猿払村

北海道宗谷郡の村

猿払村(さるふつむら)は、北海道宗谷地方北部に位置するである。北海道を代表するホタテの水揚げ地であり、最も平均所得が高い村として有名。

さるふつむら ウィキデータを編集
猿払村
猿払村旗猿払村章
日本の旗 日本
地方北海道地方
都道府県北海道宗谷総合振興局
宗谷郡
市町村コード01511-3
法人番号6000020015113 ウィキデータを編集
面積589.99km2
総人口2,654[編集]
住民基本台帳人口、2024年5月31日)
人口密度4.5人/km2
隣接自治体宗谷総合振興局
稚内市
天塩郡豊富町幌延町
枝幸郡浜頓別町
村の木ナナカマド
村の花コケモモ
村の魚イトウ
猿払村役場
村長伊藤浩一
所在地098-6292
北海道宗谷郡猿払村鬼志別西町172番地
北緯45度19分50秒 東経142度06分32秒 / 北緯45.33064度 東経142.10892度 / 45.33064; 142.10892 東経142度06分32秒 / 北緯45.33064度 東経142.10892度 / 45.33064; 142.10892
猿払村役場
猿払村役場
外部リンク公式ウェブサイト

猿払村位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト
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猿払村中心部周辺の空中写真。画像左側下部に村役場のある鬼志別地区。画像右側のオホーツク海に面した港は浜鬼志別港。1977年撮影の6枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
カムイト沼
道の駅さるふつ公園

2023年度の平均所得は約732万円と日本の平均所得を大きく超えているが、平均所得を押し上げているのはホタテ漁師であり、それ以外の職は全く高給では無い。また、ホタテ漁師は人手不足では無いうえに世襲制であり、移住希望者が同職につくことはできない[1][2][3]

村名の由来

アイヌ語の「サㇽプッ(sar-put)」(葦原の・河口)から。もともとは現在の浜猿払地区付近の川口を指した地名であったが、大地名化し後に村名や河川名となったものである[4]

地理

宗谷管内のオホーツク海側に位置する。東部はオホーツク海に接する海岸が続き、国道238号が南北に縦貫する。西部は丘陵・山岳地帯。村総面積の8割が森林。

十津川村に次いで日本で2番目に面積の大きい村であり、北海道では最も面積の大きい村である。(北方領土を含めた場合でも、北海道で5番目に面積の大きな村となっている)

猿払村最北端は知来別である。

隣接している自治体

気候

春は3月中旬ごろから北西の冷たく厳しい吹雪の日が少なくなり、4月には融雪が一気に進み平野部では雪が消える。5月から6月にかけては天候が安定して乾燥する。夏は7月から8月にかけ太平洋高気圧の圏内に入り気温が上がり、30℃近くまで上がることもある。しかし、オホーツク海高気圧が強まり長期間にわたって低温の湿潤な天候が続く年もある。秋は9月中旬ごろから朝夕は急激に涼しくなり山間部では紅葉が始まる。雷が発生し降水量が最も多い時期でもある。10月下旬から11月上旬にかけて初雪が観測される年がある。冬は12月末から2月ごろは猛吹雪が発生する。2月から3月にかけて流氷が接岸すると冷え込みが強くなり、-20℃を下回る日もある[5]

浜鬼志別にあるアメダスは1978年10月に統計を開始した。最高気温の極値は32.7℃(2000年7月31日)、最低気温の極値は-27.2℃(1986年2月4日)。平年値で冬日の年間日数は159.8日、真冬日84.7日。夏日13.7日、真夏日0.6日。猛暑日や熱帯夜を観測したことはない。

降水量は7月から11月にかけて多く、10月から2月にかけて雪または雨の降る日が多い。平年値で年間降雪量780cm、年間の最深積雪は75cm(1983年10月統計開始)。最深積雪の極値は118cm(1998年2月5日)。日照時間は11月から1月にかけて少なくなる(1987年10月統計開始)。最大風速の極値は24m/s(風向:北、2007年1月7日)、最大瞬間風速の極値は33.4m/s(風向:西南西、2021年2月16日、2008年9月統計開始)


浜鬼志別(1991年 - 2020年、猿払村)の気候
1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
最高気温記録 °C°F6.2
(43.2)
12.0
(53.6)
14.5
(58.1)
22.4
(72.3)
27.6
(81.7)
28.3
(82.9)
32.7
(90.9)
32.4
(90.3)
30.8
(87.4)
23.4
(74.1)
18.3
(64.9)
11.1
(52)
32.7
(90.9)
平均最高気温 °C°F−3.2
(26.2)
−2.9
(26.8)
0.9
(33.6)
7.1
(44.8)
12.2
(54)
15.2
(59.4)
19.1
(66.4)
21.7
(71.1)
19.7
(67.5)
13.7
(56.7)
5.5
(41.9)
−0.9
(30.4)
9.0
(48.2)
日平均気温 °C°F−5.9
(21.4)
−6.0
(21.2)
−2.1
(28.2)
3.5
(38.3)
8.2
(46.8)
11.8
(53.2)
15.9
(60.6)
18.4
(65.1)
15.5
(59.9)
9.4
(48.9)
2.2
(36)
−3.5
(25.7)
5.6
(42.1)
平均最低気温 °C°F−9.8
(14.4)
−10.9
(12.4)
−6.5
(20.3)
−0.5
(31.1)
4.4
(39.9)
8.5
(47.3)
13.1
(55.6)
15.2
(59.4)
10.8
(51.4)
4.5
(40.1)
−1.5
(29.3)
−7.0
(19.4)
1.7
(35.1)
最低気温記録 °C°F−26.6
(−15.9)
−27.2
(−17)
−23.9
(−11)
−12.2
(10)
−5.6
(21.9)
−2.2
(28)
1.7
(35.1)
5.2
(41.4)
0.5
(32.9)
−4.6
(23.7)
−13.2
(8.2)
−18.1
(−0.6)
−27.2
(−17)
降水量 mm (inch)61.1
(2.406)
42.7
(1.681)
45.1
(1.776)
42.7
(1.681)
62.5
(2.461)
63.0
(2.48)
109.2
(4.299)
125.7
(4.949)
119.6
(4.709)
118.0
(4.646)
110.6
(4.354)
91.2
(3.591)
995.0
(39.173)
降雪量 cm (inch)205
(80.7)
161
(63.4)
126
(49.6)
18
(7.1)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
1
(0.4)
75
(29.5)
196
(77.2)
780
(307.1)
平均降水日数 (≥1.0 mm)17.913.412.79.79.69.39.810.012.415.317.618.8156.6
平均月間日照時間68.497.9149.2179.8177.1139.0119.1141.6175.7146.579.761.21,530.3
出典1:理科年表
出典2:気象庁(平均値:1991年 - 2020年、極値:1978年 - 現在)[6][7]


歴史

  • 江戸時代中期頃より、松前藩管理の場所請負制による漁場が開設される。1878年明治11年)、北見国宗谷郡に6か村が設定される。1882年(明治15年)、廃使置県にともない札幌県に移管。
  • 1919年大正8年)11月浜頓別〜浅茅野に鉄道敷設。1920年(大正9年)11月、浅茅野〜鬼志別、1922年(大正11年)11月、鬼志別〜稚内が開通し、宗谷本線(後の天北線)となる。
  • 1924年(大正13年)10月 宗谷村(現稚内市の一部)から分村し、猿払村として二級町村制を施行。なお猿払村は1909年に宗谷村に合併しており、元に戻った形である。
  • 1934年昭和9年)12月樺太との間に海底ケーブルの敷設及び中継所が設置され、電話本州と開通した。
  • 1939年(昭和14年)12月12日ソ連船「インディギルカ号」が浜鬼志別沖合いで座礁。多数の死傷者を出すものの、村民により多くの人命が救助される[8]
  • 1942年(昭和17年)6月大日本帝国陸軍航空本部浅茅野飛行場建設工事開始。第一、第二飛行場共に1944年末に完成。勤労奉仕の村民が多数動員される。
  • 1947年(昭和22年)、終戦後の引揚者の入植などにより、内陸地の戦後開拓がすすむ。産業では炭鉱、林業(王子製紙)、酪農が中心。
  • 1953年(昭和28年)8月8日、猿払村沖でソ連船「ラズエズノイ号」による領海侵犯(ラズエズノイ号事件)。
  • 1954年(昭和29年)、この頃よりニシン水揚が激減。沖合のホタテ漁も乱獲により衰退し、漁民の多くが経済的困窮により離村を余儀なくされる。
  • 1963年(昭和38年)、及び1967年(昭和42年)にかけて相次いで炭鉱閉山。林業も衰退し、僅かに酪農を除いた村内の産業経済が完全に停滞。当時は「貧乏見たけりゃ猿払へ行きな」と言われるほどの有り様であり、住民の生活は困窮を極める。
  • 1967年(昭和42年)1月、村内の鬼志別郵便局の職員が第31回衆議院議員総選挙の選挙ポスターの掲示・配布を行う。この行為が国家公務員の政治活動として処罰されたことに関して最高裁まで争われ、憲法学上の重要事件の1つとなった(猿払事件)。
  • 1971年(昭和46年)、猿払村漁業協同組合10年計画による初のホタテ稚貝放流事業を実施。以降、巨額を投じてホタテ放流事業に村の復興を賭ける。
  • 1979年(昭和54年)、浜鬼志別港にソ連人が故障したモーターボートに乗って漂着。空に向かって銃を発砲したため稚内警察署に逮捕された。後にカモ猟をしていて北海道まで流され、警察を呼ぶために故意に発砲したと供述[9]
  • 1981年(昭和56年)、ホタテ漁業造成事業を終了。以後、計画的な稚貝放流と徹底した資源管理により驚異的なホタテ水揚を維持することとなる。これにより、道内で最も貧しいといわれた村は、支庁内高所得者の6割、全国でも有数の高所得自治体となっている。
  • 1983年(昭和58年)、大韓航空機撃墜事件により、村内海岸に遺体や漂流物など多数漂着。
  • 1989年平成元年)5月1日天北線廃止。同日バスに転換。村内から鉄道がなくなる。
  • 1994年(平成6年)7月10日、開村70周年記念式典挙行。
  • 2019年(令和元年)、村の沖合にある無人島、エサンベ鼻北小島の海没が確認される[10]

行政

歴代村長

特記なき場合『村勢要覧資料編2019』による[11]

氏名就任退任備考
猿払村長(官選)
1宮崎喜一郎大正13年1月1日昭和6年4月14日
2太田誠八郎昭和6年4月14日昭和7年3月24日
3渡辺嘉蔵昭和7年3月24日昭和19年11月19日
4東田与三郎昭和19年11月19日昭和21年11月7日
猿払村長(公選)
5工藤政雄昭和22年4月5日昭和22年7月6日
6佐藤貞雄昭和22年8月22日昭和32年11月4日
7朝日春吉昭和32年12月9日昭和44年12月2日
8笠井勝雄昭和44年12月3日平成13年12月2日
9森和正平成13年12月3日平成21年12月2日
10巽昭平成21年12月3日平成25年12月2日村政初の民間出身首長
11伊藤浩一平成25年12月3日現職

村議会

市町村合併について

  • 2000年9月5日に「北海道市町村合併推進要綱」が策定された。これによると、「猿払村・浜頓別町中頓別町」の合併パターンが示された。
  • 2003年12月1日稚内市豊富町との間で「宗谷北部3市町村任意合併協議会」(後の「宗谷北部地域任意合併協議会」、2004年3月13日礼文町が加入)を設置したが、2004年4月23日に離脱。
  • 2004年4月25日に浜頓別町・中頓別町の法定協議会に加入し、2004年6月に行なわれた3町村合併に関する住民アンケート(世帯対象)の結果で「積極的に進める(30%)」「どちらかといえば進める(38.5%)」「どちらかといえば必要ない(9.2%)」「必要ない(8.1%)」「わからない(13.4%)」となった。しかし、2004年11月8日に合併協議からの離脱を表明し、2004年11月12日に協議会離脱案を可決。その後、2005年2月28日に協議会が解散。
  • 2006年7月31日に「北海道市町村合併推進構想」が策定された。これによると、構想対象市町村の組合せで「稚内市・猿払村・豊富町」が示された。

経済

道の駅さるふつ公園のほたて定食。ホタテは猿払村の名物であり主産業である

産業

漁業酪農が盛ん。特にホタテの水揚げ地として知られ、漁獲量は日本一である。古くからホタテの好漁場であり、明治時代にも香港に輸出されるなどしたが、濫獲により資源が消滅。戦後まもなくは天北炭田の採炭と林業によって栄えたが、これが衰退すると村は疲弊、一部の権力者による密漁が横行し、道内管区から目を付けられる事態であった。そこで村の興亡を賭けて、元来の産業であったホタテ漁の再興に取り組み、これが軌道に乗り、加工業も盛んになった。現在も稚貝の放流、害敵の駆除など、徹底した資源管理を行っている。ホタテ漁に携わる漁業組合員が高収入を得ていることから、住民平均所得は全国の自治体中4位(2016年)を誇り、村にはホタテ御殿と呼ばれる豪邸が建っている[13]。その一方でホタテ加工場の労働者時給は最低賃金の786円であり(2017年時点)、人手不足が深刻な問題となっている[14]

農協・漁協

  • 東宗谷農業協同組合(JAひがし宗谷)猿払支所
  • 猿払村漁業協同組合

金融機関

郵便局

  • 鬼志別郵便局(集配局)
  • 浅茅野郵便局(集配局)
  • 浜鬼志別郵便局
  • 知来別郵便局
  • 猿払簡易郵便局
  • 小石簡易郵便局

公共機関

警察

国家機関

防衛省

姉妹都市・提携都市

海外

国内

  • 友好都市
    • 内灘町(石川県)
      • 明治25年頃に更なる漁場を求め北海道の地を訪れた内灘漁民が、猿払村にてホタテの貝場を開拓し八尺網漁法を普及させたことにより、国内随一の漁獲量を誇る今日の猿払村ホタテ漁の礎を築いたことから[15]

地域

人口

前述の通り、当村は全国屈指のホタテの産地であり村民の平均所得が高く、財政状態も比較的健全なことから、道北地方の他の自治体と比較すると人口減は穏やかである。

猿払村と全国の年齢別人口分布(2005年)猿払村の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 猿払村
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
猿払村(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)4,818人
1975年(昭和50年)3,552人
1980年(昭和55年)3,358人
1985年(昭和60年)3,374人
1990年(平成2年)3,206人
1995年(平成7年)3,121人
2000年(平成12年)2,980人
2005年(平成17年)2,940人
2010年(平成22年)2,825人
2015年(平成27年)2,684人
2020年(令和2年)2,611人
総務省統計局 国勢調査より


消滅集落

2015年国勢調査によれば、以下の集落は調査時点で人口0人の消滅集落となっている[16]

  • 猿払村 - 上猿払

教育

  • 中学校
    • 猿払村立拓心中学校
    • 猿払村立浜猿払中学校(1983年閉校)
    • 猿払村立鬼志別中学校(1985年閉校)
    • 猿払村立知来別中学校(1985年閉校)
  • 小学校
    • 猿払村立浅茅野小学校
    • 猿払村立鬼志別小学校
    • 猿払村立知来別小学校
    • 猿払村立浜鬼志別小学校
    • 猿払村立石炭別小学校(1968年閉校)
    • 猿払村立芦野小学校栄分校(1971年閉校)
    • 猿払村立上猿払小学校(1972年閉校)
    • 猿払村立小石小学校(1981年閉校)
    • 猿払村立猿払小学校(2001年閉校)
    • 猿払村立浜猿払小学校(2015年閉校)
    • 猿払村立芦野小学校(2017年閉校)
    • 猿払村立狩別小中学校(閉校)

交通

空港

鉄道路線

村内を鉄道路線は通っていない。鉄道を利用する場合の最寄り駅は、JR北海道宗谷本線南稚内駅あるいは音威子府駅

廃止された鉄道路線

かつては天北線が通っていたが、1989年に廃止されている。

バス

  • 宗谷バス
    • 天北宗谷岬線 - JR天北線廃止代替
      • 苗太路 - 知来別学校前 - 鬼志別ターミナル - 浜鬼志別 - 芦野 - 猿払 - 浜猿払 - 浅茅野 - 飛行場前 - 安別
    • 特急天北号 - 名寄・旭川方面
  • 猿払村乗合タクシー:鬼志別〜小石地区

道路

猿払村道エサヌカ線
    • エサヌカ線
    オホーツク海沿いに走る、区間延長約16 kmの道路。日本最北端の宗谷岬から国道238号(オホーツクライン)を南下して約40 kmの位置にエサヌカ線の北端があり、南端は浜頓別町へ至る。道路の線形は、経路中間点よりやや北で90度カーブが2カ所あり、クランク状になっている他は、北に約4 km、南に約8 kmの直線道路が延びる。全線に渡って道路にガードレールや電柱は1カ所もなく、北東側の直線路は海岸線に近い原生花園の中を貫き、とりわけ南東側の直線路の周辺視界には平坦な牧草地が広がるのみで、地平線に向かって延びる開放的な絶景の直線道路はガイドブック等に紹介されている[17][18]
  • 道の駅

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

祭事

  • インディギルカ号遭難者慰霊祭
  • さるふつ観光祭り(7月)

観光

出身人物

その他

  • 自衛隊日本最北端の演習場である鬼志別演習場が設置されている。規模は上富良野演習場の約半分程度の広さ。
  • かつて、村内浅茅野地区に日本陸軍浅茅野飛行場が設置された。現在はバス停車場に「飛行場前」の名をとどめている。
  • 横浜崎陽軒のシウマイは猿払産の干貝柱を使っている。
  • 樺太と北海道の間の海底ケーブルの中継所が戦前に当地にあった。このため真岡郵便電信局事件の一文が跡地記念碑に刻まれている。

関連項目

脚注・出典

外部リンク