種類 | 特例有限会社 |
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本社所在地 | ![]() 〒056-0003 北海道日高郡新ひだか町静内旭町2-25 |
業種 | 水産・農林業 |
法人番号 | 5430002061587 ![]() |
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有限会社谷岡牧場(たにおかぼくじょう)は、北海道日高郡新ひだか町に所在する競走馬生産牧場。1935年創業。主な生産馬にそれぞれ中央競馬の年度代表馬となったトウメイ、サクラローレル、1988年東京優駿(日本ダービー)などの優勝馬サクラチヨノオーなどがいる。馬主として「サクラ」の冠名を使用するさくらコマースと関係が深いことでも知られる。
谷岡家は1882年に広島県から北海道に入植した[1]。馬好きであった入植3世の谷岡増太郎が[1]、1934年に沙流郡門別村厚賀に40町歩の土地を獲得[2]、翌1935年には官営の真駒内種畜場からアラブ馬を購買し、牧場を創業した[1]。1940年にはサラブレッドの生産馬第1号が生まれたが、翌1941年末の太平洋戦争勃発、1945年の敗戦後、連合国軍最高司令部による農地改革により土地と所有馬の多くを手放した[2]。牧場は僅かに残った静内町(後の新ひだか町)の土地に移り、アラブ、サラブレッド1頭ずつの繁殖牝馬を以ての再出発となった[2]。しばしアラブの生産を主にしていたが、1953年に戦後初めての自家生産サラブレッドが産まれ、間もなくして牧場はサラブレッド生産専業となった[2]。
1960年代より牧場の差配を始めた2代目の谷岡幸一は、牧場の立地条件から転業も検討していたが、同時期に東京でさくらコマースを経営する馬主の全演植と出会い、その関係を通じて様々な影響を受け、改めて馬産に注力していった[2]。1968年、生産馬ヒロダイコクが北九州記念を制し、牧場は開業35年目で重賞を初制覇。さらに1971年には牝馬トウメイが天皇賞(秋)と有馬記念を制し、八大競走制覇も果たした。またトウメイは同年牝馬として初めて年度代表馬に選出されるという栄誉も受けた。以後牧場は安定して活躍馬を輩出するようになる[2]。
牧場の名をさらに高めたのが、幸一が1968年にイギリスで購買していた繁殖牝馬スワンズウッドグローヴである[1]。中山牝馬ステークスを勝ったサクラセダンなど産駒5頭が中央競馬で20勝を挙げるという良績を残していたが、さらに孫世代以降から活躍馬が続出し、スワンズウッドグローヴの系統は谷岡牧場を代表する牝系となっていく。1983年にサクラセダンの子サクラトウコウが重賞を勝った事を皮切りに、1987年にはその弟のサクラチヨノオーが朝日杯3歳ステークスに優勝、さらに翌1988年には日本ダービーに優勝した。また、1988年にはサクラホクトオーがチヨノオーとの朝日杯3歳ステークス兄弟制覇も達成した。
1990年代以降もスワンズウッドグローヴの系統からはサクラセカイオー、サクラエイコウオーといった活躍馬が出た。また1995年には、全演植が社台ファーム早来から購買し、引退後谷岡牧場に預けていたサクラクレアーの子・サクラチトセオーとサクラキャンドル兄妹が、それぞれ天皇賞(秋)とエリザベス女王杯に優勝した。さらに1996年には全がフランスで購買したローラローラが日本で出産した持込馬・サクラローレルが天皇賞(春)に優勝、年末には有馬記念も制し、当年、牧場生産馬としてトウメイ以来2頭目の年度代表馬に選出された。
幸一の後は次男[2]の谷岡康成が代表を務めている。
谷岡牧場とさくらコマース(全演植)の結びつきの強さは競馬界で広く知られたが、さくらコマース所有馬の大半を管理した境勝太郎によれば、両者の繋がりはまず境が谷岡牧場の牧草の素晴らしさに目を留めて取引をしたことに始まる[3]。境が谷岡牧場から購買した第一号馬ダイイチテンホウは最初の馬主を経て全に渡り、谷岡牧場、境勝太郎、全演植のトライアングルが築かれた最初となった[3]。その後、全は生産馬の欠点も包み隠さず明らかにする谷岡幸一の心性に打たれ、境が難色を示すような馬まで含め、生産馬をほぼ丸ごと購買するようになったという[3]。
東経142度22分47.9秒 / 北緯42.348500度 東経142.379972度 / 42.348500; 142.379972