路恃慶

路 恃慶(ろ たいけい、生没年不詳)は、北魏の人物。は伯瑞。本貫陽平郡清淵県[1][2]

経歴

広平郡宋翻とともに名を知られ、相州刺史の李安世の推薦を受けた。太和年間、奉朝請に任じられた。しばらくして尚書儀曹郎となり、左民郎に転じ、潁川郡太守を代行した。安定王元燮の下で征虜府長史をつとめた。まもなく母が死去し、服喪のために職を辞した。河間王元琛の下で長史となった。元琛は勝手きままにふるまったので、恃慶は事あるごとに苦言を呈した。享年48で死去した。左将軍安州刺史の位を追贈された。は襄といった[1][3]

家族

  • 祖父:路綽(陽平郡太守[1][2]
  • 次弟:路仲信(太尉参軍・奉車都尉・開府掾。章武王元融葛栄を討ったとき、仲信はその下で都督府長史をつとめた)[1][4]
  • 三弟:路思略(字は叔約、冀州安東府騎軍参軍)[5]
  • 四弟:路思令(字は季儁)[5][4]
  • 子:路祖璧(給事中)[1][4]

脚注

伝記資料

参考文献

  • 『魏書』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00313-3 
  • 『北史』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00318-4