桜井鉄太郎 (官僚)

桜井 鉄太郎(さくらい てつたろう、1865年9月20日慶応元年8月1日[1][2] - 1945年2月20日[3])は、日本官僚大蔵次官(心得)、台湾銀行頭取、第5代神戸市長(在任:1920年10月18日[4] - 1922年(大正11年)5月27日[5])。静岡県出身[2]

桜井鉄太郎

生涯

1865年9月20日(慶応元年8月1日)、後の静岡県に生まれる[2]大学予備門東京帝国大学法学部を卒業後官僚となり、長野県参事官、石川県参事官、岡山県警部長茨城県書記官、東京税務監督局長、神戸税関長、大蔵省主税局長、税関臨時工事部長、大蔵省関税局長、専売局長、大蔵次官(心得)、台湾銀行頭取などを歴任[6]

1920年(大正9年)[6]、名市長と呼ばれた[7]鹿島房次郎の後任として第5代神戸市長に就任。当時は第一次世界大戦後の不況下にあり[8]、1922年(大正11年)、歳入不足に対応するため桜井は市会に増税を提案した[9]。しかし市会側はこの提案に対し歳出削減や人員整理をすべきだなどと反発し、折衷案が出されたものの検討すらせず、桜井の増税案とは逆に歳出を大幅に削減する内容の議決を行った[10]。桜井はこれを自身に対する不信任として辞意を表明、各方面からの慰留も聞き入れず、1922年(大正11年)5月27日に辞職した[5]。1945年(昭和20年)2月20日死去。

家族

栄典

位階
勲章等

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 神戸新聞社(編) 編『神戸市長14人の決断』神戸新聞総合出版センター、1994年。ISBN 978-4-343-00656-1 
  • 「桜井鉄太郎兵庫県神戸市長就任ノ件 (履歴書)」大正9年10月18日 国立公文書館所蔵 [請求番号] 本館-2A-019-00・任B00949100