徳州 (山東省)

徳州(とくしゅう)は、中国にかつて存在した隋代から民国初年にかけて、現在の山東省徳州市一帯に設置された。

中国地名の変遷
建置隋代
使用状況1912年
前漢平原郡
平原郡
後漢平原郡
三国平原郡
西晋平原国
東晋十六国平原郡
南北朝平原郡
平原郡・安徳郡
徳州
平原郡
徳州
平原郡
徳州
五代徳州
北宋/平原郡
南宋/徳州(金)
徳州
徳州
徳州
中華民国徳県
現代徳県
徳州市

隋代

589年開皇9年)、により徳州が立てられた。州治は安徳県に置かれた。605年大業元年)、観州が廃止されると、その管轄県が徳州に移管された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、徳州は平原郡と改称され、下部に9県を管轄した[1]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。

隋代の行政区画変遷
区分開皇元年区分大業3年
冀州滄州平原郡
平原郡渤海郡楽陵郡安徳県 平原県 東光県
平昌県 長河県 将陵県
般県 弓高県 胡蘇県
安徳県 平原県東光県平昌県

唐代

621年武徳4年)、竇建徳を滅ぼすと、平原郡は徳州と改められた。742年天宝元年)、徳州は平原郡と改称された。758年乾元元年)、平原郡は徳州の称にもどされた。徳州は河北道に属し、安徳・平原・平昌・長河・将陵の5県を管轄した[2]

宋代

のとき、徳州は河北東路に属し、安徳・平原の2県を管轄した[3]

のとき、徳州は山東西路に属し、安徳・平原・徳平の3県と磁博・嚮化・盤河・徳安・水務・懐仁・孔家の7鎮を管轄した[4]

元代

初には徳州は東平路に属したが、後に中書省に直轄された。徳州は安徳・平原・徳平・斉河清平の5県を管轄した[5]

明代以降

のとき、徳州は済南府に属し、徳平・平原の2県を管轄した[6]

のとき、徳州は済南府に属し、属県を持たない散州となった[7]

1912年中華民国により徳州は廃止され、徳県と改められた。

脚注