浅越しのぶ

浅越 しのぶ(あさごえ しのぶ、1976年6月28日 - )は、兵庫県赤穂郡上郡町出身の元女子プロテニス選手。現姓名、高島しのぶ[1]園田学園高等学校卒業。自己最高ランキングはシングルス21位、ダブルス13位。身長170cm、体重58kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。WTAツアーでシングルスの優勝はないが(準優勝3度)、ダブルスで8勝を挙げた。2004年には全米オープン女子シングルスベスト8に進出。これは日本人女子として伊達公子以来10年ぶりのグランドスラムシングルスベスト8進出であった。現役時代の浅越は、女子テニスツアーの仲間たちから Shii-chan (シーちゃん)という愛称で呼ばれた。

浅越しのぶ
Shinobu Asagoe
基本情報
愛称シーちゃん
国籍日本の旗 日本
出身地同・兵庫県赤穂郡上郡町
生年月日 (1976-06-28) 1976年6月28日(48歳)
身長170cm
体重58kg
利き手
バックハンド両手打ち
ツアー経歴
デビュー年1997年
引退年2006年
ツアー通算8勝
シングルス0勝
ダブルス8勝
生涯通算成績501勝356敗
シングルス275勝208敗
ダブルス226勝148敗
生涯獲得賞金$1,662,261
4大大会最高成績・シングルス
全豪2回戦(2005・06)
全仏4回戦(2004)
全英4回戦(2003)
全米ベスト8(2004)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪ベスト4(2006)
全仏ベスト8(2002・05)
全英3回戦(2003・05)
全米3回戦(2005・06)
キャリア自己最高ランキング
シングルス21位(2005年4月18日)
ダブルス13位(2006年5月8日)

来歴

小学4年生からテニスを始めたが、当初は軟式テニスをプレーしていた。硬式テニスを始めたのはプロとしてはかなり遅く、園田学園中学校へ入学した時からであった。最初の練習では軟式との勝手の違いから、3球連続でボールをコート外の道路まで飛ばすなど周囲を驚かせたという[2]。高校では伊達公子と同じ小浦武志コーチに指導を受け、「伊達2世」と呼ばれる。(園田学園は中高一貫校で、浅越は中学からここに通ったが、先輩の伊達は高校からの入学であった。) 園田学園女子大学を中退し、1997年にプロ転向。4大大会の本戦初勝利は、2000年ウィンブルドンの2回戦進出であった。同年度の全米オープンでは2回戦でパティ・シュナイダースイス)を破り、3回戦に進出する。

その後しばらく伸び悩んだが、2002年WTAツアー大会のダブルスで2勝を挙げる。2003年から急成長を果たし、ウィンブルドン直前の前哨戦である「DFSクラシック」で準優勝。ウィンブルドンでは2回戦で第9シードのダニエラ・ハンチュコバスロバキア)と対戦し、第1セットを 0-6 で失った後、第2セットを 6-4 で奪い返し、さらに最終第3セットには相手のマッチポイント(このポイントを取れば勝利が決まる)を3回跳ね返し、セットを 12-10 で勝ち取り熱闘を制した。その勢いでノーシードながら4回戦(ベスト16)に進出し、注目を浴びる。この後全米オープンでも初戦で第10シードのマグダレナ・マレーバブルガリア)を撃破し、3回戦まで進出した。

2004年度はオリンピック直前のTier I(ティア・ワン、準グランドスラム級の規模)の大会である「カナディアン・オープン」で杉山愛とのペアでダブルス優勝し、ビッグタイトルを獲得する。その後の2004年アテネ五輪では、ダブルスベスト4と大活躍した。4大大会では全仏オープン1回戦で再びハンチュコバを破り、2回戦で第16シードのパティ・シュナイダーと強豪選手を連破した後、セリーナ・ウィリアムズとの4回戦(ベスト16)まで進出した。特に2004年全米オープンでは、世界ランキング60位から勝ち進み、1回戦で第24シード、3回戦で第13シードのパオラ・スアレスアルゼンチン)、さらに4回戦で第29シードを撃破する。初めての準々決勝ではリンゼイ・ダベンポートに完敗したが、この大会で浅越は自身初の4大大会ベスト8進出を果たした。2005年度は全豪オープンの前哨戦であるニュージーランドオークランドの大会でシングルス準優勝・ダブルス優勝を果たした。

2005年夏にシングルス自己最高ランキング「21位」を記録し、初めて杉山愛を抜いて日本女子のトップに立った。

ダブルスでは、2005年からスロベニアカタリナ・スレボトニクとペアを組んで好成績を出した。2006年全豪オープン女子ダブルスで、浅越とスレボトニクの組は初めてベスト4進出を果たしたが、準決勝で中国のペアの晏紫&鄭潔組に 2-6, 6-7 で敗れた。最後の4大大会出場となった2006年全米オープンでは、シングルス1回戦・ダブルス3回戦敗退に終わった。最後の大会では、ダブルスは同じ日本の森上亜希子とペアを組んだが、第1シードのリサ・レイモンドアメリカ)&サマンサ・ストーサーオーストラリア)組に 3-6, 4-6 で敗れた。

2006年10月6日、30歳で現役引退を発表。2007年4月に会社員の男性と結婚し、2011年3月に長女を出産した。現在はテレビ解説や後進の指導に携わっている。

WTAツアー決勝進出結果

シングルス: 3回 (0勝3敗)

大会グレード
グランドスラム (0–0)
ティア I (0–0)
ティア II (0–0)
ティア III (0–1)
ティア IV & V (0–2)
結果No.決勝日大会サーフェス対戦相手スコア
準優勝1.2003年6月15日 バーミンガム マグダレナ・マレーバ1–6, 4–6
準優勝2.2004年1月16日 ホバートハード エミー・フレージャー3–6, 3–6
準優勝3.2005年1月8日 オークランドハード カタリナ・スレボトニク7–5, 5–7, 4–6

ダブルス: 12回 (8勝4敗)

結果No.決勝日大会サーフェスパートナー対戦相手スコア
優勝1.2002年6月16日 バーミンガム エルス・カレンズ キンバリー・ポー=メッセーリ
ナタリー・トージア
6–4, 6–3
優勝2.2002年10月6日 東京ハード 宮城ナナ スベトラーナ・クズネツォワ
アランチャ・サンチェス・ビカリオ
6–4, 4–6, 6–4
準優勝1.2003年3月30日 マイアミハード 宮城ナナ リーゼル・フーバー
マグダレナ・マレーバ
4–6, 6–3, 5–7
準優勝2.2003年4月6日 サラソタクレー 宮城ナナ リーゼル・フーバー
マルチナ・ナブラチロワ
6–7(8), 3–6
優勝3.2004年1月16日 ホバートハード 岡本聖子 エルス・カレンズ
バルバラ・シェット
2–6, 6–4, 6–3
優勝4.2004年8月7日 モントリオールハード 杉山愛 リーゼル・フーバー
タマリネ・タナスガーン
6–0, 6–3
優勝5.2004年10月10日 東京ハード カタリナ・スレボトニク ジェニファー・ホプキンス
マショーナ・ワシントン
6–1, 6–4
優勝6.2005年1月8日 オークランドハード カタリナ・スレボトニク リアン・ベイカー
フランチェスカ・ルビアニ
6–3, 6–3
準優勝3.2005年10月9日 東京ハード マリア・ベント=カブチ ヒセラ・ドゥルコ
マリア・キリレンコ
5–7, 6–4, 3–6
優勝7.2005年10月16日 バンコクハード ヒセラ・ドゥルコ コンチタ・マルティネス
ビルヒニア・ルアノ・パスクアル
6–1, 7–5
準優勝4.2006年3月5日 アカプルコクレー エミリー・ロワ アンナ=レナ・グローネフェルト
メガン・ショーネシー
1–6, 3–6
優勝8.2006年4月9日 アメリアアイランドクレー カタリナ・スレボトニク リーゼル・フーバー
サニア・ミルザ
6–2, 6–4

4大大会シングルス成績

略語の説明
 W  F SFQF#RRRQ#LQ A Z#PO G  S  B NMS P NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会199819992000200120022003200420052006通算成績
全豪オープンLQALQ1R1R1R1R2R2R2–6
全仏オープンLQLQLQ1R2R1R4R2R1R5–6
ウィンブルドンLQLQ2R1RLQ4R1R1R2R5–6
全米オープンLQLQ3R1R1R3RQF3R1R10–7

脚注

外部リンク