陸奥守吉行
江戸時代のの刀工
陸奥守 吉行(むつのかみ よしゆき、1650年 - 1710年)は、陸奥国中村(現:福島県相馬市中村)、または摂津国住吉[1](現:大阪府大阪市住吉区)出身の刀工。本名は森下平助[2]。土佐に移住したことから土佐吉行とも呼ばれる。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d4/Yoshiyuki_Mutsunokami_%28Sakamoto_Ryoma_sword%29_2.jpg)
経歴
同じく刀工である播磨守吉成の次男で、上野守吉国の弟。山岡家の養子となり、のち父兄ともに大坂の刀工・初代大和守吉道に入門し、作刀を修行する[2]。土佐藩の山岡家の養子となった際に山岡姓を名乗る[2]。吉行は元禄年間に土佐藩に招聘され、同藩の鍛冶奉行となった。後に受領名として陸奥守を受領する[3]。大坂にてその生涯を終えたとされている[3]。