木下拓哉

日本のプロ野球選手

木下 拓哉(きのした たくや、1991年12月18日 - )は、高知県高知市出身[2]プロ野球選手捕手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。

木下 拓哉
中日ドラゴンズ #35
2022年5月27日 京セラドーム大阪
基本情報
国籍日本の旗 日本
出身地高知県高知市
生年月日 (1991-12-18) 1991年12月18日(32歳)
身長
体重
183 cm
95 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション捕手
プロ入り2015年 ドラフト3位
初出場2016年8月3日
年俸6800万円(2024年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

プロ入り前

私立高知高校では2年春から正捕手の座を掴み、2年の夏に第90回全国高等学校野球選手権記念大会、3年の夏に第91回全国高等学校野球選手権大会に出場した。2年の夏の甲子園は、キャッチャーになりたてで、大会までに仕上がるかの不安が大きく必死だったので、試合自体の印象は残っていない、と木下が語っている[3]。3年の夏の甲子園は、初戦が2試合連続で雨のためノーゲームとなった。2試合目には本塁打を打ったが、ノーゲームとなったため記録に残らなかった[4]。野球部の同期には公文克彦がいた。

法政大学に進学すると、3年秋に東京六大学リーグベストナインに選出された。大学では1学年先輩の三嶋一輝、1学年後輩の石田健大とバッテリーを組んだ。リーグ通算で47試合に出場し、121打数23安打、打率.190、2本塁打、14打点を記録した。

トヨタ自動車では1年目から正捕手となり、日本選手権優勝に貢献した[5]

2015年プロ野球ドラフト会議では、中日ドラゴンズから3位指名を受け[2]、12月4日に契約金6500万円、年俸1000万円で契約した[5]。背番号は35[6]

中日時代

2016年は、8月7日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)で初の先発出場を果たし、初本塁打を記録した[7]。しかし、一軍の捕手は杉山翔大桂依央利でほぼ固定されており、僅か9試合の出場にとどまった。

2017年は、6月17日の対埼玉西武ライオンズ戦(バンテリンドームナゴヤ)で先制犠飛、適時二塁打を放ち、初のお立ち台に上がった[8]。この年は前年より出場機会が増え、51試合に出場した。

2018年は、自身の故障に加え、松井雅人や、北海道日本ハムファイターズからFAで加入した大野奨太が起用されたため、16試合の出場にとどまった。

2019年は、開幕一軍スタートとなったが、シーズン中に左膝を故障し、離脱した。その間に正捕手には加藤匠馬が起用され、最終的に39試合の出場に終わった。

2020年は、前年に続き開幕一軍を掴んだ。開幕スタメンこそ加藤に譲ったものの、シーズン後半から出場機会を増やし、終盤にはレギュラーとして定着した。10月23日からの東京ヤクルトスワローズ三連戦(明治神宮野球場)では、2度お立ち台に立った[9]。最終成績は、88試合の出場で打率.267、6本塁打、32打点で、守備面では両リーグトップとなる盗塁阻止率.455を記録し[10]、3度の月間最優秀バッテリー賞および年間最優秀バッテリー賞を受賞するなど[11][10]、攻守において活躍した。

2021年は、開幕から正捕手を担い、自己最多の123試合に出場[12]規定打席には届かなかったものの、打率.270、チーム日本人最多の11本塁打、43打点を記録[12]。守備でも12球団トップのチーム防御率3.22を記録した投手陣を引っ張った[13]

2022年は、7月6日に同年のオールスターゲームのメンバーに、ファン投票で選出されたことが発表された[14]。この年はチームは6年ぶりの最下位で終わったものの自身初の規定打席到達を果たし、中日の捕手が規定打席に到達するのは2012年の谷繁元信以来10年ぶりとなった。また、この年のシーズンでは両リーグ通じて唯一の捕手の規定打席到達者だった[注 1]。11月27日には2000万円アップの6800万円で2023年シーズンの契約を更改した[15]

2023年も正捕手として開幕から出場を続け、交流戦期間中には7試合連続安打を記録するなど調子を上げていたが、6月14日の千葉ロッテマリーンズ戦(バンテリンドーム)で守りの際に右手甲にボールが直撃し、右大菱形骨骨折と診断され、翌15日に登録抹消となった[16]。8月中旬に一軍復帰し、最終的に89試合出場、打率.237、5本塁打、26打点の成績を残すも、いずれも前年の数値を下回る結果となった。オフの11月28日の契約更改では、球団が提示した複数年契約を断り、現状維持の単年6800万円(金額は推定)でサインした[17][18]

選手としての特徴・人物

遠投120mの強肩で、打力も強い[19]。また、フレーミング技術に定評がある。捕球から二塁到達までのタイムは1.83秒を記録している[20]

愛称は木村拓哉の「キムタク」をもじった「キノタク[21][22]。または「ゴリけん(お笑い芸人のゴリけんと顔が似ていることから)」[23]

明るい性格でムードメーカーであり、ヒーローインタビューではたびたびファンやチームメイトを湧かせている[24]

2021年4月27日の阪神タイガース戦(バンテリンドームナゴヤ)同点で迎えた7回裏一死一・二塁の場面で自身が決勝点となる左前適時打を放ってチームは勝利。試合後には右肩の故障で離脱していた同姓のチームメイト・木下雄介にエールを込める意味で、木下雄の顔がプリントされたTシャツを着用してお立ち台に上がった[25]。しかし、同年8月に木下雄が急逝。以降は自身のキャッチャーミットに、これからも彼と共に戦い続けるという思いで「雄介」と記している[26]。また、2022年から使用するミットには親指部分に自身のロゴマークとその背景に木下雄の背番号「98」を刺繍している[27]。木下姓の選手は自身1人になったが、同年オフの契約更改で「引退するまで変えるつもりはないです。簡単な言葉では言い表せないけど、雄介の分までという気持ちです」と語り、翌年以降もスコアボードの表記を従来通り「木下拓」で貫くことを示唆した[13]

ミットバット、キャッチャー防具など野球用具はミズノ製品を使用[28]2022年からはミズノとブランドアンバサダー契約を結んでいる[27]

2022年の時点で打撃の面では成績を残しているとは言えないが高木豊からは「バッティングには見込みがある」と太鼓判を押されている[29]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2016中日9191815201102000010061.278.316.556.871
201751947841550020400411011214.192.289.256.545
20181628254310172000031090.120.214.280.494
20193998885206023280011513222.227.289.364.652
202088269251196714161013200501221491.267.303.402.705
202112339335233951701114543113235415811.270.336.412.748
202212046641924103163614348201262731385.246.289.341.630
20238931527819661505962600513021554.237.313.345.658
通算:8年535168215091093747643255416531301112314825828.248.306.367.673
  • 2023年度シーズン終了時

年度別守備成績



捕手






















2016中日9394011.0000642.333
20174417819011.000018153.167
201814575011.0000853.375
2019351922010.995018135.278
2020875995827.9974553025.455
2021[注 2]12076277211.9976[注 3]2683929.426
2022[注 4]12084284510.9953755322.293
通算42926692671031.997924815989.359
  • 2022年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

記録

初記録
その他の記録

背番号

  • 35(2016年 - )

登場曲

代表歴

脚注

注釈

出典

参考文献

  • ベースボール・マガジン社 編『ベースボール・レコード・ブック』 2022日本プロ野球記録年鑑、ベースボール・マガジン社、2021年。ISBN 978-4-583-11429-3  52ページ参照。
  • ベースボール・マガジン社 編『ベースボール・レコード・ブック』 2023日本プロ野球記録年鑑、ベースボール・マガジン社、2022年。ISBN 978-4-583-11546-7  296ページ参照。

関連項目

外部リンク