経歴
広平郡の宋翻とともに名を知られ、相州刺史の李安世の推薦を受けた。太和年間、奉朝請に任じられた。しばらくして尚書儀曹郎となり、左民郎に転じ、潁川郡太守を代行した。安定王元燮の下で征虜府長史をつとめた。まもなく母が死去し、服喪のために職を辞した。河間王元琛の下で長史となった。元琛は勝手きままにふるまったので、恃慶は事あるごとに苦言を呈した。享年48で死去した。左将軍・安州刺史の位を追贈された。諡は襄といった。
家族
- 祖父:路綽(陽平郡太守)
- 次弟:路仲信(太尉参軍・奉車都尉・開府掾。章武王元融が葛栄を討ったとき、仲信はその下で都督府長史をつとめた)
- 三弟:路思略(字は叔約、冀州安東府騎軍参軍)
- 四弟:路思令(字は季儁)
- 子:路祖璧(給事中)
脚注
伝記資料
- 『魏書』巻72 列伝第60
- 『北史』巻45 列伝第33
参考文献