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1986年にイギリスの[[ロンドン証券取引所]]で行われた[[マーガレット・サッチャー]]による証券制度改革が「[[ビッグバン (金融市場)|ビッグバン]]」と呼ばれたことにちなみ、「'''日本版ビッグバン'''」は、1997年の[[新語・流行語大賞]]トップテンとなった。受賞者はネット証券先駆者の[[松井道夫]]<ref>[http://singo.jiyu.co.jp/old/nendo/1997.html 「第14回〔1997(平成9)年〕」]自由国民社</ref>。 | 1986年にイギリスの[[ロンドン証券取引所]]で行われた[[マーガレット・サッチャー]]による証券制度改革が「[[ビッグバン (金融市場)|ビッグバン]]」と呼ばれたことにちなみ、「'''日本版ビッグバン'''」は、1997年の[[新語・流行語大賞]]トップテンとなった。受賞者はネット証券先駆者の[[松井道夫]]<ref>[http://singo.jiyu.co.jp/old/nendo/1997.html 「第14回〔1997(平成9)年〕」] 自由国民社</ref>。 | ||
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* [https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009030757_00000 金融ビッグバンで金融機関の提携進む - NHKニュース(動画・静止画) NHKアーカイブス] | * [https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009030757_00000 金融ビッグバンで金融機関の提携進む - NHKニュース(動画・静止画) NHKアーカイブス] | ||
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![]() | この項目では、日本における金融制度改革について説明しています。イギリスの証券制度改革については「ビッグバン (金融市場)」をご覧ください。 |
金融ビッグバン(きんゆうビッグバン)は、日本で1996年から2001年度にかけて行われた大規模な金融制度改革を指す経済用語。
この時期に銀行など金融機関の「護送船団方式」を崩壊させるような改革が進行し、その後、2002年以降には、銀行業・保険業・証券の各代理業解禁など規制緩和が進行したことから、これらの時期を分けて、2001年度までは「第1次」、2002年度以降を「第2次」と分けて指すこともある。
1986年にイギリスのロンドン証券取引所で行われたマーガレット・サッチャーによる証券制度改革が「ビッグバン」と呼ばれたことにちなみ、「日本版ビッグバン」は、1997年の新語・流行語大賞トップテンとなった。受賞者はネット証券先駆者の松井道夫[1]。
1996年10月、総理府経済審議会・行動計画委員会の金融ワーキンググループが報告「わが国金融システムの活性化のために[2]」をまとめる。背景として、経済の成熟化(経済成長の鈍化)及びバブル崩壊によって、1990年代に入り空洞化しつつあるとされた日本国の金融市場をニューヨーク、ロンドンと並ぶ国際市場として地位を向上させ、日本経済を再生させる狙いがあった。
1996年11月に第2次橋本内閣が提唱。橋本首相は6つの改革の一つに位置づけ、金融改革を2001年までに行なうよう指示。改革案の柱として、フリー(市場原理が機能する自由な市場)、フェアー(透明で公正な市場)、グローバル(国際的で時代を先取りする市場)の3つの原則を掲げた。[3]
1997年の行程表では、以下の事項が行程として挙げられた。1998年には金融システム改革のための関係法律の整備等に関する法律(金融システム改革法)が成立し、これら各種の改革が一括化された。[4]
2000年代に入ると銀行・証券会社等金融機関での生命保険・損害保険・個人年金保険の募集業や、個人型確定拠出年金制度が登場。また、2002年3月にあさひ銀行が大和銀ホールディングス入りしたことによる都市銀行全行のグループ化(メガバンク化)により、第一次金融ビッグバンは終焉することとなる。
2003年以降は証券仲介業制度による、銀行やコンビニエンスストアなどで株式注文業務などが行われるようになる他、銀行法改正によって他銀行の代理店業も解禁された。その例として、千葉市のアリオ蘇我店内にあるセブン銀行窓口で千葉銀行の取次業務を行っている他、郵政民営化によって発足した郵便局株式会社が、ゆうちょ銀行の代理店業者となって、民営化以前と同様に銀行業務を行っていることなどがあげられる。