田島ナビ

日本のスーパーセンテナリアン(1900−2018)

田島 ナビ(たじま ナビ、1900年明治33年〉8月4日[5] - 2018年平成30年〉4月21日[1])は、日本スーパーセンテナリアン鹿児島県喜界町在住の長寿の女性。2017年9月15日以降死去するまで長寿世界一となっていた。また、生年月日に確証のある人物としては世界最後の19世紀生まれの人物となった。

たじま ナビ

田島 ナビ
生誕 (1900-08-04) 1900年8月4日
日本の旗 日本鹿児島県大島郡荒木(喜界島
死没 (2018-04-21) 2018年4月21日(117歳没)
日本の旗 日本・鹿児島県大島郡喜界町[1]
死因老衰[2]
住居日本の旗 日本・鹿児島県大島郡喜界町
国籍日本の旗 日本
著名な実績
  • 日本史上最高齢(2017年9月1日 - 2020年9月18日)
  • 存命人物のうち世界最高齢(2017年9月15日 - 2018年4月21日)
  • 存命人物のうち日本最高齢(2015年9月27日 - 2018年4月21日)
  • 19世紀生まれの最後の人物
  • 世界歴代3位の長寿[3][注釈 1]
配偶者富二子(とみにし、1991年死去)
子供9人
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人物

1900年8月4日に鹿児島県大島郡荒木地区の集落で田島家の長女として誕生。喜界島に在住し、尋常小学校を卒業後、織工場で働く[6]1919年とみを婿として迎え、共にサトウキビ農業を80歳頃まで勤めた。富二子は1991年(平成3年)に94歳で亡くなった[6][7][8][9]。富二子の死後は長男夫妻のもとで生活していた[9]。2002年(平成14年)2月に特別養護老人ホーム「喜界園」に入居した[10]。入居後も杖をついて歩くことが出来たが、転倒による骨折が原因で車いす生活を送る[9]

富二子との間に9人の(7男2女)をもうけ、2011年(平成23年)の敬老の日の時点で、が28人、ひ孫が56人、玄孫が35人いた[11]2015年(平成27年)9月の時点では、玄孫の子にあたる来孫を含む140人以上の子孫がいた[12]2017年(平成29年)9月の時点では、約160人の子孫がいた[10]

1日3回の食事は欠かさず、味噌汁など5品をミキサーにかけたものをとっていた。元気の良い日はシマ唄に合わせて手踊りをしていた[13]

長寿記録

  • 2011年9月時点で鹿児島県内の最高齢者として認定されている[11]
  • 2015年9月27日東京都在住の氏名非公表の女性1900年明治33年〉3月15日生まれ)が死去したため、115歳54日で存命する日本最高齢の人物となった[14]
  • 2017年9月1日117歳28日で大川ミサヲの年齢を上回り、日本人の史上最高齢記録を更新した。
  • 同年9月15日ヴァイオレット・ブラウンが死去したことに伴い、117歳42日で世界最高齢の存命人物、並びに年齢に確証のある最後の19世紀生まれの人物となった。
  • 2018年4月21日午後7時58分、老衰のため喜界町内の病院で死去した[2][15]117歳260日没[16]。田島の死去に伴い、同じく日本の都千代1901年〈明治34年〉生まれ)が世界最高齢となり、確実な記録の残る19世紀生まれの全員がこの世を去った。告別式は同月23日午後1時に行われ、ひ孫ら約100人が参列し、島歌を捧げるなどして別れを惜しんだ。喜界町副町長の嶺義久は「町民の誇りでした」と追悼の意を述べた[17]田中カ子2020年9月19日に記録を更新するまで、日本並びにアジアにおける史上最長寿の人物だった。

脚注

注釈

出典

関連項目

記録
先代
(氏名非公表)
存命人物のうち日本最高齢
2015年9月27日 - 2018年4月21日
次代
都千代
先代
大川ミサヲ
歴代の日本最高齢
2017年9月1日 - 2020年9月18日
次代
田中カ子
先代
ヴァイオレット・ブラウン
存命人物のうち世界最高齢
2017年9月15日 - 2018年4月21日
次代
都千代