野原祐也

野原 祐也(のはら ゆうや、1985年1月7日 - )は、埼玉県越谷市出身の元プロ野球選手外野手内野手、右投左打)、野球指導者。

野原 祐也
基本情報
国籍日本の旗 日本
出身地埼玉県越谷市
生年月日 (1985-01-07) 1985年1月7日(39歳)
身長
体重
177 cm
88 kg
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション外野手一塁手三塁手
プロ入りNPB / 2008年 育成選手ドラフト1位
初出場NPB / 2009年9月9日
最終出場NPB / 2012年6月17日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

現役時代には、ベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)富山サンダーバーズ→富山GRNサンダーバーズNPB阪神タイガースに所属。富山時代には、「富山のおかわり君」と呼ばれていた。

2016年の現役引退後は、2017年から2020年まで社会人クラブチームOBC高島2021年から2022年まで阪神タイガース Women(阪神タイガースが運営する女子硬式野球クラブチーム)の監督を務めた。

経歴

現役時代

阪神時代(2011年9月8日)

大宮東高校から国士舘大学に進学。4年時は主将。大学時代には股関節を故障しNPBドラフトにはかからなかったが、プロ入りの夢を追い求めて2007年に創設された北信越ベースボール・チャレンジ・リーグ富山サンダーバーズに入団。入団後は当時同チームのコーチ兼プレーヤーとして籍を置いていた宮地克彦から指導を受けた場面がTBSテレビバース・デイ』で紹介された。

サンダーバーズでは1年目から活躍し、7月8日の新潟アルビレックスBC戦ではリーグ初の1試合3本塁打を記録するなど、打のチームである「雷鳥打線」の不動の4番として活躍した。打点はチームメイトの井野口祐介に及ばなかったが打率.412, 14本塁打と2冠王に輝き、MVP(野手部門)に輝いた。このシーズンに記録した113安打は、同じ富山のフランシスコ・ペゲロが2017年に115安打を記録するまで、10年間破られなかった[1]。しかし、チームは優勝争いしたものの石川ミリオンスターズに敗北し、野原本人も2007年ドラフト会議では指名されなかった。

2年目の2008年はシーズン当初は調子が出なかったが、6月に1号本塁打を放ってからは徐々に調子を上げた。本塁打こそ7本に終わったが、最終的にはリーグ2位の打率.368、リーグ3位の打点45を挙げ、不動の4番としてチームのリーグ優勝に大きく貢献。これが評価され2年連続のMVP(野手部門)に輝いた。同年のドラフト会議において、阪神タイガースに育成枠1位で指名され、11月26日に仮契約した。この時の背番号123.

2009年は育成選手としてスタートしたが、ウエスタン・リーグ59試合で打率.309, 2本塁打、19打点と好調で、7月26日に支配下登録された[2]。これに伴い背番号は94となった。阪神タイガースにおいての育成選手からの支配下登録はアーロム・バルディリスに次いで2例目、日本人選手としては初であった。8月にウエスタン・リーグにおいて打率.341, 1本塁打の成績を残し8月度「ミズノ月間MVP」を受賞した。9月9日に初めて一軍昇格。9月12日の対横浜ベイスターズ戦で山口俊から代打でプロ初安打を記録し、翌日の9月13日の試合では、怪我により欠場した赤星憲広にかわり、1番センタースタメン出場した。

2010年は3月14日の教育リーグ・対中日ドラゴンズ戦で右手首を痛め、5月に手術を受けた[3]影響で一軍出場はなかった。この年オフに結婚を発表。翌2011年もわずか4試合の出場で無安打に終わった。

2012年は、二軍では打数は少ないものの打率.386(70打数27安打)、3本塁打、6打点の成績を残したが、一軍では6月に3試合出場のみにとどまった。二軍では入団してから4年連続3割以上の打撃成績を残していたが、10月2日、戦力外通告を受けた[4]

2013年から富山サンダーバーズに選手兼任コーチとして復帰[5]2016年のコーチ退任を機に、現役を引退した[6]

現役引退後

2017年からOBC高島の監督へ就任[7]。就任当初は、コーチが選手兼任の田中息吹貴捕手しかいなかったため、選手へのコーチングも手掛けていた[7]

2020年12月3日に、OBC高島監督の退任[8]と阪神球団への復帰を発表。復帰後は、球団振興部が運営する「タイガースアカデミーベースボールスクール」の専属コーチと兼務で、2021年に創設された「阪神タイガース Women」で初代の監督を2022年まで務めていた[9]

2023年1月1日付で球団本部のチーム運営部に配属され一軍のマネジャーに就いた[10]

選手としての特徴

長打力に加えて、手動計測ながら50m走で5秒9を記録したほどの俊足の持ち主であった[11]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2009阪神1516151410050000000140.267.313.333.646
20114440000000000000010.000.000.000.000
20123871100010000010020.143.250.143.393
通算:3年2228262510060000010170.192.250.231.481

年度別守備成績



外野












2009阪神60000----
201120000----
2012250001.000
通算1050001.000

記録

NPB

独立リーグでの打撃成績











































O
P
S
2007富山722747611314514179755044419392.412.522.6531.175
200872261419619971544512013317304.368.469.5901.059
201370233567710231152036014520293.330.475.473.948
201472262547410271283713004819344.282.429.489.918
201568235467912951505514005412267.336.482.6381.120
201654187286173084322012210325.326.423.449.872
通算:6年408145230150072303681026482072469719025.344.468.5581.026
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はリーグ歴代最高

独立リーグでのタイトル・表彰

タイトル
  • 首位打者:1回 (2007年)
  • 本塁打王:1回 (2007年)
  • 最多打点:1回 (2015年)
  • 最多安打:1回 (2007年)
  • 最多盗塁:1回 (2013年)
表彰
  • MVP:2回 (野手部門:2007年、2008年)
  • ベストナイン:1回 (外野手部門:2008年)

背番号

  • 33 (2007年 - 2008年、2013年 - 2016年)
  • 123 (2009年 - 2009年7月25日)
  • 94 (2009年7月26日 - 2012年)
  • 76 (2021年 - 2022年)

登場曲

脚注

関連項目

外部リンク