文室助雄

文室 助雄(ふんや の すけお)は、平安時代初期の皇族貴族。初名は助雄王臣籍降下後の氏姓文室朝臣中納言直世王の次男。官位従五位上丹波守

 
文室助雄
時代平安時代初期
生誕大同2年(807年
死没天安2年3月14日858年4月30日
改名助雄王→文室助雄
別名字:王明
官位従五位上丹波守
主君仁明天皇文徳天皇
氏族文室朝臣
父母父:直世王
兄弟助雄笠科
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経歴

若くして大学で学び、経書と史書を概ね読破していた。対策に及第しないまま官途に就き[1]仁明朝初頭の承和元年(834年従五位下叙爵される。のち、文室朝臣姓を与えられ臣籍降下する。承和6年(839年玄蕃頭次いで刑部少輔に任ぜられるが、翌承和7年(840年遠江守として地方官に転じた。承和12年(845年斎宮頭として京官に復すと、承和14年(847年大蔵少輔次いで左少弁と仁明朝後半は京官を務めた。

嘉祥3年(850年文徳天皇即位に伴い、従五位上に叙せられ、仁寿3年(853年右中弁に昇進した。斉衡3年(856年)丹波守に任ぜられて地方官に転じるが、丹波守在任中の天安2年(858年)3月14日卒去享年52。最終官位は丹波守従五位上。

官歴

六国史』による。

脚注

参考文献