梅溪家

村上源氏久我流の公家
梅渓家から転送)

梅溪家(うめたにけ)は、村上源氏久我流公家華族である。公家としての家格羽林家、華族としての家格は子爵[1]

梅溪家
家紋
笹竜胆ささりんどう
本姓村上源氏久我流
家祖梅溪季通
種別公家羽林家
華族子爵
出身地山城国
主な根拠地山城国
兵庫県
東京府
著名な人物至心院
池坊保子
凡例 / Category:日本の氏族

歴史

慶長4年(1599年)に久我家当主の権大納言久我敦通が、勾当内侍との密通の事で勅勘を蒙り、その息子左近衛中将久我通世ともども出仕を止められた事件があった。元和元年(1615年)に将軍徳川秀忠の執奏で勅勘が解かれたが、通世が久我家の家督を継ぐことは認められず、その弟通前が久我家を継いだ[2]。一方通世の子季通には、寛永期に新たな堂上家の創設が勅許され、梅溪家が創設されることになった[2]源通親の四男後土御門内大臣定通の曽孫右少将定宗が梅溪を号としたことが『尊卑分脈』に見え、これが家名の由来と考えられる[2]

公家としての家格は羽林家新家内々[2]有職故実を家業とする。鷹司家の家札[2]。江戸時代の石高は150石[3][注釈 1]。3代通条の女・幸子は、将軍徳川家重の側室となり将軍徳川家治の生母となった至心院

明治維新後の明治2年(1869年)6月17日の行政官達で公家と大名家が統合されて華族制度が誕生すると梅溪家も公家として華族に列した[4][5]。明治17年(1884年)7月7日の華族令の施行で華族が五爵制になると、同8日に大納言直任の例がない旧堂上家[注釈 2]として9代通善が子爵を授けられた[1]

10代通治は平野神社宮司や男山八幡宮大宮司などを歴任。その弟通魯が養子として跡を継ぎ、戸畑鋳物株式会社の監査役などを務めた。12代通虎は三重県人松平家晃の次男として生まれたが、通魯の養子として跡を継ぎ[7]貴族院の子爵議員に当選して務めた。通虎の三女・保子は華道家の池坊専永の夫人となり衆議院議員当選5回の政治家である[8]

墓所は大徳寺塔頭の一つの昌林院。ただし、昌林院は明治時代に廃寺となり黄梅院に統合された[9]

昭和前期の梅溪子爵家の住居は、兵庫県武庫郡甲子園旭ヶ丘131-5、および東京市豊島区椎名町1-1861にあった[7]

系譜

実線は実子、点線(縦)は養子。
久我通世
 
 
 
梅溪季通1
 
 
 
英通2
 
 
 
通条3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
通仲4千種有補白川雅富王幸子
 
 
 
通賢5
 
 
 
通同6
 
 
 
行通7
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
通修8白川雅寿王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
通訓通善9[10]通治
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
通治10通魯通弘
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
通魯11通昌
 
 
 
通虎12[11]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
通明13池坊保子通彦

幕末の領地

国立歴史民俗博物館の『旧高旧領取調帳データベース』より算出した幕末期の梅渓家領は以下の通り。

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 浅見雅男『華族誕生 名誉と体面の明治』リブロポート、1994年(平成6年)。 
  • 小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』中央公論新社中公新書1836〉、2006年(平成18年)。ISBN 978-4121018366 
  • 華族大鑑刊行会『華族大鑑』日本図書センター〈日本人物誌叢書7〉、1990年(平成2年)。ISBN 978-4820540342 
  • 橋本政宣『公家事典』吉川弘文館、2010年(平成22年)。ISBN 978-4642014427 
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館1996年
  • 近藤敏喬編『宮廷公家系図集覧』東京堂出版1994年

外部リンク

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