細川興昌

日本の江戸時代前期の大名。常陸谷田部藩初代藩主細川興元長男で、谷田部藩2代藩主。従五位下玄蕃頭

細川 興昌(ほそかわ おきまさ)は、江戸時代前期の大名常陸国谷田部藩2代藩主。官位従五位下玄蕃頭

 
細川興昌
時代江戸時代前期
生誕慶長9年(1604年
死没寛永20年3月22日1643年5月10日
改名勝千代丸(幼名)、興昌
戒名伝宗院紹津要岳
墓所栃木県芳賀郡茂木町能持院
官位従五位下玄蕃頭
幕府江戸幕府
主君徳川秀忠家光
常陸谷田部藩
氏族谷田部細川家
父母細川興元、沼田清延娘いと
兄弟興昌、鶴姫
加藤貞泰
興隆
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略歴

慶長9年(1604年)、細川興元細川幽斎の次男、のちの初代谷田部藩主)の長男として京都にて誕生した。元和5年(1619年)に父が死去したため家督を継ぐ。元和8年(1622年)に従五位下・玄蕃頭に叙位・任官する。

藩政では六斎市の開設、城下町の建設などに尽力した。城下町の規模は異常に小さく大名らしくないと揶揄されたこともあったとされる。寛永20年(1643年)3月22日に死去した。享年40。跡を長男の興隆が継いだ。

系譜

父母

正室

子女