細川立興

細川 立興(ほそかわ たつおき、1871年10月10日明治4年8月26日[1]) - 1959年昭和34年)1月11日[1][2])は、明治から昭和期の日本の政治家華族貴族院子爵議員

細川立興
明仁親王誕生時に行われた読書鳴弦の儀奉仕員(左より市村瓚次郎有馬良橘大給近孝辻善之助松浦靖細川立興

経歴

宇土藩主・細川立則の長男[注 1]として生まれ、1875年(明治8年)3月、叔父・養兄であった細川行真養嗣子となる[3][4]。養父の死去に伴い、1902年(明治35年)4月28日、子爵を襲爵した[1][3][4][5]

学習院で学んだ[4]。旧藩子弟のため鶴城学館中学部を設立した[2][3][4]。また、澄宮崇仁親王照宮成子内親王孝宮和子内親王皇太子明仁親王浴場之儀鳴弦を務めた[2][4]

1908年(明治41年)4月25日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6][7]1911年(明治44年)7月9月まで在任[2]。さらに1915年(大正4年)8月25日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[8][9]研究会に所属して活動し、1925年(大正14年)7月9月まで在任した[2]

家族

  • 妻 細川千鶴子(上杉斉憲七女、1895年4月結婚)[1]
  • 長男 細川立暢[1] 妻の敬子は水野忠敬の孫。娘婿に萩市の菊屋家三男・於菟輔。
  • 二男 佐双立業(佐双定雄養子)[1]

脚注

注釈

出典

参考文献


日本の爵位
先代
細川行真
子爵
宇土細川家第2代
1902年 - 1947年
次代
華族制度廃止