山口幸夫
山口 幸夫(やまぐち ゆきお、1937年 - )は、特定非営利活動法人原子力資料情報室の共同代表。
やまぐち ゆきお 山口 幸夫 | |
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生誕 | 1937年 新潟県十日町市 |
国籍 | ![]() |
職業 | 特定非営利活動法人原子力資料情報室共同代表 |
概要
新潟県十日町市出身[1]。1965年に東京大学数物系大学院博士課程(物性物理学専攻、工学博士)修了[2]。1968年に東京大学工学部(物理工学科)講師となる[3]。
ベトナム反戦運動をしていた「ただの市民が戦車を止める会」(神奈川県相模原市の「戦車闘争」(1972年)の時に結成)の会員らと有機農法の作物の共同購入をするなど、三里塚闘争への支援も行っている。成田空港問題シンポジウムを主催した隅谷調査団に河宮信郎を推挙したが、シンポジウム後は闘争の幕引きを図る動きに反発し、地球的課題の実験村と行動を共にした[4][5]。現在は一般社団法人三里塚大地共有運動の会代表理事を務める[6]。
ノースウェスタン大学研究員、東京大学工学部講師を経て、1998年より原子力資料情報室の共同代表となる[2][7]。