風吹ジュン

日本の女優 (1952-)

風吹 ジュン(ふぶき ジュン、1952年5月12日 - )は、日本アイドル[4][5][6]、歌手[5][7]女優[5][6][8]。本名:堀川麗子[1]

ふぶき ジュン
風吹 ジュン
本名堀川麗子[1][2][3]
生年月日 (1952-05-12) 1952年5月12日(72歳)
出生地日本の旗 日本富山県婦負郡八尾町(現在の富山市
身長157 cm
血液型B型
職業女優歌手タレント
ジャンル映画テレビドラマ
活動期間1973年 -
配偶者川添象郎(1981年 - 1992年)
事務所パパドゥ
公式サイト風吹ジュン OFFICIAL WEBSITE
主な作品
テレビドラマ
阿修羅のごとく
はみだし刑事情熱系
ほんまもん
わたしたちの教科書
風林火山
それでも、生きてゆく
あさが来た
やすらぎの郷
映画
蘇える金狼
無能の人
魂萌え!
浅田家!
アニメ
君たちはどう生きるか
CM
大正製薬(ナロンエース)
 
受賞
日本アカデミー賞
ブルーリボン賞
その他の賞
毎日映画コンクール
女優助演賞
1992年無能の人
報知映画賞
助演女優賞
1991年『無能の人』
山路ふみ子映画賞
女優賞
1999年『コキーユ』
高崎映画祭
最優秀助演女優賞
2000年カリスマ
日本映画批評家大賞
女優賞
2000年
ゴールデン・グローリー賞
2023年『裸足で鳴らしてみせろ』
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富山県婦負郡八尾町(現・富山市八尾町)生まれ[2][注 1]富山県高岡市(小学生から中学2年まで[9])と京都市育ち。パパドゥ所属。高岡市立二上小学校[1]京都市立花山中学校卒業[1]

来歴・人物

高校教員の父と母の間に生まれるが[2]、11歳小学校5年時に父が愛人を作り[2]、両親が離婚[2][10]。ここから人生が暗く傾斜していく[2]

中学校2年で母親の育児放棄に伴い、中学3年のとき[2]、母方の親戚を頼り[2]、母・兄と3人で京都に移り住む[10](暮らしは非常に貧しく、京都で住んでいた家は窓の裏が崖であった[10])。内職やアルバイトをする日々だったという[10]。高校進学は母に拒否され家出[2]、以降3年間自活し[2][3]、京都で様々な仕事に就く[2][3]。18歳で上京し、飲食店などに勤務[10]1970年の秋から[1][2]、1年間[1][2][3]銀座の高級クラブ「徳大寺」[注 2]ホステスとなり[2][3][14]源氏名「レオ」として働いていたとき[1][2]、客に[2]スカウトされる[2][15]

芸名は「風に吹かれたように出てきたから風吹」「語呂がいいからジュン[15]。「ハワイに行ったのが6月(June)で、風が強く吹いていたので、合わせて命名した」[1]

1973年に初代ユニチカマスコットガールに選ばれ[3][4][5]デイヴィッド・ハミルトン撮影によるポスター写真マスメディアに浮上[1][3][15]1974年に「愛がはじまる時」で歌手デビューすると人気が爆発[1][3][5][16]キャッチフレーズは「噂のジュン」「星の国からやってきたジュン」で[1][3]、この歌手デビュー時は、ギリギリ21歳だったが[3]、ホステス時代を隠すため[3]、19歳として売り出したことが後でスキャンダルの一つとなった[3]。作家の但馬オサムによると、総じて歌唱力は低いとされている[17]。風吹自身「私は歌が一番ヘタの横綱」と述べている[11]

人気は束の間で[16]、1974年から2度に渡る事務所移籍問題を巡り[1][2][11][18][19]暴力団が介入して[2][19]、風吹誘拐事件[2][11][18][19]、失踪事件[2]などのスキャンダルとなり[1][11][18][19]マスメディアが大騒ぎし[1][2][11]、二重契約問題でCMを降ろされ[16]、風吹自身も2年の年齢詐欺や先の銀座のホステス経験[1][2][11][16]、デビュー時のプロフィールでは「京都市立日吉ヶ丘高等学校卒」としていたことがウソとバレ[1][3][18]、当時ついていた清純派歌手イメージが崩れた[1][11][18]。清純派イメージが無くなると以降、ヌードも辞さず[1][20]1977年白熱デッドヒート』で映画初出演すると1979年の『蘇える金狼』で松田優作とフルヌードで激しい濡れ場を演じ[1][5][8][20]、ファンやマスメディアを驚かせ[20]、また女優として高い評価を得た[1][8][20]。清純派タレントが醜聞をテコに成長した例はそれまでほとんど無かった[1]。スキャンダルを乗り越えた後はぶっちゃけるようになり[2]、「17歳で初体験。以来、常に恋人はいました。男に尽くして仕事がダメになったことあります」などと話した[2]。彼女は、所属事務所を辞めると決めていたが、1975年に『寺内貫太郎一家2』への出演が決まった[21]。(出演が可能になったことについては、樹木希林の口添えがあったという。以降、樹木が亡くなるまで親交があった)

1981年川添象郎と結婚[19]。1男1女をもうけるも、1992年に離婚[22]。娘と息子を引き取って育てる[10]2023年現在、娘・孫はアメリカ合衆国在住[23]

出演

テレビドラマ

NHK

日本テレビ

TBS

フジテレビ

テレビ朝日

テレビ東京

WOWOW

その他

映画

劇場アニメ

ドキュメンタリー

  • KNB開局60周年記念番組「還暦の同窓会〜風吹ジュン45年ぶりの帰郷〜」(2012年9月30日、北日本放送制作)[48]
  • 「天空の剱〜風吹ジュン 北アルプス屈指の岩峰へ〜」(2019年11月3日、北日本放送制作、BS日テレ)[49]

バラエティ

CM

配信ドラマ

ディスコグラフィ

シングル

#発売日A/B面タイトル作詞作曲編曲規格品番
11974年
5月1日
A面愛がはじまる時有馬三恵子平尾昌晃馬飼野俊一US-819
B面夏のふれあい
21974年
8月1日
A面涙に微笑みを竜崎孝路US-823
B面愛の雨音馬飼野俊一
31974年
10月25日
A面ふたりの舗道馬飼野俊一US-826
B面私はかもめ竜崎孝路
41975年
5月5日
A面23才安井かずみ三木たかしUS-837
B面こころ半分

アルバム

オリジナル・アルバム

ベスト・アルバム

タイアップ曲

楽曲タイアップ
1975年23才TBS系テレビドラマ「寺内貫太郎一家2」挿入歌

著書

  • 風吹ジュン『コツコツドカン』マガジンハウス(原著2002年10月1日)。ISBN 978-4838712649  (エッセイ)
  • 風吹ジュン『風吹ジュンスタイル』マガジンハウス(原著2012年9月27日)。ISBN 978-4838724901  (エッセイ)

写真集

脚注

注釈

出典

関連項目

外部リンク