水無瀬 氏子(みなせ うじこ、1607年(慶長12年) - 1672年7月10日(寛文12年6月16日))は、後水尾天皇の宮人。父は権中納言の水無瀬氏成[1]。小兵衛局、帥局と称した。
権中納言の水無瀬氏成の娘として生まれる。後水尾天皇に仕え、2皇女(新宮・性承法親王)を儲ける。性承法親王はその後、仁和寺門跡となった。宮中では小兵衛局、帥局と称した[2]。
1672年7月10日(寛文12年6月16日)、死去。