李順喆

大韓民国の野球選手

李 順喆(イ・スンチョル、이순철1961年4月18日 - )は、韓国の元プロ野球選手内野手外野手)、野球指導者解説者である。息子の李城坤朝鮮語版ハンファ・イーグルス所属の外野手。

李 順喆 (イ・スンチョル)
Soon-Chul Lee
基本情報
国籍大韓民国の旗 大韓民国
出身地光州広域市
生年月日 (1961-04-18) 1961年4月18日(63歳)
身長
体重
173 cm
80 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション内野手外野手
プロ入り1985年 1次ドラフト
初出場1985年
最終出場1998年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

経歴

現役時代

延世大学校を卒業した後、ヘテ・タイガースに入団する。

1985年はルーキーながらレギュラーとして99試合に出場し、打率.304、112安打、12本50打点、67得点という記録を残すほど活躍し[1]三塁手として新人王を獲得した[2][3]

1986年に外野手に転向したものの[2]、この年から1987年と徐々に成績が低迷する。

しかし、1988年に打率.313を記録し、盗塁王を獲得する[4]。この年の8月27日、当時同じチームに所属していた金大鉉朝鮮語版の運転する車に乗っていた李は、京釜高速道路天安サムゴリサービスエリアにて貨物トラックとの[5]衝突事故に遭った[6]。金は事故により亡くなったものの、助手席で寝ていた李は一命を取り留めた[6]。この理由として、寝るために座席を後ろに倒していたのが要因だと考えられている[6]。この事故をきっかけに当時付き合っていた元乗馬選手のイ・ミギョン(이미경)と結婚した[6]

1989年1990年に打率と盗塁数が下がるが、1991年には盗塁王[4]ゴールデングラブ賞[7]を受賞し、1992年には、盗塁王[4]と最多安打[8]のタイトルを獲得した。

1993年1994年はタイトルは獲得できなかったが、レギュラーとして活躍した。

しかし1995年以降は成績が下降した。

1997年ハワイキャンプ中に起きたボイコット事件の主犯にされ、このシーズン後に放出された[9]

1998年サムスン・ライオンズに移籍し同年、引退。

通算盗塁数は韓国で歴代6位(2019年シーズン終了時)の記録を持つ。

現役引退後

引退後、サムスンのコーチを2年間務めた後、LGツインズのコーチを務めた。

LG監督時代

2003年末に監督を辞任した李廣煥朝鮮語版に代わり、2004年シーズンから3年契約で第7代LGツインズ監督を務めたものの、チームは2年連続で6位となった[10]。このため、2年目シーズンオフには契約途中での解任が話題に挙がったが、最終的に留任となった[10]。3年目となる2006年シーズンはオープン戦1位の好成績を残したものの、シーズンが始まると勢いが失速し、ロッテ・ジャイアンツと最下位争いをするようになった[10]。6月3日に蚕室野球場で行われた斗山ベアーズ戦では、審判に暴言を吐き、数回審判の胸を押すなどの行為により退場処分となったが、この際ベンチからバットを持ち出しグラウンドへ投擲した[11]。その2日後となる6月5日に成績低迷の責任を取るためシーズン途中にもかかわらず辞任を表明した[10]。この失速の原因として、後のインタビューで意思疎通の不足を挙げている[12]

その後

監督辞任後は文化放送のMBC ESPN解説委員に就任し、その過度に率直な解説スタイルは「非難解説(비난 해설)」として野球ファンの間で話題になった[13]

2008年にはネクセンヒーローズのベンチコーチに就任したが[12]、1年で辞任した。11月25日に、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の第2回大会にて韓国代表の打撃コーチを務めることが発表された[14]

2011年にKBOリーグ30周年を記念して行われた「レジェンドオールスターベスト10」にて、外野手部門で1位に選ばれた[15]。10月18日に起亜タイガースのヘッドコーチとして就任した[16]。しかし、2013年のチーム成績不振を理由にコーチを解任された[17]。また、3月15日に発足した韓国プロ野球引退選手協会の会長も務めた[18]

2014年3月に野球解説委員の職に復帰し[19]、その毒舌ぶりから「全部割り人形(모두까기 인형)[20]」と称されることもある[21]

2015年7月5日に、WBSCプレミア122015 WBSCプレミア12第1回大会におけるKBO技術委員会の委員に選出され[22]、9月3日に韓国代表の打撃コーチに選任された[23]

2017年には、WBCの2017年大会の打撃コーチも務めた他に[24]、4月25日には第3回スポーツマーケティング賞の特別賞に選ばれた[25]

詳細情報

年度別打撃成績









































O
P
S
1985ヘテ99369671121851250176315334486.304.365.477.842
198688319538214314401441962854511.257.325.451.776
198798265345712162989125245316.215.291.336.627
19881084068112726213521965875212377.313.404.483.887
1989101373589013112461412494665210.241.333.378.711
19901143816595200125115126105684916.249.356.396.752
199111543483120213175019856105514663.276.373.456.829
199212249210115222321762434476076314.309.389.494.883
1993102367479312311441442912465549.253.341.392.733
199485314421011928541481812331417.322.386.471.857
199596328366612273010313102794320.201.278.314.592
1996111351497713254110926144138112.219.304.311.615
19977721631466252871267251375.213.296.329.625
1998サムスン721602134912215138181404.213.291.319.610
通算成績13884775768125221730145612196437112254481687130.262.348.411.759

背番号

  • 14 (1985年 - 1997年)
  • 8 (1998年)
  • 84 (1999年)
  • 81 (2000年 - 2006年、2008年)
  • 78 (2012年 - 2013年)

個人タイトル

脚注

外部リンク