平涼府
平涼府(へいりょうふ)は、中国にかつて存在した府。金代から民国初年にかけて、現在の甘粛省平涼市一帯に設置された。
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概要
金により渭州が平涼府に昇格した。1186年(大定26年)、平涼府は鳳翔路に属した。平涼府は平涼・潘原・崇信・華亭・化平の5県と西赤城・安化・安国・白巌河・耀武の5鎮と瓦亭寨を管轄した[1]。
元のとき、平涼府は陝西等処行中書省に属し、平涼・崇信・華亭の3県を管轄した[2]。
明のとき、平涼府は陝西省に属し、直属の平涼・崇信・華亭・鎮原・隆徳の5県と涇州に属する霊台県と静寧州に属する荘浪県と固原州、合わせて3州7県を管轄した[3]。