小野 (鹿児島市)

鹿児島県鹿児島市の町

小野(おの[3])は、鹿児島県鹿児島市町丁[4]。旧薩摩国鹿児島郡鹿児島近在小野村鹿児島郡伊敷村大字小野。小野一丁目から小野四丁目まで及び小野町があり、小野一丁目から小野四丁目まで(小野三丁目の一部を除く)において住居表示を実施している[5]郵便番号については#郵便番号節を参照。人口は5,583人、世帯数は2,540世帯(2020年4月1日時点)[6]

小野
町丁
地図北緯31度36分28秒 東経130度30分01秒 / 北緯31.60775度 東経130.500167度 / 31.60775; 130.500167 東経130度30分01秒 / 北緯31.60775度 東経130.500167度 / 31.60775; 130.500167
日本の旗 日本
都道府県鹿児島県の旗 鹿児島県
市町村 鹿児島市
地域伊敷地域[註 1]
中央地域[註 2]
地区武・田上地区[註 2]
人口情報2020年(令和2年)4月1日現在)
 人口5,583 人
 世帯数2,540 世帯
郵便番号890-0021 ウィキデータを編集
市外局番099
ナンバープレート鹿児島
町字ID[1]0019001(一丁目)
0019002(二丁目)
0019003(三丁目)
0019004(四丁目)
0020000(小野町)
運輸局住所コード[2]46500-0622(小野町)
46500-1408(小野)
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地理

鹿児島市の北部、田上川上流域及び甲突川中流域に位置している。町域の北方に伊敷町、伊敷、犬迫町、南方に武岡明和永吉、東方に下伊敷、伊敷、西方に西別府町が接している。

町域の中央部を鹿児島県道206号徳重横井鹿児島線が東西に通っており、西部には九州自動車道が南北に通っている。南部に鹿児島県立武岡台高等学校鹿児島県立武岡台特別支援学校が隣接して所在している。

角川日本地名大辞典」によれば、小野町は中ノ迫・中福良・北枝・小野・田中宇都・鶴村・高山・胡麻田・番屋下の地区に分かれている[7]

河川

行政区域

「鹿児島市役所支所設置条例」(昭和42年鹿児島市条例第8号)によれば、小野町(西之谷を除く)及び小野一丁目から小野四丁目までは鹿児島市役所伊敷支所の所管区域となっており[8]、鹿児島市が定めた「第五次総合計画 地域別計画」においては小野一丁目から小野四丁目まで及び西之谷を除く小野町は伊敷地域のうちとなっている[9]

一方、小野町のうち西之谷は鹿児島市役所本庁の管轄となっており、鹿児島市が定めた「第五次総合計画 地域別計画」においては中央地域武・田上地区のうちとされている[9]

郵便番号

小野・小野町の郵便番号は下記のとおりである。

  • 890-0021(小野一丁目から小野四丁目まで)[10]
  • 890-0022(小野町4784番地から5118番地までを除く小野町)[11]
  • 891-1222(小野町4784番地から5118番地まで)[12]

歴史

小野の成立

小野は室町時代より見える地名で、薩摩国鹿児島郡のうちであった[4]薩藩旧記雑録に収録されている上原氏文書の永享4年(1432年)の守秀坪付に「鹿児島小野之内 六反廿いわ下の門」とあるのが地名の初見であると考えられている[4][13]

近世の小野

江戸時代には薩摩国鹿児島郡鹿児島近在のうちであった[4]村高は「天保郷帳」では1,132石余[4]、「郡村高辻帳」では1,132石余[13]、「三州御治世要覧」では1,287石余[13]、「旧高旧領取調帳」では1,403石余であった[4]戦国時代までは郷士園田氏によって統治されていたが、近世になると薩摩藩の直轄地となった[14]。薩摩藩主の参勤交代時には小野の農民が荷役に出る習わしがあった[14]

村内から切り出された「小野石」は、甲突川五石橋仙巌園尚古集成館などの建材として利用され、鹿児島近在のうちでは最上のものであったとされる[4][13][15]。小野村には薩摩街道、郡山街道、永吉村往還が通っていた[4]

町村制施行以後

1889年(明治22年)4月1日町村制が施行されたのに伴い、鹿児島近在のうち上伊敷村、下伊敷村、小野村、犬迫村、小山田村、皆房村、比志島村の区域より鹿児島郡伊敷村が成立した。それに伴い、それまでの小野村は伊敷村の大字小野」となった[4]

1950年(昭和25年)10月1日には、伊敷村鹿児島郡東桜島村とともに鹿児島市に編入された[16][17]。これに伴い、同年10月18日に鹿児島県公報に掲載された鹿児島県の告示である「 鹿兒島市の一部大字の變更」により、伊敷村が鹿児島市に編入された10月1日に大字小野の区域を以て新たに鹿児島市の町「小野町」が設置された[4]

1979年(昭和54年)7月16日には小野町・田上町・常盤町・原良町・永吉町に造成された住宅団地である原良団地地区(原良団地、永吉団地、武岡ハイランド)において住居表示が実施されることとなり[18]、田上町及び小野町の各一部より武岡四丁目、小野町の一部より武岡五丁目、小野町・原良町の各一部より明和二丁目、小野町の一部より明和三丁目、小野町及び永吉町の各一部より明和五丁目が設置された[19][20][21]1984年(昭和59年)1月30日には小野町の一部が武岡五丁目に編入された[22]

1980年(昭和55年)には鹿児島県立武岡台養護学校(2023年に特別支援学校へ校名変更)が仮設校舎を置いていた真砂本町鹿児島市立鴨池小学校から小野町の現在地に校舎を新設移転し[23]1987年(昭和62年)には鹿児島県立武岡台高等学校が小野町に新設された[24]

1988年昭和63年)2月15日に小野町の一部において住居表示が実施されることとなり、それに伴い町域の再編が実施され「小野一丁目」及び「小野二丁目」が新たに設置された[25][26]1991年平成3年)11月5日には小野町の一部より「小野三丁目」及び「小野四丁目」が設置された[27]

1993年平成5年)3月1日に小野町の一部より武岡六丁目が設置され、小野町の一部が小野三丁目に編入された[28]2005年(平成17年)2月7日には小野町加志喜地区において住居表示が実施され、小野町の一部が田上八丁目に編入された[29]。また同年2月13日には、武岡台土地区画整理事業として整備された鹿児島市立武岡中学校の周辺の区域が小野町から武岡五丁目に編入された[29][30]

町域の変遷

変更後変更年変更前
武岡四丁目(新設)1979年(昭和54年)小野町(一部)
田上町(一部)
武岡五丁目(新設)小野町(一部)
明和二丁目(新設)小野町(一部)
原良町(一部)
明和三丁目(新設)小野町(一部)
明和五丁目(新設)小野町(一部)
永吉町(一部)
武岡五丁目(編入)1984年(昭和59年)小野町(一部)
小野一丁目(新設)1988年(昭和63年)小野町(一部)
小野二丁目(新設)
小野三丁目(新設)1991年(平成3年)小野町(一部)
小野四丁目(新設)
武岡六丁目(新設)1993年(平成5年)小野町(一部)
小野三丁目(編入)
田上八丁目(編入)2005年(平成17年)小野町(一部)
武岡五丁目(編入)

文化財

市指定

  • 南泉院歴代住職の墓(記念物(史跡))[31]

施設

鹿児島県立武岡台特別支援学校

公共

  • ハートピアかごしま
    • 身体障害者更生相談所[32]
    • 難病相談・支援センター[33]
    • 障害者自立交流センター[34]
    • 視聴覚障害者情報センター[35]
    • 鹿児島県精神保健福祉センター[36]
  • 小野市民館[37]
  • 小野公園

教育

寺社

  • 日枝神社
  • 幸加木神社
  • 西之谷八幡宮

郵便局

  • 小野簡易郵便局[41]

その他

人口

町丁別

世帯数・人口[42]
世帯数人口
小野一丁目452974
小野二丁目7761,786
小野三丁目6281,335
小野四丁目5901,338
小野町94150
2,5405,583

国勢調査

以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[43]
5,412
2000年(平成12年)[44]
5,476
2005年(平成17年)[45]
5,534
2010年(平成22年)[46]
5,366
2015年(平成27年)[47]
5,203

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[48]

町丁番・番地小学校中学校
小野一丁目全域鹿児島市立玉江小学校鹿児島市立伊敷中学校
小野二丁目全域
小野三丁目全域
小野四丁目全域
小野町番屋下鹿児島市立犬迫小学校鹿児島市立河頭中学校
西之谷鹿児島市立田上小学校鹿児島市立西陵中学校
武岡ニュータウンなど鹿児島市立武岡台小学校鹿児島市立武岡中学校
その他鹿児島市立玉江小学校鹿児島市立伊敷中学校

交通

道路

高速自動車国道
県道

脚注

出典

参考文献

関連項目