狂気の山脈にて At the Mountains of Madness | |
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訳題 | 「狂気山脈」 |
作者 | ハワード・フィリップス・ラヴクラフト |
国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 英語 |
ジャンル | ホラー、クトゥルフ神話 |
初出情報 | |
初出 | 『アスタウンディング・ストーリーズ』1936年2・3・4月号 |
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『狂気の山脈にて』(きょうきのさんみゃくにて、原題/英題:At the Mountains of Madness )とは、アメリカの小説家ハワード・フィリップス・ラヴクラフトの幻想的怪奇小説。1931年に執筆され、1936年に出版された。
分量は、12章・160ページ以上(全集4版)の長編小説。ラヴクラフトの数少ない長編であるが、1931年2月から3月にかけてのわずか1か月間で執筆された。パルプ雑誌『アスタウンディング・ストーリーズ』の1936年2・3・4月号に分けて発表されたが、この時は編集部によって多くの部分が削除・改変されている。原文のまま発表されるのは、出版社アーカム・ハウスから改めて刊行された1984年の"狂気の山脈にてその他(英語版)"まで待たなければならなかった。
物語は地質学者ウィリアム・ダイアーの一人称視点で書かれ、彼の手記という体裁を執っている。のちに「クトゥルフ神話」と呼ばれることになるラヴクラフト創造の超古代の地球の支配者の歴史譚が最も直截的かつ密度濃く描かれた作品である。クトゥルフ神話内においては「古のもの物語」の代表作である[1][2]。
1930年、ミスカトニック大学のウィリアム・ダイアー教授は、探検隊を率いて南極大陸へ向かう。目的は地下の岩石や土砂を採取することであり、ピーバディ教授が開発した最新機器を装備していた。作業は順調に進み、ある地点では古生物の化石も発見される。しかし、生物学者のレイク教授は古い粘板岩上の奇妙な縞模様のほうに注目する。層序学的に推定される当地層の地質時代と矛盾する高度に進化した生物の痕跡に思われたからである。レイクは計画の変更を強硬に主張し、分隊を率いて地層が伸びる方角へ向かう。
やがて分隊からの無線通信で、未知の巨大な山脈に到達し、その地下洞窟から奇怪な化石を発掘した旨の報告を受ける。それは独自の進化を遂げた大型の生物で、動物と植物の両方の特徴を具えているように思われた。その姿は「ネクロノミコン」に記された神話上の「古のもの」を連想させる。化石は続けて数体発見され、しかも、元の性質が失われていなかった。レイクはそのうちの一体を解析するが、体組織の強靭さ、脳と神経系の発達などにさらに驚かされることになる。生物学の常識を覆す発見に隊は興奮に包まれ、ダイアーもレイクの判断が正しかったことを認める。
しかし翌朝、決められた時刻になっても分隊からの無線連絡はなかった。強風のために通信が困難になっているようであったが、本隊のキャンプ地で風が収まったあとも、分隊への呼びかけに応答はない。ダイアーは最悪の事態を想定し、捜索に向かうことを決意する。そして帰還すると「レイクの分隊は強風で全滅し、すべては失われた」と嘘の報告をする。
本作は、40歳であった1931年にわずか1か月で書き上げられた。短編の多いラヴクラフトでも『チャールズ・ウォードの奇怪な事件』(1927-1928年)に並ぶ長編として知られている。"At the Mountains of Madness " というタイトルは、ダンセイニ卿のSF怪奇短編小説 "The Hashish Man and Other Stories "(1996年)[6]の台詞 "And we came at last to those ivory hills that are named the Mountains of Madness...". から採られた。
ラヴクラフトは、自信作となった本作を、かねてより寄稿先としてきた人気のパルプ・マガジン『ウィアード・テイルズ』に持ち込んだ。ところが、解雇された前任者に替わって同誌を立て直したファーンズワース・ライト編集長は商業主義を高度に追及する人物で、ラヴクラフトの作風を「無駄に長すぎる」「難解すぎる」と低く評価しており、先代編集長のようには採用してくれなかった。ライトの商業主義に怒り、酷く落胆するラヴクラフトは、知人宛ての手紙で断筆をほのめかすほどであった。もっとも、ライトの立場からすれば、自身の編集方針はかねてから明らかにしており、作家達の誰にも短く分かりやすい作品を求めていたところに長く分かりにくい本作であるから、避けがたい判断ではあった。同誌におけるラヴクラフトの過去作にはそれなりの支持者がおり、ラヴクラフトのことをライトが軽く見ていたわけではなかったが、本作に光が当たるような環境ではなかった。
それから数年後の1936年、小腸癌を患って余命幾許もなくなったラヴクラフト45歳の時、本作は老舗のパルプ・マガジン『アスタウンディング・ストーリーズ』に掲載される運びとなった[5]。同誌に原稿を送ったのは本人ではなく、友人ジュリアス・シュヴァルツ (英語版)であった。ラヴクラフト自身は一度拒絶された原稿を他誌に提出することを嫌っていたが、体調が芳しくないラヴクラフトをおもんばかった友人達が彼のストックしてきた原稿を何とか発表させてやろうと奔走したお蔭であって、ほかにもいくつかの作品がこの時期に出版された。
これらは『アスタウンディング・ストーリーズ』の編集長フレデリック・オーリン・トレメイン (英語版)の新規開拓精神に溢れた編集方針によって実現した朗報であった。彼は1933年12月号で「異なった発想(英:thought variant)」を編集方針として表明し、使い古された冒険譚よりも独創性と自由な発想を重視する姿勢を明文化していたのである。保守的な編集者達に拒絶されて埋もれている作品の発掘にも熱心であった同誌は、1935年末までにSF雑誌界のリーダーに躍り出ていた。そのような流れのなかでのラヴクラフト作品の採用であった。もっともアスタウンディング版では、トレメイン編集長によって綴り字・段落・句読点に至るまで大幅に校正されたうえに一部は割愛されてしまった。そのため、ラヴクラフトはまたも失望することになった。原稿料は当時の315ドルであった。このように、初出こそ本人の納得できない形での発表であったが、のちに本作の評価は高まり、代表作の一つに挙げられることになる。
ラヴクラフトは、人類以前の文明を描いた作品としては、ちょうど10年前に当たる1921年にも『無名都市』を執筆している。また、『狂気の山脈にて』で物語の舞台となった狂気山脈は、『未知なるカダスを夢に求めて』(1926年ごろ執筆中)で既に描かれていた。
ラヴクラフトが南極に関心を持ち始めたのは子供のころで、当時は未踏破であった南極大陸に興味を持つようになったのは、9歳の時、ウィリアム・クラーク・ラッセル (en) の "The Frozen Pirate "(1887)を読んだことが切っ掛けであった。翻訳家の大瀧啓裕によれば、南極大陸を舞台にした本作は「十歳のときから心に取り憑いて離れない、荒涼とした白い南極にかかわる漠然とした感情をつきとめるべく目論まれた」ものであり、執筆は「必然のなりゆきだったのだろう」という[5]。
本作執筆の直前の時期、1928年から1930年にかけてはリチャード・E・バードが南極探検を行っており、南極大陸から温暖な地域に棲息する生物の化石が発見されている。ラヴクラフトはこの出来事を本作に反映させた。当時は大陸移動説が完全に立証されておらず、南極大陸の環境が大きく変化したということは知られていなかった。しかし、ラヴクラフトは大陸移動説を引用し、現代と違って世界地図にもまだ描かれていない南極大陸を可能な限り空想ではなく現実の地理として調べようとした。
本作には、同じ南極大陸を舞台にしたエドガー・アラン・ポー[注 4]の冒険小説『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』(1837)が作中に登場するとともに、設定の一部も持ち込まれている。例えば、ショゴスの鳴き声は同作に登場する巨大な鳥が元になっている[7]。なお本作中では、ダイアー教授とダンフォースが、ポーは禁断の資料を用いて執筆したのではないかと推測している。リン・カーターと評論家S・T・ヨシは、ラヴクラフトが寒さを嫌っていたこともあり、氷点下の世界での息苦しさなどの描写に関して、ポーよりも空気感を表せていると指摘している。
ラヴクラフトの着想に繋がったもう一つの作品として、エドガー・ライス・バローズのSF小説『地底の世界ペルシダー(英:At the Earth's Core )』(1914年刊行)が挙げられる。評論家ウィリアム・フルワイラー (William Fulwiler) は、高い知能を有する爬虫類の特徴を具えたマハールと古のもの、そして彼ら支配種族が共に奉仕種族を従えていることを類似点として指摘している。ほかにも、北極探検を舞台としたマシュー・フィップル・シェイ(英語版)の小説『パープルクラウド(英:The Purple Cloud )』(1901年)、エイブラハム・グレース・メリットのSF小説『秘境の地底人(英:The People of the Pit )』(1918年)、オスヴァルト・シュペングラーの歴史学書 "Der Untergang des Abendlandes "(1918年、1922年 [注 5])、カサリン・メトカルフ・ルーフ (Katharine Metcalf Roof) の "A Million Years After "(1930年)[8]の影響が指摘されている。また、視覚的要素としてニコライ・リョーリフとギュスターヴ・ドレが挙げられている。
映画監督ギレルモ・デル・トロと脚本家マシュー・ロビンズ (en) が2006年に特撮映像化を計画したが、実現には到らなかった[9][10]。この件については、デル・トロ監督が次に手掛けた映画『パシフィック・リム』の製作前の重要なエピソードとして詳説している。
イギリスの音楽バンド The Tiger Lillies (en)、アメリカのミュージシャン、ダニエル・デ・ピッチオット (Danielle de Picciotto)、および、ドイツのミュージシャン、アレクサンダー・ハッケは、ラヴクラフトの小説6作品─『エーリッヒ・ツァンの音楽』『壁のなかの鼠』『クトゥルフの呼び声』『狂気の山脈にて』『時間からの影』『戸口にあらわれたもの』─をモチーフとしたオーディオビジュアルアート(英語版)として、オーディオミュージカル "The Mountains of Madness " を、2013年にストックホルムのスウェーデン王立ドラマ劇場(英語版)にて公演した。このパフォーマンスはハッケが2005年に考案している。
本作のメディアミックス作品とは言い難いものや、モチーフではあっても完成形が原作からかけ離れているもの、メディアの性質上改変が必須のもの、詳細情報の無いものなどは、こちらに記載する。
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