沢村栄治賞

完投型先発投手を対象とする、日本プロ野球の賞

沢村栄治賞(さわむらえいじしょう)は、その年の日本プロ野球で最も活躍した完投先発投手を対象として贈られる特別賞の一つ。通称「沢村賞」。

沢村栄治賞
賞の由来となった沢村栄治
スポーツ野球
選考会沢村賞選考委員会
種目野球
受賞対象その年にNPBで活躍した完投先発投手
愛称沢村賞
日本の旗 日本
歴史
初回1947年
初回受賞別所昭
最多受賞3回
杉下茂
金田正一
村山実
斎藤雅樹
山本由伸
最新受賞山本由伸(2023年)
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読売新聞社は正式名称について創設当初から現在まで一貫して沢村賞としている[1][注釈 1]。一方でNPBの表彰名としては公式に沢村栄治賞としている[3]。1989年以降はNPB全体を対象とした公式の表彰に準ずる特別賞である。受賞者には金杯と副賞として賞金300万円が贈られる。

概要

1947年読売新聞社戦前のプロ野球黎明期において豪速球投手として名を馳せた沢村栄治の栄誉と功績を称えて制定された。1956年にMLBで創設されたサイ・ヤング賞よりも歴史は古い。また、サイ・ヤング賞は全ての投手が選考対象であるが、沢村賞はその年に活躍した完投先発投手のみが選考対象である[4][5]

1950年からは2リーグ分裂に伴い、対象を読売新聞社がオーナーを務める読売ジャイアンツが所属するセ・リーグのみとした。

1981年までは読売新聞社が選考を東京運動記者クラブ部長会に委嘱していたが、同年の西本聖受賞を巡る経緯が物議を醸したことから翌1982年5月14日に同会は沢村賞選考を辞退し、同年からNPBの元先発投手のOB[注釈 2]を中心とした選考委員会方式に改められ、7項目の選考基準が設けられた[6][7]

1989年からパ・リーグにも選考対象が拡大。

現在は沢村賞選考委員会(先述)の審議により、7項目の選考基準や補足項目を元に毎年12球団の中から原則1名が選出される。ただし、最終的な判断は選考委員に委ねられており、選考基準項目や補足項目はあくまで参考に過ぎず[注釈 3][注釈 4][注釈 5]、項目外の完封や、選考委員の印象に残った先発投手としての記録達成なども加味される場合がある[10]。基本は話し合いで決められるが、それでも決まらない場合は多数決となる。また、選考委員は原則5名である[11]

選考基準

選考基準は以下の7項目だが、必ずしも7項目全てクリアしなければならないという規定はない。

  • 登板試合数 - 25試合以上
  • 完投試合数 - 10試合以上
  • 勝利数 - 15勝以上
  • 勝率 - 6割以上
  • 投球回数 - 200イニング以上
  • 奪三振 - 150個以上
  • 防御率 - 2.50以下
    • 補足項目として「先発で登板した全試合に占める、投球回数7回で自責点3点以内」というQSに似た独自の基準を選考に含めることになった(2018年から)。

なお1981年までの読売新聞社が東京運動記者クラブ部長会に委嘱した選考会の選考基準としては「20勝以上勝ちと負けの差が10以上防御率2点台以下奪三振率優勝への貢献度」などが挙げられていた[12]

クオリティ・スタートの導入

近年は投手の分業化が進んで完投試合数が減ってきており、これらの状況を踏まえて、選考委員からも完投試合数について、選考基準の見直しを示唆する声も出てきていた[13][注釈 6]。また、200投球回達成者がいないシーズンも近年は増えており、これらに対応するために2018年から新たに「沢村賞の基準で定めたクオリティ・スタート(QS)の達成率を含む」が補則項目として加えられた[16]。QSの基準は「先発で登板した全試合に占める、投球回数7回で自責点3点以内」という独自のものとなっている[16]

歴代沢村賞受賞者

  •  太字 は各基準項目のリーグ1位。
  • 1950年から1988年までセ・リーグのみ対象。1989年以降はセ・両リーグ対象(所属の      はセ・リーグ・      はパ・リーグ)。
  • 1981年までは東京運動記者クラブ部長会に委嘱した選考会が選考。1982年以降は元先発投手のOBを中心とした沢村賞選考委員会が選考。
  • 選考委員については太字が座長(1番左)、もしくは座長代理。★印は委任を含めた欠席者。
  •       は選考基準を満たしていない項目(1982年以降のみ)。
年度受賞者所属登板完投勝利勝率投球回奪三振防御率選考委員
1947へつしよ/別所昭(1)南海554730.612448.11911.861947年~1981年までは
東京運動記者クラブ部長会に委嘱した選考会が選考
1948なかお/中尾碩志巨人472527.6923431871.84
1949ふしもと/藤本英雄巨人392924.7742881371.94
1950さなた/真田重男松竹612839.765395.21913.05
1951すきした/杉下茂(1)名古屋581528.683290.11472.35
1952すきした/杉下茂(2)名古屋612532.696355.21602.33
1953おおとも/大友工巨人432227.818281.11731.85
1954すきした/杉下茂(3)中日632732.727395.12731.39
1955へつしよ/別所毅彦(2)巨人501723.7423121521.33
1956かねた/金田正一(1)国鉄682425.556367.13161.74
1957かねた/金田正一(2)国鉄612528.6363533061.63
1958かねた/金田正一(3)国鉄562231.689332.13111.30
1959むらやま/村山実(1)大阪541918.643295.12941.19
1960ほりもと/堀本律雄巨人692629.617364.22102.00
1961こんとう/権藤博中日693235.648429.13101.70
1962こやま/小山正明阪神472627.711352.22701.66
1963いとう/伊藤芳明巨人391819.704236.11661.90
1964はつきい/G.バッキー阪神462429.763353.12001.89
1965むらやま/村山実(2)阪神392625.658307.22051.96
1966むらやま/村山実(3)阪神382424.727290.12071.55
ほりうち/堀内恒夫(1)巨人331416.8891811171.39
1967おかわ/小川健太郎中日551629.707279.21782.51
1968えなつ/江夏豊阪神492625.6763294012.13
1969たかはし/高橋一三(1)巨人451922.8152562212.21
1970ひらまつ/平松政次大洋512325.568332.21821.95
1971該当者なし
1972ほりうち/堀内恒夫(2)巨人482626.7433122032.91
1973たかはし/高橋一三(2)巨人452423.639306.12382.21
1974ほしの/星野仙一中日49715.6251881372.87
1975そとこは/外木場義郎広島411720.6062871932.95
1976いけかや/池谷公二郎広島511820.571290.12073.26
1977こはやし/小林繁(1)巨人421118.692216.11552.92
1978まつおか/松岡弘ヤクルト431116.593199.11193.75
1979こはやし/小林繁(2)阪神371722.710273.22002.89
1980該当者なし
1981にしもと/西本聖巨人341418.600257.21262.58
1982きたへつふ/北別府学(1)広島361920.714267.11842.43別所杉下金田堀本村山
1983えんとう/遠藤一彦大洋361618.667238.11862.87別所、杉下、金田、堀本、村山
1984該当者なし別所、杉下、金田、堀本、村山
1985こまつ/小松辰雄中日331417.680210.11722.65別所、杉下、金田、堀本、村山
1986きたへつふ/北別府学(2)広島301718.8182301232.43別所、杉下、金田、堀本、村山
1987くわた/桑田真澄巨人281415.714207.21512.17別所、杉下、金田、堀本、村山★
1988おおの ゆたか/大野豊広島241413.6501851831.70別所、杉下、金田★、堀本、小山[注釈 7]
1989さいとう ま/斎藤雅樹(1)巨人302120.7412451821.62別所、杉下、金田、堀本、小山、稲尾米田[注釈 8]
1990のも/野茂英雄近鉄292118.6922352872.91別所、杉下、堀本、稲尾、米田[注釈 9]
1991ささおか/佐々岡真司広島331317.6542402132.44別所、杉下、稲尾、米田、堀内[注釈 10]
1992いしい/石井丈裕西武27815.833148.11231.94別所、杉下、稲尾、堀内★、山田[注釈 11]
1993いまなか/今中慎二中日311417.7082492472.20別所、杉下、稲尾、山田、平松[注釈 12]
1994やまもと ま/山本昌広中日291419.7042141483.49別所、稲尾、土橋[注釈 13]、平松★、星野[注釈 14]
1995さいとう ま/斎藤雅樹(2)巨人281618.6432131872.70別所、稲尾、土橋、平松、星野
1996さいとう ま/斎藤雅樹(3)巨人25816.8001871582.36別所、稲尾、土橋、平松、藤田[注釈 15]
1997にしくち/西口文也西武321015.750207.21923.12別所、稲尾、土橋、平松、藤田
1998かわさき/川崎憲次郎ヤクルト29917.630204.1943.04別所、稲尾、土橋、平松★、藤田
1999うえはら/上原浩治(1)巨人251220.833197.21792.09藤田★、稲尾、土橋、平松、堀内[注釈 16]
2000該当者なし藤田、稲尾、土橋、平松、堀内
2001まつさか/松坂大輔西武331215.500240.12143.60藤田、稲尾、土橋、平松、堀内
2002うえはら/上原浩治(2)巨人26817.7732041822.60藤田、稲尾、土橋、平松、堀内
2003いかわ/井川慶阪神29820.8002061792.80藤田、稲尾、土橋、平松、堀内
さいとう か/斉藤和巳(1)ダイエー26520.8701941602.83
2004かわかみ/川上憲伸中日27517.708192.11763.32藤田、稲尾、土橋、平松、斎藤[注釈 17]
2005すきうち/杉内俊哉ソフトバンク26818.818196.22182.11藤田、 稲尾、土橋、平松、斎藤
2006さいとう か/斉藤和巳(2)ソフトバンク26818.7832012051.75稲尾、土橋、平松ほか
2007たるひつしゆ/ダルビッシュ有日本ハム261215.750207.22101.82土橋、稲尾★、平松、堀内、大野
2008いわくま/岩隈久志楽天28521.840201.21591.87土橋、平松、堀内、大野、村田[注釈 18]
2009わくい/涌井秀章西武271116.727211.21992.30土橋、平松、堀内、大野、村田
2010まえた/前田健太(1)広島28615.652215.21742.21土橋★、平松、堀内、村田、北別府[注釈 19]
2011たなか ま/田中将大(1)楽天271419.792226.12411.27土橋、平松、堀内、村田、北別府
2012せつつ/攝津正ソフトバンク27317.773193.11531.91土橋、平松、堀内、村田、北別府
2013たなか ま/田中将大(2)楽天288241.002121831.27堀内★、平松、村田、北別府、工藤[注釈 20]
2014かねこ/金子千尋オリックス26416.7621911991.98堀内、平松、村田、北別府★、工藤
2015まえた/前田健太(2)広島29515.652206.11752.09堀内、平松、村田★、北別府、山田[注釈 21]
2016しよんそん/K・ジョンソン広島26315.682180.11412.15堀内、平松、村田、北別府、山田
2017すかの/菅野智之(1)巨人25617.773187.11711.59堀内、平松、村田、北別府、山田
2018すかの/菅野智之(2)巨人281015.6522022002.14堀内、平松、村田、北別府、山田
2019該当者なし堀内、平松、村田、北別府、山田
2020おおの ゆうたい/大野雄大[17]中日201011.647148.21481.82堀内、平松、村田、北別府★[注釈 22]、山田
2021やまもと よ/山本由伸(1)[18]オリックス26618.783193.22061.39堀内、平松、村田、北別府★、山田
2022やまもと よ/山本由伸(2)[19]オリックス26415.7501932051.68堀内、平松、北別府★、山田[注釈 23]
2023やまもと よ/山本由伸(3)[20]オリックス23216.7271641691.21堀内、平松、山田、工藤[注釈 24]

沢村賞に関する主な記録 

  • 2023年シーズン終了時点で複数回受賞者は15人(その内3回受賞者は5人)いる[21]
  • 2023年シーズン終了時点で外国人の受賞者は2人[22]
  • 2023年シーズン終了時点で、千葉ロッテマリーンズのみ受賞者なしである[23]

複数回受賞者

  • 太字はNPB現役
投手回数年度
杉下茂
3
1951, 1952, 1954
金田正一1956, 1957, 1958
村山実1959, 1965, 1966
斎藤雅樹1989, 1995, 1996
山本由伸2021, 2022, 2023
別所毅彦
2
1947, 1955
堀内恒夫1966, 1972
高橋一三1969, 1973
小林繁1977, 1979
北別府学1982, 1986
上原浩治1999, 2002
斉藤和巳2003, 2006
前田健太2010, 2015
田中将大2011, 2013
菅野智之2017, 2018

チーム別受賞回数

チーム回数
巨人20
中日(名古屋)11
広島9
阪神8
ソフトバンク(南海・ダイエー)5
ヤクルト(国鉄)5
西武4
オリックス4
楽天3
DeNA(大洋)2
日本ハム1
ロッテ0
その他2
該当者なし5

その他

全項目を満たしていながら同賞を逃したケース(選考基準が設けられた1982年以降、およびパ・リーグ球団所属投手は1989年以降)

年度投手所属登板完投勝利勝率投球回奪三振防御率
1982江川卓巨人312419.613263.11962.36
2008ダルビッシュ有[注釈 25]日本ハム251016.800200.22081.88
2011ダルビッシュ有日本ハム281018.7502322761.44
2013金子千尋オリックス291015.652223.12002.01

1981年の記者投票について

1980年に巨人の江川卓が34登板、18完投、投球回数261回1/3、16勝、勝率.571、防御率2.48、219奪三振の成績で、最多勝利最多奪三振を獲得するも記者投票で該当者なしにされた。

1981年、江川は31登板、20完投、投球回数240回1/3、20勝、勝率.769、防御率2.29、221奪三振の成績を残し、最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の先発投手タイトル[注釈 26]を全て独占した。

1981年の江川・西本の投手成績
江川卓西本聖
登板3134
完投2014
投球回数240回1/3257回2/3
勝利20勝18勝
勝率.769.600
防御率2.292.58
奪三振221126
選考会議の詳細

選考は1981年10月14日、有楽町の数寄屋橋にあるリトルトーキヨーの9階中華料理屋「ろん」にて、東京運動記者クラブに加盟する44社のうち31社の運動部長が参加。恒例で先ず数名の候補者が挙げられ、その中から小松(中日)が外され最後に西本と江川が残った。その後日刊スポーツの金井清一部長が「この賞には人格的な基準はあるのか」「今年だけの成績だけが対象なのか」といった質問が飛び、進行役が「これまで人格云々を加味した例はない。あくまで今年の成績が対象」と答えるものの、このあたりから次第に西本を推す声があがり始めた。朝日新聞社・田中康彦部長の「巨人の優勝は前半戦の快進撃で決まったと言っていい。開幕投手の重責を果たし独走態勢に入った時点の成績は西本が10勝2敗、江川は7勝3敗だった。江川の勝ち星は独走後にあげたものが多い。優勝への貢献度は西本の方が上」と発言すると、デイリースポーツ社・近藤敬部長が「数字で判断するのが客観的」と反論し江川を支持した。すると田中部長は「数字だけで決めるなら公式記録員に委嘱すればよく、こうした会を開く意味は無い」とあくまで西本支持を崩さず。しかし、近藤部長も「優勝への貢献度を評価するのはMVPではないのか? 沢村賞はあくまでも投手としての力量を評価するべきだ」と反論するなど議論が伯仲した[26]。最終的な投票結果は16票対13票、2白票で西本に決まった。

しかし、これがニュースで流れると各マスコミの電話が鳴り始め、「西本がダメだというんじゃない。むしろ西本の方が好きだが沢村賞はどう考えても江川だ」「江川は今でも大嫌いだが数字は数字として評価しなければ何を基準に決めるのかが曖昧になる。個人的な好き嫌いの感情で選ぶのは最悪」と当時はまだ多かったアンチ江川派からも結果に対する異議は多いなど、ほとんどが江川に同情的だったという。また現役選手でも日本ハムの江夏豊は「投手として最高の栄誉。数字・実力とも江川以外ありえんだろ。客観的事実を認めようとしない連中を許す事は出来ない。」、巨人の堀内恒夫も「沢村賞の権威がなくなっちゃうよ。日本シリーズの前だというのにバカなことをしてくれたものだ」と選考委員を痛烈に批判した[27]。この世論の強い反発を受けて各新聞社の運動部長は翌年の沢村賞の選考委員を辞退する事になり、その後、同1982年からOBを中心とした沢村賞選考委員会に改められた[6]

2022年3月に江川は槙原寛己YouTubeチャンネル「ミスターパーフェクト槙原」に出演し、当時を振り返って「かわいそうだったのは西本よ。『卓ちゃん、申し訳ない』って」と、当時、西本が詫びを入れにきたことを明かし「俺は、正しいのは、(投票を)2人に入れるべきだって言ってるわけよ。西本がとるなら、俺がとらないとおかしいって。その年だけ2人にしたらいいじゃん」と、沢村賞をダブル受賞すべきだったと主張した[28]

批評

沢村賞の在り方については大きく意見が分かれており、選考基準について現役時代に先発完投型を貫き、昭和に活躍した年配の球界OBの多くは現状維持を唱える者が多く、一方で入団当初から投手分業制の時代で現役を過ごした若手のOBや現役選手などは時代に合わないから変えるべきだと主張している者が多い[29]

そもそもサイ・ヤング賞と沢村賞は別物という意見が根強く[30]、特に長年沢村賞の選考委員会を務める堀内恒夫は2019年の時点で「沢村賞は本来、沢村栄治さんを称えるために作られた賞」と前置きした上で、「先発完投型のNo1ピッチャーに授与するというものであり決してそのシーズンのベストピッチャーを選ぶ賞ではないということ、ピッチャー分業制の時代に完投数がどうのこうのの時代じゃない」という意見があることも承知した上で、「賞の名前に沢村栄治さんという名前がついている以上そのレベル・数字を容易く変えたくはない」と基準にこだわりたい理由を述べている[31]。その他にも「基準に満たない人を無理に選ぶ必要はない。沢村賞は球界でも特別な賞。権威がある。選ばれる人はやはり沢村賞に見合った成績を残していないと、権威の失墜を招く」という意見や「過去の選出者を見ても沢村賞にふさわしい人が選ばれている。選考のハードルを下げるのは賞そのものや、過去の受賞者に対するリスペクトを欠く」という意見が多い[29]

一方で基準を変えるべきという主な意見としては、「昔と今では打者のレベルが違う。現在のプロ野球では、下位打線でもシーズン10本塁打以上の打者がゴロゴロいる。先発投手は息の抜けるイニングがないし、必然的に球数を要して完投もできない。昔と同じ基準で投手を評価するのは間違っている」「すでにわれわれがプロ野球に入ったときは先発、中継ぎ、抑えの分業制が根付いていた。監督も勝利のためには先発-完投にこだわっていない。そういう環境下で10完投や200投球回にこだわり続けるのは時代錯誤だ」「(選考基準となる7項目を)MLBの投手で最後に全てをクリアしたのは、1999年のランディ・ジョンソンだ」と指摘し完投数を疑問視する声もある[29][32]

サイ・ヤング賞と沢村賞は別物という意見を踏まえて、「時代が変わってきている分、起用法も変わりますから数字も変わりますよね。今の時代にあった評価をしてあげるべきでは?」(ダルビッシュ有)、「投手の分業制や球数制限が大リーグの影響を受けて進んだことを考えれば、沢村賞も米国寄りにシフトしてもいいのではないだろうか。例えばクオリティースタート(6回以上で自責点3以下)の要素を選考基準に追加する。大リーグのサイ・ヤング賞に倣い、リリーフ投手まで選考対象とするのもいい。当初のコンセプトから離れたとしても、全投手の憧れとなれば、賞の権威は高まるはずだ。」(山本昌)とコンセプトの修正をすべきだという意見も多い[33][34]

2019年までは沢村賞選考委員の多くが改定には否定的だったが[注釈 27]、昨今の情勢を踏まえて選考委員会座長の堀内恒夫は、2020年の選考委員会の会見で選考基準に関して慎重ながらも沢村栄治の名を傷つけない形で将来的に全面的に選考基準を見直す時期に入っていることを述べている[36]

脚注

注釈

出典

関連項目

外部リンク