菊田早苗

菊田 早苗(きくた さなえ、1971年9月10日 - )は、日本男性総合格闘家東京都練馬区出身。GRABAKA主宰。元ライトヘビー級キング・オブ・パンクラシストADCC 2001 88kg未満級 優勝。

菊田 早苗
基本情報
本名菊田 早苗
通称GRABAKAの総帥
寝技バカ一代
寝技キング
寝技世界一
流離の格闘家
国籍日本の旗 日本
生年月日 (1971-09-10) 1971年9月10日(52歳)
出身地東京都練馬区
所属GRABAKA
身長176cm
体重89kg
階級ライトヘビー級
ミドル級ウェルター級
バックボーン柔道
テーマ曲Hearts on Fire
(ジョン・キャファティ)
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獲得メダル
日本の旗 日本
男子 グラップリング
アブダビコンバット
2001 アブダビ88kg級
菊田早苗
YouTube
チャンネル
活動期間2013年6月7日 -
ジャンル総合格闘技エンターテイメント
登録者数8030人
総再生回数2,408,476 回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2023年4月22日時点。
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明治大学名誉教授弁護士菊田幸一を父に持つ。

来歴

小学6年生で身長が170cmあまりあった。小学校6年の時に佐山聡スーパータイガージムに入門。しかし当時のスーパータイガージムはフィットネスクラブのような感じであったため物足りなさを感じてすぐに退会してしまった[1]

中学・高校時代には柔道を経験。練馬区立練馬東中学校では1986年中学柔道関東大会78kg級で、明大中野高校では1989年国体柔道少年男子団体で(東京チームの一員として)優勝を果たした[2][3]

日本体育大学体育学部武道学科に進学し、柔道部では古賀稔彦の指導を受けるが、スクールカラーが体育教員養成系である日体大にあって体育教師志望でなかったため休学。その後、新日本プロレスUWFインターナショナルに入門するも前者は1週間で破門(同期は小島聡FUNAKI池田大輔)、後者は脱走という形で退団。その後、プロレスから逃げた者に居場所はないからと就職しようと考えたが柔道部の恩師に不動産屋を紹介されると「なんでもいいから儲かりたいんじゃない」と考えUWFインターナショナルへの出戻りを決意。しかし出戻りを決意してうけたテストでは脱水症状になるまで体を動かした末に山本喧一とスパーリングを行うという過酷なプログラムを課され、腕を折られる。結果は不合格[1]

プロレスで3度の挫折を味わった菊田は大学を正式に中退してワーキングホリデーで渡豪。スタン・ザ・マンも通っていたジムでキックボクシングを習う[1]

帰国後にタイガージムの頃からの顔見知りであった平直行へ挨拶し、平から「練習パートナーがいないから寝技やらない?」と誘われて正道会館に入門。ちょうどその頃UFCホイス・グレイシーが活躍していたころであり、試合を見て柔道の寝技を戦いに使えるものだと知った菊田は、それまで避けていたほど嫌いであった寝技に傾倒するようになった。正道会館入門後、アマチュアシュートボクシング全国大会重量級を制し、総合格闘技大会ザ・トーナメント・オブ・Jも連覇。トーナメント・オブ・Jに優勝した後、平から「石井館長に言って給料払うから、ここ(正道会館柔術クラス)で指導者として働かないか?」と誘われたが、何度も断ったため一時期試合を干された[1]

修斗リングスPRIDE参戦を経て1999年6月、パンクラスに参戦。2000年にはパンクラスの中で外部勢力を集めた新勢力「GRABAKA(グラバカ)」を立ち上げた。

2001年4月にアブダビコンバット88kg未満級に出場し、日本人初の優勝を果たした。

2001年8月18日、DEEP2001 in YOKOHAMAでシェマック・ウォレスと対戦し、マウントパンチによるTKO勝ちを収めた。試合後のリング上で9月30日に美濃輪育久とのライトヘビー級(-90kg)キング・オブ・パンクラス決定戦をアピールした[4]。試合は顔面のカットによるドクターストップでTKO勝ちを収め王座獲得に成功した[5]

2002年8月8日、UFO LEGENDアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと対戦し、右ストレートでKO負け。

2002年12月、GRABAKAジムを東京都中野区にオープン。

2003年11月30日、ライトヘビー級キング・オブ・パンクラス タイトルマッチで近藤有己と対戦し、左フックでKO負けを喫し王座陥落した。

2005年8月、練習中に右足内腿靭帯を部分断裂。10月2日に予定されていた近藤との3度目のタイトルマッチは中止となった。

2005年12月31日、PRIDE 男祭り 2005瀧本誠と対戦。判定勝利を収めるものの試合後にDSE榊原社長から試合内容について苦言を呈された。

2007年12月31日のやれんのか! 大晦日! 2007で同じGRABAKAに所属する三崎和雄vs秋山成勲戦にセコンドとして付き、その後の再戦騒動に巻き込まれた[6]

2008年3月5日の『戦極』旗揚げ戦戦極 〜第一陣〜フィル・バローニと対戦予定であったが、バローニが右肩負傷で欠場となり菊田も欠場となった。

2008年6月8日、戦極 〜第三陣〜で約1年半振りに試合を行いクリス・ライスと対戦。腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。

2009年1月4日、戦極の乱2009吉田秀彦と対戦し、2-1の判定勝ち。

2010年6月20日、SRC13Yasubei榎本と対戦。右アッパーでダウンしたところにパウンドで追撃されTKO負け[7]

2010年10月24日、9年2か月ぶりのDEEP参戦となったDEEP 50 IMPACTでキム・イサクと対戦。タオル投入によるTKO勝ち[8]

2011年10月15日、GRABAKA LIVE!で山本喧一と対戦し、マウントパンチでTKO勝ちを収めた。

人物・エピソード

  • 特技はピアノ演奏。
  • 日体大時代は非常に過酷な生活をしていた。1年生の柔道部員は7畳の部屋で7人が寝るという扱いであり、ウォークマン、サンダル、短パンは規則で禁止されていた。他にも食堂以外でものを食べているところを他人に見られてはならず、もし見られたら夜中に1年生の部員全員呼び出されて鉄拳制裁を受けた。初めて日体大の寮で寝た時、天井を見たら「一年、雑草。二年、平民。三年、天皇。四年、神様」と書かれてあり、菊田は「これはヤバいところに来たな……」と思ったという。2年生になると髪を伸ばせるが、伸ばした者は通過儀礼として先輩達から鉄のスパイクで殴られ、殴られた者は頭部から血が勢いよく噴き出たという[1]
  • 大学時代はちょうど第二次UWFが盛り上がっていた頃であったが、菊田はプロレスだと割り切って観ていた。中井裕樹佐藤ルミナなどはUWFを真剣勝負だと思って憧れて総合格闘技に進んだが、それとは対照的である。菊田は中学時代にリッキー・フジからプロレスがショーであることを詳細に教わっていた[1]
  • 一時期、雑誌「紙のプロレス」におけるインタビューで、「天山広吉小島聡はロクな死に方をしない、人間的にバカにした商売、騙して連れてきて金を取る」などプロレスラープロレスを貶める発言を連発し、髙田道場やプロレスファンの怒りを買った。これには短期間ではあるが、UWFインターナショナル新日本プロレスに入門した際、人間関係で何かしらのトラブルが背景にあったことによる。後に、PRIDE.20で前述の経緯などから菊田に対して強い嫌悪感を持つアレクサンダー大塚との試合に勝利した後のリング上で「かつて批判したことはありますが、プロレスも格闘技も素晴らしいものだと思っています」と観客に訴えた。これは後に天山・小島を指したものではなく、プロレスラー全員を指して「ロクな死に方をしない」と言ったことが判明。あまりの問題発言に編集部で作為したのだと後のkamiproに真相が掲載された。2015年3月24日、真夜中のハーリー&レイスに出演した際、菊田自身が、新日本プロレス道場での顛末を語っており、明大柔道つながりで坂口征二の伝手で入門したこと、教官であった馳浩にクビを宣告されたこと、そして同期入門で唯一人デビューを果たした小島を尊敬していることを明かした。2017年2月24日に収録された『KAMINOGE』の座談会でも新日本プロレスでの出来事やプロレスに関する発言などについて同様のことを話しており、kamiproで言いたかったことは天山と小島への批判ではなく武藤敬司とペドロ・オタービオの試合への批判であり、字数オーバーした原稿をゲラチェックに出して校正で大幅に削るというライターの阿修羅チョロの悪い癖が原因であったことを明かした[1]
  • UWF時代は合宿所の中では田村潔司が絶対の立場であり、当時デビューしていた金原弘光ですら日曜日の外出は自由に出来ず、出掛ける際に「もし田村さんが来たら、ちょっとコンビニに行ってすぐに帰ってくるみたいだとか言ってごまかしておいてくれ」と新弟子に言ったほどである。その中でも菊田が辛いと思ったのは田村が入り終わるまで新人は入浴が許されなかったことであり、夜中の1時まで他の新弟子と共に無言でリビングで体育座りすることがざらであった。とうとう入浴をあきらめざるを得なくなり、我慢できなくなった菊田は入門して2週間ほど経過した頃、合宿所に自分一人という状況であったことをチャンスと思ってそのまま脱走した[1]

戦績

総合格闘技

総合格闘技 戦績
44 試合(T)KO一本判定その他引き分け無効試合
3141710031
94230
勝敗対戦相手試合結果大会名開催年月日
×ソン・ケナン5分2終了 判定0-3REAL 12014年12月23日
成瀬昌由1R 2:25 腕ひしぎ十字固めGRABAKA LIVE! 32013年10月27日
×桜木裕司1R 0:35 KO(サッカーボールキック)GRABAKA LIVE! 22012年10月27日
山本喧一1R 2:18 TKO(マウントパンチ)GRABAKA LIVE! 1st CAGE ATTACK2011年10月15日
キム・イサク1R 1:21 TKO(タオル投入)DEEP 50 IMPACT 〜10年目の奇跡〜2010年10月24日
×Yasubei榎本1R 3:57 TKO(右アッパー→パウンド)SRC132010年6月20日
吉田秀彦5分3R終了 判定2-1戦極の乱20092009年1月4日
クリス・ライス1R 3:54 腕ひしぎ十字固め戦極 〜第三陣〜2008年6月8日
ジョン・フランソワ・レノグ2R(10分/5分)終了 判定3-0PRIDE 武士道 -其の十三-2006年11月5日
瀧本誠3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0PRIDE 男祭り 2005 頂-ITADAKI-2005年12月31日
アイスマン1R 2:14 アキレス腱固めPANCRASE 2004 BRAVE TOUR2004年11月7日
キース・ロッケル5分3R終了 判定2-0PANCRASE 2004 BRAVE TOUR2004年4月23日
×近藤有己3R 0:08 KO(左フック)PANCRASE 2003 HYBRID TOUR
【ライトヘビー級キング・オブ・パンクラス タイトルマッチ】
2003年11月30日
エルヴィス・シノシック5分3R終了 判定3-0PANCRASE 2003 HYBRID TOUR2003年8月31日
近藤有己5分3R終了 判定1-1PANCRASE 2003 HYBRID TOUR
【ライトヘビー級キング・オブ・パンクラス タイトルマッチ】
2003年5月18日
エデュアルド・パンプロナ5分3R終了 判定3-0PANCRASE 2002 SPIRIT TOUR2002年11月30日
×アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ2R 0:29 KO(右ストレート)世界最強伝説 UFO LEGEND2002年8月8日
アレクサンダー大塚3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0PRIDE.202002年4月28日
渡辺大介1R 2:14 肩固めPANCRASE 2001 PROOF TOUR2001年12月1日
美濃輪育久2R 4:30 TKO(ドクターストップ)PANCRASE 2001 PROOF TOUR
【ライトヘビー級キング・オブ・パンクラス タイトルマッチ】
2001年9月30日
シェマック・ウォレス1R 1:52 TKO(マウントパンチ)DEEP2001 in YOKOHAMA2001年8月18日
マット・トライヘイ1R 1:11 腕ひしぎ十字固めPANCRASE 2001 PROOF TOUR2001年6月26日
トゥ・レン1R 2:02 肩固めKasshin 22001年3月11日
アレックス・スティーブリング1R 3:11 無効試合(バッティング)PANCRASE 2001 PROOF TOUR2001年2月4日
高橋義生1R 7:22 肩固めPANCRASE 2000 TRANS TOUR2000年12月4日
×ムリーロ・ブスタマンチ15分1R終了 判定0-3PANCRASE 2000 TRANS TOUR2000年10月31日
マッシブ・イチ1R 2:13 腕ひしぎ十字固めPANCRASE 2000 TRANS TOUR2000年6月26日
ユージーン・ジャクソン1R 4:38 腕ひしぎ十字固めUFC 25: Ultimate Japan 32000年4月14日
柳澤龍志15分1R終了 判定3-0PANCRASE 2000 TRANS TOUR2000年2月27日
鈴木みのる2:39 肩固めPANCRASE 1999 BREAKTHROUGH TOUR1999年12月18日
トラビス・フルトン15分1R終了 時間切れPANCRASE 1999 BREAKTHROUGH TOUR1999年10月25日
エディ・ミリス1R 1:57 ギブアップ(パウンド)PANCRASE 1999 BREAKTHROUGH TOUR1999年9月18日
伊藤崇文10分+延長3分終了 判定3-0PANCRASE 1999 BREAKTHROUGH TOUR1999年7月6日
エリック・ゲデック1:20 チョークスリーパーPANCRASE 1999 BREAKTHROUGH TOUR1999年6月11日
×ポール・ジョーンズ5分3R終了 判定0-3修斗 Las Grandes Viajes 61998年11月27日
松井大二郎10分3R終了 時間切れPRIDE.41998年10月11日
×ヘンゾ・グレイシー6R 0:43 フロントチョークPRIDE.21998年3月15日
田中稔2R 3:08 ネックロックリングス BATTLE GENESIS Vol.21997年10月14日
辻嘉一8:33 腕ひしぎ十字固めリングス BATTLE GENESIS Vol.11997年4月4日
須田匡昇1R 3:59 腕ひしぎ十字固めザ・トーナメント・オブ・J '97
【ヘビー級トーナメント 決勝】
1997年7月27日
米谷利展1R 1:00 アキレス腱固めザ・トーナメント・オブ・J '97
【ヘビー級トーナメント 準決勝】
1997年7月27日
北川純1R 3:15 アキレス腱固めザ・トーナメント・オブ・J '97
【ヘビー級トーナメント 1回戦】
1997年7月27日
×ムスタク・アブドゥーラ1R 6:27 前腕チョークVALE TUDO JAPAN '961996年7月7日
須田匡昇1R 1:15 ヒールホールドザ・トーナメント・オブ・J '96
【決勝】
1996年3月30日
芳岡博之1R 3:05 ヒールホールドザ・トーナメント・オブ・J '96
【準決勝】
1996年3月30日
イーゲン井上5分1R終了 判定ザ・トーナメント・オブ・J '96
【2回戦】
1996年3月30日
川勝三朗1R 2:04 V1アームロックザ・トーナメント・オブ・J '96
【1回戦】
1996年3月30日

グラップリング

勝敗対戦相手試合結果大会名開催年月日
サウロ・ヒベイロポイント3-0ADCC 2001
【88kg未満級 決勝】
2001年4月12日
イーゲン井上ポイント2-0ADCC 2001
【88kg未満級 準決勝】
2001年4月12日
クリス・ブラウンポイント6-4ADCC 2001
【88kg未満級 2回戦】
2001年4月11日
エヴァン・タナーポイント6-0ADCC 2001
【88kg未満級 1回戦】
2001年4月11日
×ヒーガン・マチャドポイントADCC 1999
【99kg未満級 1回戦】
1999年2月24日

獲得タイトル

脚注

関連項目

外部リンク

前優勝者
サウロ・ヒベイロ
第4回アブダビコンバット88kg未満級優勝
2001年4月12日
次優勝者
サウロ・ヒベイロ
空位
前タイトル保持者
KEI山宮
第2代パンクラスライトヘビー級王者

2001年9月30日 - 2003年11月30日

次王者
近藤有己