すぎ かおり 杉 かおり | |
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本名 | 杉山 かおり |
生年月日 | (1964-12-22) 1964年12月22日(59歳) |
出生地 | ![]() |
出身地 | ![]() |
職業 | 女優・タレント |
事務所 | 石原プロモーション |
主な作品 | |
テレビドラマ 『胸キュン探偵団』 | |
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杉 かおり(すぎ かおり、1964年12月22日[1] - )は日本の元女優・タレント。本名、杉山 かおり[1]。
東京都[1]中野区生まれ[2]、福島県育ち[2]。福島県立須賀川女子高等学校卒業[1]。イベンター・オフィスに所属していた[1]。
父親の仕事の関係で福島県に転居し高校卒業まで過ごす[1]。元々はアナウンサー志望だったが、目立ちそうだからという理由で女優志望に進路を変える[3]。高校在学中よりイベンター・オフィスに所属し、高校の長期休暇の際には上京して演技の勉強をする傍ら、モデルとして活動する[1]。芸名の名付け親となったのは上原謙[4]。1983年、麒麟麦酒「ビヤ樽」のCM『オナゴでてこい編』に出演。このCMは細野晴臣・田中康夫・春風亭小朝の豪華3名が平安時代風のコスプレでコミカルに共演するという話題性の高いものであり、そこに紅一点の「おなご」として出演して「アッカンベー」のポーズを見せた杉も一躍注目を集めた[3][4]。
同年夏、坂上とし恵・中島唱子とともにテレビドラマ『胸キュン探偵団』の主演に抜擢[1]。バラエティ番組への出演やニュース番組の司会など当時のテレビでの活動ジャンルは幅広い。
また8月21日には、シングル『夢見るレイン・トリー』でVAPから歌手デビューも果たした。この表題曲は前年フランスでジェーン・サリーがリリースした曲のカバー。「おなご」CMの十二単姿をそのままあしらった野心的なジャケットで、本人も各種歌番組へも精力的に出演するなどプロモーションにさまざまな手が打たれていたが、セールスはさほど伸びなかった。翌年までにシングル3枚、アルバム1枚を出して歌手活動は休止し、そのまま復帰していない。
1984年正月の『新春かくし芸大会』では松本伊代・西脇美智子とアーティスティックスイミングを披露。この年の半ばまでは前年の「おなご」CMのインパクトが残っていたことから概ね快進撃を続けたが、やがてCMが忘れ去られる時期になるともともと容姿面がアイドル的でないこともあり、並み居る競合アイドルとの差別化に苦しむようになった。このため、活動の軸足は徐々に雑誌グラビアへと移るようになった。
グラビア活動はアイドルデビュー当初から継続していたが、初期にはあくまで清楚系ビキニのみのアイドル路線であった。しかし前述の路線転換期からは大胆な「ブラ外し」「手ブラ」のポーズを奮発、グラビア上ではパンティ一枚の姿が常態になった。もともと胸の大きさや腰のクビレ、尻の大きさ、足の長さなど体型が良く、以後はセクシー系グラビアの常連として生き残ることとなる。なお後期に出演したアダルト雑誌ではパンティ脱ぎやヘア透けなどかなり際どい露出にまで進んだものの、すべてバストトップを隠したセミヌードに抑えている。グラビア時代にはこのほかゴシップや盗撮、金銭トラブルなど様々な困難に直面しながらも家族の精神的支援と持ち前の気丈さとで踏ん張り、規模を縮小しながらもついに1980年代末まで活動を続けた。
# | 発売日 | A/B面 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 規格品番 |
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1 | 1983年 8月21日 | A面 | 夢見るレイン・トリー | 三浦徳子 | S.Memorise[5] | 馬飼野康二 | 10106-07 |
B面 | TOKYO すてきな昼下り | 松本一起 | 小林泉美 | ||||
2 | 1983年 12月21日 | A面 | 黄色いスタジャン | 康珍化 | 西木栄二 | 10119-07 | |
B面 | さよならのリーズン | ||||||
3 | 1984年 6月21日 | A面 | 醒まさないで | 宮原芽映 | 林哲司 | 川村栄二 | 10145-07 |
B面 | 翳り | 藤本桃子 | 馬飼野康二 |
典拠管理データベース: 芸術家 ![]() |
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