李炳圭

韓国の元プロ野球選手、指導者

李 炳圭(イ・ビョンギュ、: 이병규1974年10月25日 - )は、大韓民国全羅北道金堤市出身、ソウル特別市育ちの元プロ野球選手外野手)、野球指導者。

李 炳圭(イ・ビョンギュ)
Byung-Kyu Lee
サムスン・ライオンズ 一軍首席コーチ #99
基本情報
国籍大韓民国の旗 大韓民国
出身地全羅北道金堤市
生年月日 (1974-10-25) 1974年10月25日(49歳)
身長
体重
185 cm
82 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション外野手
プロ入り1996年 KBO1次ドラフト
初出場KBO / 1997年4月12日
NPB / 2007年3月30日
最終出場KBO / 2016年10月8日
NPB / 2009年9月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
国際大会
代表チーム大韓民国の旗大韓民国
五輪1996年2000年
WBC2006年
オリンピック
男子 野球
大韓民国の旗 大韓民国
2000野球
イ・ビョンギュ
各種表記
ハングル이병규
漢字李炳圭
発音:イビョンギュ
英語表記:Lee Byung-Kyu
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経歴

第一次LG時代

1997年から2006年まで10年間LGツインズでプレー。LGでは主将を任されていたこともあり、当時ではまだ選手用応援歌があまり作られていなかった中でも個人応援歌まであった。2006年WBC韓国代表に選出され、1番左翼手(1試合のみ9番)として起用された。

1999年には李鍾範に次いでKBO史上2人目のトリプルスリー(打率.349、30本塁打、31盗塁)を達成している。左打者の達成はKBOでは史上初だった。

広さでナゴヤドームと比べても遜色の無い蚕室総合運動場野球場をホーム球場とし、2003年に左ひざを負傷するまでは、走攻守三拍子揃ったいわゆる5ツールプレイヤーとして知られた。その後2005年に長打力を捨てたスタイルへ転換し首位打者を獲得した。

2006年オフにLGツインズからFA宣言を行い、2006年限りで退団したアレックス・オチョアの事実上の後継者として、アレックスを走・攻・守全てにおいて上回る存在として期待され同年12月10日に中日が契約を結んだと発表した[1]

中日時代

2007年、本人は中堅手志望で、打順は考えていないと発言[2]。開幕戦では「5番 中堅手」で起用された[3]。4月15日に来日初本塁打を放つ[4]。また開幕から9試合連続安打を記録した[5]7月18日の対ヤクルト戦では日韓通算1500安打を達成[6]。9月4日の対巨人戦で、高橋尚成から来日初となる満塁本塁打を放つ[7]。韓国では走攻守揃った選手という評価だったが、レギュラーシーズンでは打率.262の割に低い出塁率.295で、三振は100を越え、盗塁0、守備の方も補殺0に終わる。

クライマックスシリーズでは、阪神との第1ステージ第2戦に3点本塁打を放った[8]。巨人との第2ステージ第2戦においても西村健太朗から2点適時三塁打を放ち、次の打席では上原浩治からソロ本塁打を放つ[9]。続く日本シリーズ日本ハムとの第2戦に2点本塁打を放ち[10]、さらに第3戦では武田勝をKOに追い込む2点二塁打を放った[11][12]。また日本シリーズではチーム最高の5打点をマークし、日本一に貢献した[13]アジアシリーズSKワイバーンズとの決勝戦で、金廣鉉から2点本塁打を放ち[14]、チームはアジアシリーズ制覇した[15]12月に台湾で開催された北京オリンピックアジア地区予選に韓国代表として出場。初戦の台湾戦に6番・右翼手で先発出場した。

2008年開幕戦は「3番 右翼手」で起用される[16]。5月4日の対阪神戦で藤川球児から来日初のサヨナラ本塁打を放った[17]。5月17日対横浜戦で先制打と満塁本塁打を放った[18]。しかし右手親指の故障により6月10日に登録抹消された[19]。6月30日に一軍登録され[20]7月1日からの阪神との3連戦にスタメン出場するも12打数2安打4三振と結果を残すことが出来ず三連戦終了後に再び二軍降格となった[21]。更に北京オリンピック韓国代表からも外れてしまう。再登録となった8月12日に先制の3点本塁打、勝ち越しのソロ本塁打と2本の本塁打を放った[22]。10月2日の対横浜戦では8回に三浦大輔から同点2点本塁打、延長10回には寺原隼人から勝ち越しの3点本塁打を放ち、チームの5連勝に導いた[23]。本塁打と打点は前年度より上昇したものの、打率は低下、前年に匹敵する三振を喫し併殺打も増加、また四球も少なかった。結局打率・出塁率はそれぞれリーグワースト3位・2位という結果となった。

阪神とのクライマックスシリーズ第1ステージ第3戦の第1打席で岩田稔から死球を受け退場した[24]が、巨人との第2ステージ初戦ではセス・グライシンガーから先頭打者本塁打を放った[25]。しかしチームは敗退した[26]

2009年は来日早々「3割20本」の目標を掲げる[27]ものの、オープン戦で打率.146と打撃不振となり開幕を二軍で迎えることになった[28]。5月25日に一軍登録されるも、それ以降は一軍と二軍を行き来している。平田良介や野本の不調により出場機会を得たが、得点圏打率は1割台にまで割り込み、打率も2割1分8厘と結果を出す事が出来なかった。同年のファーム日本選手権に5番・指名打者として先発出場したのを最後にシーズン終了後、来季の契約を結ばないことを通告され[29]10月26日をもってウェイバー公示の手続きがとられ、11月2日付けで自由契約となった。

第二次LG時代

2010年1月8日、2年総額9億ウォン(約8900万円)の契約で、4年ぶりに古巣LGツインズに復帰することが決まり、背番号も9に決定。このシーズンは打率.290、9本塁打の成績でシーズンを終え、韓国通算1500安打も達成した。

2011年シーズンでは16本のホームランを放つ活躍を見せ、打率も.338と首位打者ランキングで3位となった。

2012年シーズンでは本塁打数こそ5本と昨季より減少したものの日韓通算2000本安打を達成し、打率.300フラットという堅調な成績を残した。

2013年7月5日、ネクセン戦で韓国プロ野球史上最年長(38歳8ヶ月)となるサイクルヒットを達成。同年7月10日、NCダイノス戦で韓国プロ野球新記録となる10打席連続安打を達成。同年はNCダイノスが一軍リーグに新規加入したため各チームの試合数が128に減少したこともあり、シーズン終盤の10月初旬に規定打席へ到達することに成功した。最終成績は打率.348で韓国プロ野球では8年ぶり2度目となる首位打者のタイトルを獲得し、ゴールデングラブ賞指名打者部門(韓国プロ野球ゴールデングラブ賞は守備を評価して表彰するものではない)を受賞した。

2014年5月6日、ハンファ戦で韓国プロ野球史上4人目となる韓国通算2000本安打を達成。

だが2014年以降出場機会が減り、2016年11月、現役引退を表明した。

引退後

2017年3月より韓国のスポーツ専門ケーブルテレビ局・スカイスポーツの野球解説者となった。現役引退時につけていたLGツインズの背番号9は永久欠番となった。

2017年7月9日、蚕室野球場にて引退セレモニー、永久欠番の表彰式が行われた。

2017年11月、古巣LGの二軍コーチとして復帰した。

2018年3月よりLGの一軍打撃コーチとなった。

2022年よりLGの二軍打撃コーチとなった。また2022-2023シーズンよりオーストラリアン・ベースボールリーグ(ABL)の韓国人中心のチーム、ジーロング・コリアの監督になった[30]

2023年よりサムソンライオンズの一軍首席コーチになった[31]

エピソード

在籍していたLGには2006年以降、同姓同名の「イ・ビョンギュ(李柄奎)」が在籍している。その影響で、スコアボードなどでは両者とも背番号を付した表記がされていた。

LGツインズ復帰後の2014年4月24日の試合では、前日に突如としてLGの監督を辞任した金杞泰の背番号91を書き込んだ打撃用ヘルメットで登場した。そのヘルメットには自身の家族のイニシャルや、直前に起こった国内でのフェリー事故に巻き込まれた人々へのメッセージ(희망(希望) 기적(奇跡))が刻まれていたこともあり、国内外で話題となった[32]

家族

子息の李承珉は2024年よりSSGランダース所属のプロ野球選手(外野手)となっている。2024年7月5日、父母が観戦していたフューチャースオールスター戦で、父のニックネーム「赤兎馬」にちなみ馬の仮装で打席に入った[33]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1997LG12655049582151318721969235134338506.305.368.442.810
1998124544499751393159207671163336134713.279.329.415.744
199913159955011719243830341993132434696511.349.394.6201.014
20001295955279917028118254991482952459115.323.383.482.865
200113360754210716730412241832484354646910.308.373.445.818
2002109444389541142501217543961250122576.293.375.450.825
2003441781542043925713013022141230.279.365.461.826
20041295624969516026214232648431501127214.323.397.468.865
2005119517466621572429212751061734196210.337.388.455.843
20061205154785114229171945532113154658.297.344.406.750
2007中日13250847843125231917746023323311088.262.295.370.665
2008105448418401061621617465125123019313.254.293.416.709
20092810710114223033480010500334.218.255.337.592
2010LG11745140449117141916065344636515311.290.345.396.741
2011127519485641642401623675215228124710.338.375.487.862
201211845542052126251516841570622125818.300.333.400.733
20139840137439130193517074220322224010.348.384.455.839
201462207195234960261251120802215.251.288.313.601
201554102963217013190001500184.219.255.323.578
201611101000000000000001.0001.0001.0002.000
KBO:17年17417247657199220433713816129729721476631535265266838151.311.365.452.818
NPB:3年265106399797253423283851191494513223425.254.290.386.676
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

KBO
  • 最多安打:4回 - 1999年(192本)、2000年(170本)、2001年(167本)、2005年(157本)
  • 最多得点:1回 - 2001年(107得点)
  • 首位打者:2回(2005年、2013年)

表彰

KBO

記録

NPB

背番号

  • 9 (1997年 - 2006年、2010年 - 2016年、2019年 - 2022年)
  • 7 (2007年 - 2009年)
  • 91 (2018年)
  • 79 (2023年)
  • 99 (2024年 - )

脚注

関連項目

外部リンク

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