山咲千里

日本の女優、ファッションモデル

山咲 千里(やまざき せんり、1962年昭和37年〉4月24日 - )は、日本女優ファッションモデルエッセイストDJである。別名:senri(せんり)。本名:杵村 千里(きねむら ちさと、旧姓:山崎)。京都府京都市出身。

やまざき せんり
山咲 千里
プロフィール
別名義杵村 千里(本名)
山崎 千里(旧姓)
生年月日1962年4月24日
現年齢62歳
出身地日本の旗 日本京都府京都市
血液型A
公称サイズ(2008年時点)
身長 / 体重163 cm / 42 kg
BMI15.8
スリーサイズ83 - 57 - 83 cm
活動
デビュー1979年
ジャンル女優
他の活動DJ
モデル: テンプレート - カテゴリ

来歴・人物

東映で時代劇や特撮ものなどを数多く手がけた映画監督・山崎大助と、元女優・美山れい子夫妻のもと第一子として出生する。年の離れた弟がひとりいる。

小学校時代は重篤な疾病を抱え虚弱で通学不可能だったため、教師が自宅に来て勉強を教えてくれていた。中学在学中までに病を克服し、勉学などの都合もあって東京都へ転居する。1979年神奈川県立百合丘高等学校在学中、NHK朝の連続テレビ小説鮎のうた』ヒロインオーディションに合格し、女優としてデビュー。当初は清純派で、おとなしい女性の役が多かった。

転機が訪れたのは1990年代ボンデージファッションへの傾倒と清純派一辺倒からのマンネリ脱却を目指して上梓した写真集『ANOTHER SKIN』(1992年スコラ刊、撮影:リウ・ミセキ)で一躍セクシー路線へ転換。その後数冊セクシー路線の写真集を出版、演技の仕事でもセクシーな役柄を多くこなした。さらにタレントとして『マジカル頭脳パワー!!』(日本テレビ)などのクイズ番組で存在感を発揮したほか、1996年秋にはミニアルバム『envy』でエイベックスより音楽活動にも進出した。

ファッション・美容には並ならぬこだわりを持つ。特にボディコンへのこだわりは深く、1980年代半ばから知己の服飾デザイナーとボディコンを一貫したコンセプトとした婦人服ブランドをプロデュースしたり(現在は撤退)、ウエストを細くしたいと最下部の肋骨を左右一対抜いてしまったなどの逸話を持つ(この逸話に関しては、2020年4月2日放送の『アウト×デラックス』内で否定した)。このスノッブ・突飛とすらいえる拘りを臆面なく公言する山咲には当初は厳しい批評もあったが、2000年代に入ると、『22枚の女の切札』(2000年刊)以降の美容関連の出版物が多くの女性や山咲トオルなどに好意的に受け入れられるようになった。最近では日本女子をドール顔に導いた人物として益若つばさを尊敬すると発言し[1]、40代後半にして益若のようなギャルメイクにも挑戦した。

大のクラブサウンド愛好家である。10代の頃からクラブ通いをしていたといい、Dragon Ashの熱烈なファンであることも公言。また、自身もテイ・トウワの弟子と公言し「DJ AOBA」として様々なクラブイベントで活動しており、WIRELOOPA主催のパーティーなどクラブイベントにも多く参加している。

私生活では30代後半まで独身を通し、その間政財界の名士や子息、青年実業家、美容外科医らとの浮名も流した。Dragon Ashファン同士として知り合ったデザイナーの男性と事実婚状態にあることを公表、その後正式に結婚したが、48歳を迎えた12年後に離婚している[2]

2012年にモデル事務所・ジャパンモデルエージェンシーと専属契約を結び、関西を拠点にモデルとして活動する。その後、ジャパンモデルエージェンシーと山咲が代表を務めるサウザンド・ウェイとの間で専属契約に関する法的トラブルが起きたが、2016年9月8日に和解が成立するとともに両者間の専属契約が終了したため、ジャパンモデルエージェンシーと山咲は契約関係にはないことが発表された[3]

2019年3月、芸能事務所ワイエムエヌとの業務提携を開始した[4]。2023年9月、事務所から名前が消えプロフィールページも消失しているため業務提携は終了した模様。

出演作品

テレビドラマ

バラエティ番組

映画

CM

その他

出版物

CD

写真集

著書

単著

共著

コラボ商品

  • ワンランク上の大人のエイジレスウィッグ プリシラボーテ(プリシラ

脚注

注釈

出典

外部リンク

過去のサイト・ブログ