泉浩

日本の柔道家、総合格闘家 (1982-)

泉 浩(いずみ ひろし、1982年6月22日 - )は、日本の男性柔道家総合格闘家青森県下北郡大間町出身。柔道六段を取得。組み手は左組み。得意技は大外刈。妻は女優の末永遥株式会社ヴィレッジ・エンターテイメント事業部所属

泉 浩
基本情報
ラテン文字Hiroshi Izumi
原語表記いずみ ひろし
日本の旗 日本
出生地青森県の旗青森県下北郡大間町
生年月日 (1982-06-22) 1982年6月22日(42歳)
身長173cm
体重93kg
選手情報
階級男子90kg級
段位六段
獲得メダル
日本の旗 日本
柔道
オリンピック
2004 アテネ90kg級
世界柔道選手権
2005 カイロ90kg級
アジア大会
2006 ドーハ90kg級
アジア柔道選手権
2008 済州90kg級
2004 アルマトイ90kg級
ユニバーシアード
2003 大邱90kg級
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泉 浩
基本情報
本名泉 浩
国籍日本の旗 日本
生年月日 (1982-06-22) 1982年6月22日(42歳)
出身地青森県下北郡大間町
所属プレシオス
身長173cm
体重93kg
階級ライトヘビー級SRC
バックボーン柔道
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来歴

実父はマグロ漁師だった[1]

泉は小学校までを地元大間町で過ごしたのち、中学校より柔道私塾講道学舎に入門するため単身上京し、世田谷区立弦巻中学校に入学、3年の全国中学校柔道大会ではベスト8で敗れたが世田谷学園高等学校3年の時にインターハイで優勝を果たした。明治大学に入学後、2004年アテネオリンピックでは決勝でグルジアズラブ・ズビャダウリに敗れたはしたものの、銀メダルを獲得した[1]

2005年旭化成へ入社する。9月にはエジプトカイロで開催された世界柔道選手権大会の男子90kg級で韓国黄禧太から反則技となる倒れ込む腕挫腋固で反則勝ちなどを経て、優勝を果たした[2]

2008年北京オリンピックでは減量に失敗し、2回戦で敗退した[3][4][5]。同年10月30日、一部マスコミによって泉が柔道界を引退して総合格闘技へ転向する可能性が報じられたが[6]、11月16日には「そういうこと(プロ転向)は考えてません」と報道を否定したものの、「(オファーが)ないと言えばウソになります」と含みを持たせた[7]

2009年6月、全日本実業柔道団体対抗大会後に旭化成の退社を表明し、6月末をもって退社した[8]

2009年7月7日、記者会見で戦極参戦を表明[8]ヴァンダレイ・シウバのような打撃中心のスタイルを目指すと語った[9]

2009年9月23日、泉の総合格闘技デビューとなった戦極 〜第十陣〜のメインイベントでアンズ・"ノトリアス"・ナンセンと対戦し、打撃で真向勝負を挑むも最後は右ストレートでKO負けを喫した。なお、この試合で泉はベストバウト賞を受賞している[10]

2009年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜のDREAM vs SRC 対抗戦で柴田勝頼と対戦し判定勝ち、総合格闘家としての初勝利となった。

2010年6月20日、SRC13でイ・チャンソブと対戦し、パウンドでTKO勝ちを収める[11]

2010年8月25日、泉は東京都内で行われたレスリング日本代表の合宿に特別で参加、フリースタイル96kg級でのロンドンオリンピック代表を目指すことを表明した[12]

2010年10月30日、SRC15のメインイベントでジェームス・ジキックと対戦し2-1の判定勝ちを収めた。試合後のリング上で石井慧との対戦をアピールした[13]

2010年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜ミノワマンと対戦し、パウンドによるTKO勝ちを収めた[14]

2011年7月2日、ロンドン五輪レスリング代表を目指し、レスリング全日本社会人選手権のフリースタイル96kg級に出場したが初戦の2回戦で敗退となった[15]

2014年2月22日に女優の末永遥と結婚した。2017年12月3日、第1子男児が誕生[16]

のちに鮮魚卸売会社の社員として大田市場で働くかたわら[17]実業団柔道部の監督を務める[18][19]。NPO法人ヴィレッジ・スポーツ副理事長として柔道教室、マナーキッズ柔道、警察署で柔道の指導、柔道の指導者派遣、講演活動などを行っていた。

2024年4月1日、エジプト柔道代表チームのヘッドコーチに就任。2028年ロサンゼルスオリンピックを見据えた代表監督着任であることを明らかにした。通訳はフィフィの妹である。[20][21]

2024年4月26日、第45回アフリカ柔道選手権大会(カイロ)にエジプト代表監督として出場。金3、銀2、銅3のメダルを獲得しエジプトが初の総合優勝。2024年パリオリンピック進出に必要なポイントを得た。[22]

エピソード

アテネオリンピック柔道日本代表には柔道一家に育った選手が多い中、泉は大間のマグロ漁師の家に生まれ育ったという点でも注目された。アテネまで応援に来た泉の家族が「マグロ一筋」とプリントされたTシャツを着ていたことからこのTシャツが人気となり、このデザインは2005年に大間町の町おこし組織代表者の登録商標となったことで、町おこしに一役買っている。

戦績

柔道

総合格闘技

総合格闘技 戦績
6 試合(T)KO一本判定その他引き分け無効試合
4202000
22000
勝敗対戦相手試合結果大会名開催年月日
×ゲガール・ムサシ1R 3:29 TKO(タオル投入)DREAM JAPAN GP FINAL -2011バンタム級日本トーナメント決勝戦-
【DREAMライトヘビー級タイトルマッチ】
2011年7月16日
ミノワマン3R 2:50 TKO(パウンド)Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜2010年12月31日
ジェームス・ジキック5分3R終了 判定2-1SRC152010年10月30日
イ・チャンソブ1R 4:37 TKO(パウンド)SRC132010年6月20日
柴田勝頼5分3R終了 判定3-0Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜2009年12月31日
×アンズ・"ノトリアス"・ナンセン1R 2:56 KO(スタンドパンチ連打)戦極 〜第十陣〜2009年9月23日

レスリング

  • 2011年:全日本社会人選手権のフリースタイル 96kg級 2回戦敗退

出演

ウェブテレビ

脚注

関連項目

外部リンク