赤沢亮正

日本の政治家
赤澤亮正から転送)

赤沢 亮正(あかざわ りょうせい、1960年昭和35年〉12月18日 - )は、日本政治家、元運輸国土交通官僚自由民主党所属の衆議院議員(6期)、財務副大臣戸籍上の正確な表記は赤澤 亮正[3]

赤澤 亮正
(赤沢 亮正)
あかざわ りょうせい
公式肖像写真(2007年撮影)
生年月日 (1960-12-18) 1960年12月18日(63歳)
出生地日本の旗 日本 東京都文京区
出身校東京大学法学部第1類[1]
コーネル大学経営大学院
前職国家公務員運輸省国土交通省
所属政党自由民主党石破G[2]
称号法学士
経営学修士(MBA)
親族祖父・赤沢正道
公式サイト赤沢亮正公式ホームページ

選挙区鳥取2区
当選回数6回
在任期間2005年9月11日 - 現職
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祖父は元自治大臣赤沢正道

経歴

生い立ち

東京都文京区出身[4]。旧姓は森[5]東京教育大附属駒場高等学校 を経て東京大学に入学した時に、母方の祖父母(赤沢正道夫妻)の養子になった[5]

官僚として

1984年東京大学法学部第1類(私法コース)を卒業し[1]運輸省入省[6]1989年米国コーネル大学経営大学院に留学し、1991年、経営学修士(MBA)取得[6]

1994年8月、運輸省航空局監理部国際航空課補佐官(日米航空交渉担当)。1996年北海道庁出向(企画振興部交通対策課長)。1999年6月、大臣官房文書課企画官(海上技術安全局、日本財団担当)。2001年7月、国土交通省大臣官房秘書課企画官。2002年8月、大臣官房総務課企画官(総合政策局、国際政策担当)[6]2004年7月、日本郵政公社郵便事業総本部国際本部海外事業部長[6]

政治家として

内閣総理大臣岸田文雄(右)と(2023年11月13日、財務副大臣の辞令交付時)

2005年に退官。同年9月の第44回衆議院議員総選挙に、郵政民営化法案に反対票を投じた川上義博への「刺客」として自由民主党公認で鳥取2区から出馬。無所属で出馬した川上を破り初当選した[7][8]。当選後は小泉チルドレンが参加する83会に入会[9]

2009年8月の第45回衆議院議員総選挙では自民党に猛烈な逆風が吹き荒れ[10]、赤沢も鳥取2区で民主党湯原俊二の猛追を受けるが、626票の僅差で湯原を下し、小選挙区で再選[11]。なお、この選挙では2005年の総選挙に自民党公認で初当選した議員の大半が落選した(83人のうち77人が出馬し、当選者は10人、小選挙区当選者は赤沢、稲田朋美小里泰弘の3人のみ)[12]

2010年4月、自民党政権力委員会の地方分権・地域再生・中小企業担当に就任した[13]自民党シャドウ・キャビネットでは影の農林水産副大臣に就任した[14]

2012年12月の第46回衆議院議員総選挙に鳥取2区から出馬し、湯原らを大差で破って3選[15]第2次安倍内閣大臣官房危機管理・運輸安全政策審議官、総合政策局都市局道路局海事局港湾局国際統括官運輸安全委員会海上保安庁震災復旧復興安全・危機管理国土強靭化担当の国土交通大臣政務官に就任[16][17]

2014年9月、第2次安倍改造内閣金融庁消費者庁海洋政策領土問題拉致問題食品安全女性活躍男女共同参画少子化対策行政改革規制改革公文書管理担当の内閣府副大臣に就任[17]。同年12月の第47回衆議院議員総選挙に鳥取2区から出馬し4選[18]

2015年7月28日鳥取県島根県参議院合同選挙区による鳥取県・島根県選挙区を創設する公職選挙法改正案に反発し、衆議院本会議採決で欠席して棄権した[19]

2016年1月、衆議院環境委員長に就任[20]

2017年10月の第48回衆議院議員総選挙に鳥取2区から出馬し5選。

2020年9月、菅義偉内閣防災国土強靭化新型コロナウイルス感染症対策金融経済財政成長戦略全世代型社会保障改革領土問題を担当する内閣府副大臣に就任[21]

2021年10月31日、第49回衆議院議員総選挙で6選(立憲民主党から出馬した湯原も比例復活し9年ぶりに国政復帰)。

2022年9月、自民党は世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と所属する国会議員の接点について公表した。この中で、赤沢が過去に旧統一教会の関連団体の会合で挨拶や講演を行なっていたことが明らかになった[22]

2023年11月13日、税金滞納・差し押さえ問題で辞任した神田憲次衆議院議員の後任として財務副大臣に就任した[23]

東日本大震災と津波対策法案

自民党が提出した「津波対策の推進に関する法律案」を民主党が審議に応じず廃案にしていたため、菅直人首相は早期に法案を通していればもっと人命救えたと述べて民主党政権の非を認めた[24]。法案は震災後である2011年6月9日に再提出され、6月17日に参議院本会議で可決、6月24日に成立した[25]。2012年に赤澤も参加した自由民主党国土強靭化総合調査会(会長:二階俊博衆議院議員)の第11回会合では「津波対策法案は一昨年、二階先生が中心に作られ国会に提出されたが、与党・民主党が乗らず、東日本大震災後にようやく成立した。震災前に法案が通っていれば、もっと色々と防げたものもあった。民主党はいつも後手後手の対応である」と民主党の対応を批判した[26]

政策・主張

献金

トラック業者の業界団体である道路運送経営研究会から献金を受けている[31]

選挙歴

当落選挙執行日年齢選挙区政党得票数得票率定数得票順位
/候補者数
政党内比例順位
/政党当選者数
第44回衆議院議員総選挙2005年09月11日44鳥取2区自由民主党6万4132票37.44%11/4/
第45回衆議院議員総選挙2009年08月30日48鳥取2区自由民主党8万4659票49.57%11/3/
第46回衆議院議員総選挙2012年12月16日51鳥取2区自由民主党8万7395票60.81%11/3/
第47回衆議院議員総選挙2014年12月14日53鳥取2区自由民主党7万6579票56.25%11/3/
第48回衆議院議員総選挙2017年10月22日56鳥取2区自由民主党7万2827票53.39%11/3/
第49回衆議院議員総選挙2021年10月31日60鳥取2区自由民主党7万5005票53.98%11/2/

所属団体・議員連盟

家族・親族

曽祖父・赤沢康平
(『鳥取、島根官民肖像録』)
前列右から坂口純三、織田収赤沢正道坂口昇。後列左から雑賀愛造上原準三坂口平兵衛 (2代)
大山に遊ぶ清交クラブの面々)

赤沢家

徳島県鳥取県米子市西倉吉町・日ノ出町
曽祖父赤沢康平は徳島県出身の土木建築業[33]。旧徳島藩士である[34]
明治30年代から始まった山陰本線の建設に参加するため米子に進出[33]、業界のリーダーとして業績を積み上げた[33]。元日本海新聞社米子支社長[35]・島雄光蔵(しまおみつぞう)[35]によると「米子には事業家がおったですよ[36]。皆鉄道のおこぼれです[36]有本さん、菊地さん、加藤さん、赤沢さん、皆山陰鉄道の建設で来られた人ですから[37]。」という[37]
赤沢によると、「康平は若手の政治家志望者を集めて指導する私塾のような活動をしていた」という趣旨の話を母親から聞かされている[38]」という。
祖父赤沢正道は明治40年(1907年)7月、鳥取県米子市西倉吉町に生まれた。第3次池田内閣第2次佐藤内閣 (第1次改造)自治大臣国家公安委員会委員長を務めた。
赤沢によると、「曽祖父(赤沢康平)の思いが祖父(赤沢正道)に通じ、さらには母(正道の唯一の子供)を経由して赤沢にまで流れ込んでいるというつながりを強く感じている[38]」という。
  • 父・森亮一
赤沢によると、「まず社会に貢献せよ[38]。報酬は後からついて来ると心得よ」というまるで論語顔淵)のような父(元大学教員)の教育が相まって、営利には向かないが公共の福祉の増進に生きがいを感じる赤沢が誕生した次第です[38]」という。

略系図

 
 
 
 
赤沢康平
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
赤沢正道
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
森亮一
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
赤沢亮正
 

脚注

外部リンク

公職
先代
神田憲次
矢倉克夫
財務副大臣
矢倉克夫と共同

2023年 -
次代
現職
先代
大塚拓
平将明
宮下一郎
寺田稔
亀岡偉民
松本洋平
御法川信英
石原宏高
山本朋広
内閣府副大臣
藤井比早之
三ッ林裕巳
田野瀬太道丹羽秀樹
長坂康正
江島潔
堀内詔子
中山泰秀
岩井茂樹渡辺猛之と共同

2020年 -2021年
次代
大野敬太郎
黄川田仁志
赤池誠章
小林史明
池田佳隆
山本博司
細田健一
石井正弘
渡辺猛之
務台俊介
鬼木誠
先代
後藤田正純
西村康稔
内閣府副大臣
平将明
西村康稔と共同

2014年 - 2015年
次代
高鳥修一
松本文明
福岡資麿
先代
川村秀三郎
若井康彦
橋本清仁
国土交通大臣政務官
松下新平
徳田毅
坂井学と共同

2012年 - 2013年
次代
土井亨
中原八一
坂井学
議会
先代
渡辺博道
衆議院原子力問題調査特別委員長
2021年 - 2022年
次代
鈴木淳司
先代
北川知克
衆議院環境委員長
2016年
次代
平将明