選の予備登録メンバーにも選出された。2012年も開幕から正GKを務めたが、7試合勝利なし低迷。しかし、第8節のヴィッセル神戸戦で初勝利を上げるとそこから15試合負けなしとチームは一変した。しかし、第23節のセレッソ大阪戦より3連敗し、終盤戦は榎本にポジションを譲った。

2013年は4年ぶりに開幕ベンチスタートとなったが、第3節のジュビロ磐田戦ではベンチからも外れた。4月6日に体調不良を訴えて横浜市内の病院に入院[2]4月16日心外膜炎と診断された[3]。9月の天皇杯でベンチ入りメンバーに復帰。結局、2014年までの2年間は公式戦出場なしに終わった。

体調が回復した2015年は榎本からポジションを奪い正GKの座を確保した。2016年も開幕からスタメン出場を続けていたが、5月14日の鹿島アントラーズ戦で前半に負傷し、後半は榎本と交代しピッチを去った。その後は三度榎本にポジションを奪われた。

2017年に榎本が浦和レッズへ移籍したため、開幕戦からスタメンを確保。7シーズンぶりとなる全試合フル出場を果たした。

2018年も2年連続で全試合フル出場を果たしたが、2019年シーズンの第5節のサガン鳥栖戦ではベンチスタートとなり、リーグ戦の連続フル出場は76試合で止まった[4]。その試合以降、新加入の朴一圭にレギュラーを奪われた[5]

ヴィッセル神戸

7月26日キム・スンギュが移籍し[6]、GKを探していたヴィッセル神戸への移籍が発表された[7]。移籍発表2日後の7月28日に行われたマンチェスター・シティFC戦の後半30分から出場し、それがマリノスでのラストマッチとなった[8]。8月2日に行われたガンバ大阪戦で移籍後初出場を果たした[9]。その後もレギュラーとして活躍し、チーム初タイトルとなる天皇杯優勝にも貢献した。

2020年2月8日FUJI XEROX SUPER CUPの横浜FM戦では、古巣相手にPK戦で2本ストップして優勝に貢献した[10]。シーズンでも開幕からレギュラーを務めていたが、ルヴァンカップの川崎戦で6失点を喫し、その試合以降は前川黛也にポジションを譲った。前川とポジションを争いながらも出場を続けたが、ACLなどの大一番では前川が起用され、控えに回った。

2021シーズンは怪我で離脱し、しばらく試合から遠ざかっていたが、ルヴァンカップ第3節・徳島ヴォルティス戦で昨年12月以来約5ヶ月ぶりのベンチ入りを果たすと、同じくルヴァンカップ第4節・大分トリニータ戦で同年公式戦初出場を果たした。以降はしばらくカップ戦での起用がメインだったが、前川が負傷で離脱するとポジションを奪取。以降はレギュラーに定着した。

2022年シーズンは怪我で出遅れたものの、J1第3節サンフレッチェ広島戦でシーズン初出場。4月に就任したロティーナ体制では控えに回る事が多くなった。7月に就任した吉田体制ではスタメンに復帰。その後はスタメンを飾る時期もあれば怪我で離脱する等、レギュラーを完全に奪いきるまでには至らなかった。シーズン終了後の11月9日にクラブから契約満了が発表された[11]

横浜F・マリノス復帰

2023年2月9日、横浜F・マリノスへ完全移籍で加入することが発表された[12]。3年半ぶりの復帰となる[13]

エピソード

  • 2009年6月28日J1リーグ第15節ガンバ大阪戦(横浜国際総合競技場)で、ボールがラインを割ってコーナーキックになることを阻止しようとしてピッチ内に戻したボールが橋本英郎の足元に渡ってしまいゴールを許した。試合はこのゴールが決勝ゴールとなり1-2で逆転負けした。
  • 9月6日ヤマザキナビスコカップ準決勝2ndlegの川崎フロンターレ戦で、川崎のジュニーニョの遅延行為(直前に鄭大世のファウルにより、ホイッスルが鳴っているにもかかわらず、プレーを続けようとしていたこと)に対して激高。ジュニーニョを後ろから突き飛ばし退場処分を受けた。その後も抗議して、主審の胸を両手で押した。マリノスはこの時交代枠が無くなっていたために水沼宏太が急遽GKを務めたが、そのジュニーニョに同点ゴールを決められ敗退した。
    • このプレーに対して9月11日、Jリーグは公式戦6試合の出場停止処分(J1リーグ戦5試合+天皇杯全日本選手権2回戦+サテライトリーグ1試合)を科した。
  • 飯倉の足もとの技術を得意としてボールを持つプレースタイルや神戸のGKから繋ぐスタイルから、GKながら積極的なボール運びを見せるシーンが度々ある。そこからチャンスに繋がる場面もあるが、失敗すると失点にも直結してしまうため一部のファンはそのプレースタイルを「飯倉チャレンジ」と称している[14]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点出場得点出場得点 出場得点
日本リーグ戦 リーグ杯天皇杯期間通算
2005横浜FM16J100000000
2006熊本21JFL260-20280
2007横浜FM31J110000010
200800000000
2009211906020270
20103405020410
20113305040420
20122805030360
201300000000
201400000000
20152502030300
20161200020140
20173400040380
201834010030470
201950300080
神戸18120-50170
202018010-190
20211903020240
20221401040190
2023横浜FM2160300090
2024
通算日本J128804103403630
日本JFL260-20280
総通算31404103603910

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点
AFCACL
2005横浜FM1600
20142100
2020神戸182[注釈 1]0
202200
2023-24横浜FM2110
通算AFC30
その他の国際公式戦

タイトル

横浜F・マリノスジュニアユース追浜
神奈川県選抜
横浜F・マリノス
ヴィッセル神戸

代表歴

  • 2001年 U-15日本代表

脚注

注釈

出典

関連項目

外部リンク

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