水納島 (沖縄県多良間村)
沖縄県、宮古列島にある島
水納島(みんなじま[2]、みんなしま[3])は、宮古列島の島である。沖縄県宮古郡多良間村に属し、多良間島の北8kmに位置する。面積は2.15 km2[1]。
水納島 | |
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所在地 | 日本(沖縄県宮古郡多良間村) |
所在海域 | 東シナ海 |
所属諸島 | 宮古列島 |
座標 | 北緯24度45分17秒 東経124度41分42秒 / 北緯24.75472度 東経124.69500度 東経124度41分42秒 / 北緯24.75472度 東経124.69500度 |
面積 | 2.15[1] km² |
海岸線長 | 7.2[1] km |
最高標高 | 13.2 m |
プロジェクト 地形 |
地理
隆起サンゴ礁の島で、地形は平坦[4]。
大きな環礁に囲まれており、特に西側には遠浅の環礁が広がって多数のアオウミガメが生息している[5]。2008年夏にはコビレゴンドウとみられる小型のクジラ40頭前後が島東側の環礁に迷い込んで座礁し、20頭以上が死亡した[6][7][8]。
かつては約200人が住み主に漁業に従事していたが、台風被害や水不足のため、1961年に18世帯が琉球政府による計画移住で宮古島に移り、人口が激減[3][9]。2016年現在、島に残っているのは1世帯5人で、約100頭の牛と山羊の飼育を行っている[1][10][11]。
島の南東部に宮古水納島灯台がある。1972年初点灯、海抜21m、光達12.0海里[12]。灯台の近くにはヘリポートが設置されている[3]。
宿泊施設はコテージが2棟ある。また、キャンプも可能。ただし、島内には商店がないので、食料等は予め島外で準備する必要がある[2]。
島名の由来
水のない島の意味といわれる[13]。
歴史
- 1734年(享保19年) - 平敷屋朝敏が処刑され、長男が水納島に流刑になる[14]。
- 1771年(明和8年) - 八重山地震の津波(明和の大津波)で壊滅的な被害を受ける[15][16]。
- 1900年(明治33年) - 水納島に分教場が設置される[14]。
- 1961年(昭和36年) - 18世帯が水納島から宮古島に移住[3]
- 1978年(昭和53年) - 水納島分校が廃校となる[14]。
- 1983年(昭和58年) - 飲料水供給施設完成[14]。
- 1989年(平成元年) - 海底送電開始[14]。これにより沖縄県の全島の電化が完了する。
- 2011年(平成23年)3月29日 - 多良間島及び水納島のほぼ全域が多良間県立自然公園に指定される[17]。
伝承
交通
名所・旧跡
公共インフラ
脚注
関連項目
外部リンク
- 多良間公式ウェブサイト 多良間村
- 多良間村 多良間島/水納島 - 沖縄のしまじま(沖縄県)
- 水納島 - DOR39(沖縄39離島観光情報サイト)
- 多良間島・水納島 - おきなわ物語(沖縄観光コンベンションビューロー)
- 水納島 - リトハク(沖縄観光コンベンションビューロー)