甲斐雄平

甲斐 雄平(かい ゆうへい、1988年3月15日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロ野球選手外野手)。右投右打。

甲斐 雄平
阪神時代
(2010年8月24日)
基本情報
国籍日本の旗 日本
出身地福岡県福岡市
生年月日 (1988-03-15) 1988年3月15日(36歳)
身長
体重
185 cm
83 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション外野手
プロ入り2009年 ドラフト3位
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
派遣歴
監督・コーチ歴

経歴

プロ入り前

福岡市立弥永小学校元プロ野球投手石丸進一をモデルにした映画『人間の翼 最後のキャッチボール』を見たことがきっかけで、曰佐中学校に進んでから本格的に野球を始めた。ボーイズリーグ福岡県南支部に所属する福南ファイターズ(現:福南ボーイズ)に在籍。当時のチームメイトに、後に女子硬式野球ワールドカップ日本代表捕手で4番を打つことになる西朝美がいた。

市立博多工業高校時代は4番を打ち[1]、高校通算28本塁打を放った。福岡大学では1年春からレギュラーとなり、主将も務めた[2]。3年秋には九州六大学野球リーグのMVP・ベストナインに選出された[3]

2009年ドラフト会議阪神タイガースから3位で指名され、契約金6,000万円・年俸840万円(金額は推定)で契約して入団した。背番号は「44」。

プロ入り後

新庄2世となることを期待されたが[4]、プロ初年度の2010年は故障が重なり一軍昇格はなく、この年一軍出場を果たした同期入団の藤川俊介田上健一両外野手に後れを取った[5]。1年目の二軍成績は、41試合、打率.190、4本塁打、14打点、1盗塁、OPS.630。

2011年ウエスタン・リーグ前半戦31試合で、打率.289と成績を出し、フレッシュオールスターゲームにも選出された[6]。しかし、その後は成績が落ち、2年目の二軍成績は86試合、打率.227、0本塁打、4打点、3盗塁、OPS.564であった[7]。11月から同僚の荒木郁也秋山拓巳と共にオーストラリアン・ベースボールリーグキャンベラ・キャバルリーに派遣され[8]、19試合に出場、67打数14安打、打率.209、0本塁打、5打点、0盗塁、OPS.533の成績だった。

2012年も一軍での出場は無く、二軍でも打率.169と不振に終わった。10月2日に戦力外通告を受け[9]、現役引退。

現役引退後

大学時代に教員免許を取得しており、現役引退後は博多工業高校の保健体育科の教員となった[10]。2020年より福岡市正規教員として、福岡市立福岡西陵高等学校に赴任、保健体育を担当しながら野球部副部長を経て監督[11]

選手としての特徴

大学時代は相手チームの二塁走者が単打での本塁突入を自重した[12]ほどの強肩(遠投120メートル)と50メートル走6秒の俊足[13]が持ち味。

高校生の時から大学まで7年間も追い続け、甲斐の3位指名を担当した永尾泰憲スカウト[14]は「守りだけだったらすぐにでも一軍で通用する。補殺と広い守備範囲、状況判断。そういうものを知ってますから」、「金本、新井みたいにガンガン打撃を鍛えればトリプルスリーも夢ではない。それくらいの素材」などと非常に高い評価[15]をしていた。

プロ入り1年目の2010年4月15日、ウエスタン・リーグの試合前にスイングチェックをしていた甲斐を見て、当日のスカイ・エーの中継で解説者を務めていた広澤克実は「スイングの際に(右足首が早く回って)右のかかとがすぐに上がってしまうため、変化球に対するタメや呼び込みを作れず、速球には強そうだが変化球には弱そうだ」と評した。

詳細情報

年度別打撃成績

  • 一軍公式戦出場なし

背番号

  • 44 (2010年 - 2012年)

登場曲

  • 「24karats -type EX-」EXILE(2010年 - 2012年)

脚注

関連項目

外部リンク