石炭車
用途・構造
日本でイメージされる車両はホッパ車の一種であり、基本的にはホッパ車と同じ構造をしているが、大量に使用していたこと、積荷の石炭の比重がホッパ車が主に扱う砕石(鉱石)に比べ小さい(砕石1.09、石炭0.8)こと、そしてホッパ車よりも先に開発された事などから管理上、ホッパ車とは別格に位置づけられていた。塗色は黒色に塗られている。
なお、ホッパ車との違いとしては積荷の設計比重が異なるため石炭車のほうが積荷体積が大きく取れるように設計されており、またそれに伴う重心の上昇に対応した設計になっている点が挙げられる。
また九州地区と北海道地区では車両構造が大きく異なっている事も特色といえよう。これは北海道は大規模な運炭をしているのに狭軌で寒冷な気候のため、底開き式では開口部(線路の間に落とす構造上軌間が上限)が十分とれず[脚注 1]、また下部に開口部があると凍結で詰まる原因になることから欧州の一部で見られた側開き式の車両[脚注 2]を大型ボギー車にしたものでボギー車で側面から排出を行い、海外の石炭車にもそのまま同じものは見当たらない独自色の強いものになっている[1]。それに対し、運炭規模が比較的小さい九州はドイツ型を手本に九州地区では二軸車で車両中心部の底面から排出する車両を使用し、石炭車から排出を行う施設も大きく異なり、石炭産業終焉までその施設を使用していたためである。
アメリカや中国、カナダ、オーストラリアなどの巨大な炭田を有する日本国外の国々でも石炭輸送に同様の貨車が使われていた。米国においては、さらなる効率化を狙いカーダンパーを前提とした背高の無蓋車を用いている。カーダンパーがあればホッパ車である必要がなくなり、地上設備を要する代わりに車両は安価で頑丈な構造となり、取り卸し時間も圧倒的に短縮される。
運用
九州北部や北海道などで石炭が採掘されていた時代には、蒸気機関車が石炭車を何十両も牽引し、炭鉱から港へと石炭を輸送していた。石炭産業縮小の影響を受けて数を大幅に減らしながらも一部の石炭車は日本貨物鉄道(JR貨物)に引き継がれたが、現在は使われていない。
九州への大形ボギー車の転属と,石灰石輸送への転用
美祢線や北九州では石炭車のまま石灰石輸送に転用された。九州で石灰石輸送で転属して来る以前にもボギー車は(石炭輸送で)転属して来ており,入線可能な路線で2軸車と混結されていたのは,セキ3000形式で65㎞制限指定車であった。少なくとも志免炭鉱ではセキ3000形式を混用していたのが確認済みである.本来北海道用のセキ6000形・セキ8000形がほとんど無改造で使用された他、北九州では余剰のセラに蓋を追加して転用した。JRで最後に残った石炭車は、美祢線で石灰石輸送に使われていたセキ6000形・セキ8000形であった。
近年まで残存していた石炭輸送
太平洋石炭販売輸送
北海道釧路市にある太平洋石炭販売輸送では釧路コールマインで採掘された石炭を自社保有の石炭車で港まで輸送していた。
日本国内で最後まで残存した炭鉱鉄道だったが、石炭産出量の減少に伴い2019年(平成31年)3月をもって廃止となった。
太平洋セメント熊谷工場
鶴見線扇町駅-秩父鉄道三ヶ尻駅(希に武州原谷駅)間で、ホキ10000形貨車(ホッパ車)を使用して行われている。これは燃料用の輸入炭を、扇町駅に専用線が接続している三井埠頭から、三ヶ尻駅に専用線が接続している太平洋セメント熊谷工場へ輸送するもので、毎日1本運行されている。
2020年(令和2年)3月14日をもって廃止となり、日本国内から鉄道による石炭輸送が完全に消滅した。
主な形式
二軸車
二軸車は九州北部の産炭地で用いられた。
- セム1形
- セラ1形
大形ボギー車
ボギー車は北海道と九州北部の産炭地で用いられた。
- セキ6000形
- セキ8000形
私鉄の石炭車
北海道や九州の産炭地では、炭鉱所有企業が炭鉱と国鉄線を結ぶ鉄道を引くことが一般的であった。距離が短い場合は専用側線とした場合もあるが、多くの炭鉱では国鉄線と炭鉱の間に距離があり専用鉄道(本格的に旅客輸送を行った鉄道は地方鉄道)として、独立した鉄道として運営されていた。このような炭鉱の石炭輸送を目的とした専用鉄道・地方鉄道を、「炭鉱鉄道」と呼ぶことがある。
製品出荷に使用する石炭車[脚注 3]は国鉄の車両を使用したが、一部の鉄道では自社線内で完結する石炭輸送用に独自の石炭車を持つ場合もあった。
脚注