山﨑雅人

日本のサッカー選手
山崎雅人から転送)

山﨑 雅人(やまざき まさと、1981年12月4日 - )は、京都府京都市山科区出身のサッカー指導者、元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード

山﨑 雅人
名前
カタカナヤマザキ マサト
ラテン文字YAMAZAKI Masato
基本情報
国籍日本の旗 日本
生年月日 (1981-12-04) 1981年12月4日(42歳)
出身地京都府京都市山科区[1]
身長174cm[2]
体重68kg[2]
選手情報
ポジションFW
利き足右足
ユース
1997-1999京都府立久御山高校
2000-2003国士舘大学
クラブ1
クラブ出場(得点)
2004-2005横浜F・マリノス 15 (0)
2005大分トリニータ (loan) 10 (2)
2006-2007大分トリニータ 51 (1)
2008-2010ガンバ大阪 53 (6)
2010サンフレッチェ広島 (loan) 25 (3)
2011サンフレッチェ広島 8 (0)
2011モンテディオ山形 (loan) 14 (4)
2012-2015モンテディオ山形 119 (16)
2016-2018ツエーゲン金沢 70 (9)
2018ザスパクサツ群馬 (loan) 14 (1)
代表歴
2003日本 ユニバーシアード
監督歴
2024-大分トリニータU-18
獲得メダル
サッカー
ユニバーシアード
2003 大邱男子
1. 国内リーグ戦に限る。2018年12月5日現在。
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経歴

京都大宅SSSでサッカーをはじめる。大宅中学校卒業、このころの同級生に松井大輔がいる。久御山高校を卒業後、2000年に国士舘大学に進学。大学の同級生に相馬崇人村山祐介北一真冨士祐樹、鈴木弘大、原島喬らがいる。2003年、大学4年時にユニバーシアード代表に選ばれ、背番号10を背負いエースストライカーとして活躍[3]2005年夏季ユニバーシアードでは5得点をあげチーム得点王、日本の金メダル連覇に貢献する。

2004年、横浜F・マリノスに入団。久保竜彦安貞桓坂田大輔大島秀夫と層の厚いFW陣の中でなかなか出場機会に恵まれなかった[4]

2005年8月、出場機会を求めて大分トリニータ期限付き移籍[4]。同年、リーグ初得点を含む2ゴールを挙げる。2006年、大分に完全移籍。ほとんどが途中出場ながらもリーグ戦25試合に出場。翌2007年、出場時間も大幅に増え、シーズンの終盤戦にはスターティングメンバーに定着。

2008年、ガンバ大阪に完全移籍[4]。リーグ戦での出場機会は少ないながらも、AFCチャンピオンズリーグで5得点を挙げ、ACL優勝に貢献した。同年のFIFAクラブワールドカップでもマンチェスター・ユナイテッド[5]CFパチューカ戦で得点をあげている。尚、同大会における欧州王者から得点を決めた初の日本人選手となった。2009年の天皇杯制覇にも貢献した[6]

2010年、ACLに出場するサンフレッチェ広島に1年間の期限付き移籍[7]。怪我や体調不良、李忠成のブレイクにより試合出場は限られた[8]。広島からの要望により2011年からは完全移籍を果たした[8] ものの、同シーズンではすべて途中交代出場のみとなった[9]

2011年7月、得点力不足に陥りFWのテコ入れが急務となったモンテディオ山形へ期限付き移籍すると[9]、すぐ主力に定着し2度の決勝点を挙げるなど活躍した[10]。2012年、山形に完全移籍した[10]

2014年12月7日に行われたJ1昇格プレーオフ決勝のジェフユナイテッド千葉戦で決勝点を決め、チームのJ1昇格に貢献した。

2016年よりツエーゲン金沢へ完全移籍により加入した[2]

2018年8月2日、ツエーゲン金沢よりザスパクサツ群馬へ期限付き移籍で加入することが発表された。同年12月11日、現役引退が発表された[11]

2019年より大分のアカデミースタッフに就任[12]。2024年からは大分U-18の監督に就任した[13]

人物

ストライカーというよりはチャンスメーカータイプで、前線からの守備にも労を惜しまず、ピッチを広く走り回るアグレッシブで泥臭いスタイルが持ち味の選手[5][14]ペリクレス・シャムスカは「戦術に忠実な選手」として重用[14]西野朗は勝負強さを生かしスーパーサブとして起用した[5]。またFWだけではなくトップ下やサイドハーフとしてもプレー出来る[7]

AFCチャンピオンズリーグに出場した年度ほとんどで得点をあげており、特に2008年のACLで重要な場面でゴールを奪う活躍をしたことから、「ACL男」と呼ばれた[6]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点出場得点出場得点 出場得点
日本リーグ戦 リーグ杯天皇杯期間通算
2000国士大39JFL61--61
200129124--124
20021710-0010
20031020--20
2004横浜FM27J11306110201
20052000-20
大分30102-21123
20062504010300
20072616020341
2008G大阪3044052396
20092320052284
2010広島332533010293
2011308010-90
山形33144-20164
201230J2354-10364
2013358-30388
2014364-62426
2015J11303100161
2016金沢J2387-00387
2017282-20302
201840-1151
群馬50J3141--141
通算日本J11891627219523523
日本J217625-13318928
日本J3141--141
日本JFL215-00215
総通算4004727232845957

その他の公式戦

国際大会個人成績 FIFA
年度クラブ背番号出場得点出場得点
AFCACLクラブW杯
2004横浜FM2741-
200541-
2008G大阪3012532
200961-
2010広島3330-
通算AFC29832

その他の国際公式戦

出場歴

タイトル

クラブ

国士館大学
横浜F・マリノス
ガンバ大阪

代表

ユニバーシアード日本代表

代表歴

指導歴

脚注

関連項目

外部リンク