英国核燃料会社

英国核燃料(えいこくかくねんりょう、英語: British Nuclear Fuels Limited、BNFL)はかつて存在したイギリス政府所有の持株会社MOX燃料などの核燃料生産輸送原子炉の運営、発電および売電、セラフィールドなどでの使用済み燃料の管理および再処理、原子力施設の廃止措置や原子炉廃炉などイギリスの原子力産業で中心的役割を担っていた。

英国核燃料会社
British Nuclear Fuels plc
種類株式会社持ち株会社
市場情報全株イギリス政府保有
略称BNFL
本社所在地イギリス
設立1971年2月
(British Nuclear Fuels Limited として)
業種原子力産業
事業内容核燃料の製造と再処理
原子力発電所の運転。他。
主要株主イギリス政府
外部リンクwww.bnfl.com
テンプレートを表示

2003年まではウォリントン近郊のリズリー英語版に本社を置いていたが、その後同じくウォリントン近郊のデアズベリー英語版公園工業団地に移動した。

2005年4月1日、BNFLは新しい持ち株会社として英国原子力グループを編成し、分野・部門全体のほとんどの売却・移譲を含む再編を開始した。2005年、保有していた原子力施設は原子力廃止措置機関(NDA)に移譲した。子会社であったウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニーは2006年2月に東芝に売却された。後に、BNFLは主要子会社から編成された英国原子力グループを売却した。2009年5月、BNFLはその資産のすべての売却を終え、その役割を終えた。

BNFLはすべての年金債務と処分計画で生じる義務に合致した法人としてのみ存続した。しかし、2010年10月14日、内閣府担当大臣フランシス・モーデ英語版はBNFLがほかのいくつかの政府機関と共に廃止されることを発表した[1]

歴史

英国核燃料公社(British Nuclear Fuels Limited、BNFL)は英国原子力公社英語版の生産部門の会社分割によって1971年2月に設立された。1984年には英国核燃料社として完全英国政府所有の公開有限責任会社英語版、英国核燃料会社(British Nuclear Fuels plc)となった。

クリストファー・ハーディングの社長時代には、ウィンズケール工場の名称をセラフィールドに変更し、国民に対して黙って背を向けるのではなく両手を広げて歓迎すべきだとして、一般の人々に開放されたビジターセンターを設立した。

1990年には米国で原子炉の除染事業と廃止措置に特化した子会社としてBNFL(BNFL Inc.)が設立された。

1996年、イギリス国内の7基の改良型ガス冷却炉と1基の加圧水型原子炉を含む8箇所の新型原子力発電所はブリティッシュ・エナジーとして民営化され、21億ポンドで売却された[2]。旧型のマグノックス炉は商用としては魅力的でなかったために、マグノックス・エレクトリックとして公的所有の状態に留め置かれた。1998年1月30日、マグノックス・エレクトリックはBNFLの傘下となり、BNFLマグノックス発電となった。

品質データ改ざん問題

1999年、BNFL職員がいくつかのMOX燃料の品質保証データを1996年から改竄していることが発覚した[3]。また、1999年から2000年にかけてBNFLで製造され、関西電力高浜原子力発電所プルサーマル発電に使われるはずだったMOX燃料の抜き取り検査で、BNFLが品質保証のために必要な燃焼ペレットの外径測定を行わずに測定データを偽装するという不正も見つかった[4]。更にその不正調査の過程で、調査を混乱させるため、BNFLの作業員が故意に燃料棒に異物を混入させるという事件も発生した。

原子力施設検査局英語版(NII)の調査は「管理と操作の段階は...事実上存在しなかった[5]」と結論付けた[6]。結果、日本側は使用を中止し、BNFLは日本の顧客である関西電力に保証金を支払い、2002年に欠陥のあった出荷済みMOX燃料を日本から回収した[7]。BNFLの最高経営責任者であったジョン・タイラーは最初は辞任に抵抗したものの、NIIの厳しい報告書が発表されたことによって辞職した[8][9][10]

この問題の結果、BNFLの部分的民営化の見込みは2年間遅れた[11][12][13]。また、これにより日本プルサーマル計画は大きく遅延することになった。

拡大

1999年、ウェスティングハウス・エレクトリックが改組したCBSの商業原子力部門であるウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニーを11億ドルで取得した。ウェスティングハウスの事業は燃料生産、原子力施設の廃止措置、原子炉設計・建設・保守などであった[14]。ウェスティングハウスはBNFLの部分的民営化の中核となることが可能として買収された[15]

2000年、アセア・ブラウン・ボベリから原子力事業を3億ポンドで購入した。この部門はアジア・欧州・米国での原子力市場に興味を持っていたウェスティングハウスに統合された[16]。2000年6月、BNFLは南アフリカのペブルベッドモジュール炉社英語版22.5%の株式を取得した[17]

2003年1月、BNFLの研究開発部は原子力科学技術サービス(Nuclear Sciences and Technology Services、NSTS)として再スタートした。しかしながら、BNFLの財政問題は悪化し、部分的な民営化の見通しは遠のいた[15][18][19]

再編・解体

2005年4月1日、広範な原子力産業の再構築の一つとして同社は再編される事となった。英国核燃料社は英国原子力グループ(British Nuclear Group、BNG)となり、新しい持ち株会社として英国核燃料の名前を採用した公開有限会社(British Nuclear Fuels plc)が設立された[20]。この新しい持ち株会社の英国核燃料社は主として主要子会社のBNG、ウェスティングハウスのほか、商用原子力技術サービス業のNSTSから形成されたネクシア・ソリューションズなどを通して運用された[21]

2005年4月1日には原子力廃止措置機関(NDA)が設立され、セラフィールドを含めBNFLの保有するすべての原子力施設の所有権を取得した。NDAはその後コストを削減するために入札を行い、それぞれの施設の廃止措置を始めた。BNFLはBNGを通して廃止措置契約会社の一つとなった。BNFLの原子力廃棄物処理企業であるダイレクト・レール・サービス英語版インターナショナル・ニュークリア・サービス英語版もまたNDAに移管された。

2005年4月19日、米国のBNFLはBNGアメリカに改名し、BNGグループの子会社となった[22]

ウェスティングハウス売却

2005年7月、BNFLはウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニーを販売する計画を公式に認め、18億ドルの価値があると推定した。入札には東芝ゼネラル・エレクトリック三菱重工業などが入札することとなり、2006年1月23日、東芝が50億ドルで落札したとフィナンシャル・タイムズが報じた[23]。2006年2月6日、東芝はウェスティングハウスを54億ドルで購入したことを明らかにし、少数株式を投資家に売却すると発表した[14]

英国原子力グループ解体

2006年2月3日、BNFLはBNGアメリカのエンバイロケアへの売却に合意したことを発表し、エンバイロケアとBNGアメリカなどの4社が統合してエネルギーソリューションズ英語版が設立された[24]

2006年3月、BNFLはBNGの売却を模索していると発表した。ウェスティングハウス、BNGアメリカなどの売却に加え、BNGも売却することは実質的なBNFLの終わりを意味していた。BNFLのCEOのマイク・パーカーは「現在から2007年末までにBNFL会社本体の必要性は小さくなる[25]」と述べた[26]。2006年8月22日、BNFLは継続企業としてBNGを販売する代わりに、部分毎に分割して売却することを発表した[27]

2007年1月、BNFLはBNGのマグノックス炉施設の運営業を原子炉施設運営社(Reactor Sites Management Company Ltd)に売却することを発表した[28]。この会社はNDAと営業契約を結んだ子会社のマグノックス・エレクトリックと共に2007年6月にエネルギー・ソリューションズに売却された[29][30]。すべてのマグノックス発電所は2015年までに運転を終了する予定である。

BNGの原子力コンサルティング業務の専門部であるBNGプロジェクトサービスは2008年1月にVT グループに売却され、後にVTグループはバブコック・インターナショナル・グループ英語版に買収されている[31]

BNGはセラフィールド社に改名し、セラフィールドの施設廃止措置のためのNDAの施設許可会社(Site Licence Company、SLC)になった。2008年11月NDAはセラフィールド社の運営をURS英語版AMEC英語版アレヴァの共同事業会社ニュークリア・マネジメント・パートナーズに任せる契約を行った[32]

国立原子力研究所の立ち上げ

2006年7月、英国政府は要素技術や潜在的開発力を英国国立原子力研究所英語版(NNL)として保持、開発する意向を述べた。2006年10月、通産大臣英語版アリスター・ダーリングがNNLはネクシア・ソリューションズとセラフィールドの英国技術センターから結成されることを確認した[33]。NNLは政府所有・民間運営方式(COGO)で2008年7月に立ち上げられ、サーコ英語版バテル英語版マンチェスター大学の共同事業団が運営することになった[34]

処分

BNFLが保有するウレンコ英語版株の3分の1相当は、2008年4月にEnrichment Holdings Ltdを通じて株主執行庁英語版に移譲され、政府は売却の可能性を検討している[35]

BNFLが保有する核兵器機関(AWE)運営会社AWEマネジメントの株式3分の1相当は、2008年12月、ジェイコブス・エンジニアリング・グループ英語版に売却された[36]

BNFLは事業売却は徐々に進み、2008年12月31日に非公開有限責任会社に戻り、British Nuclear Fuels plcから元の名前であるBritish Nuclear Fuels Limitedに戻った[37]。BNFLの旧事業の最終的な売却取引は2009年5月に完了した。

事業所

BNFLの18事業所(イギリス国内)

イギリス国内にあるBNFLの18事業所(廃止したものを含む)は、以下の通り。


関連項目

外部リンク

報道