姜徳相

姜 徳相(カン・ドクサン、강덕상、1932年2月15日 - 2021年6月12日)は、日本統治時代の朝鮮出身の歴史学者。専門は朝鮮近現代史、特に朝鮮独立運動滋賀県立大学名誉教授[1]。国籍は韓国

略歴

主張

  • 朝鮮史に対する尊敬の認識を持つために、日本人第二次世界大戦日本米国に負けたのではなく、朝鮮の独立運動に負けたのだという認識を持つべきだと主張しており[5]「国はなくなっても〝朝鮮民族まだ死せず〟を全世界にアピールしたのが>、三・一運動だった。官憲に弾圧されても中国ロシアに逃れ、反日統一戦線を形作った。日本が第2次大戦に負けたのは原爆もあるが、すでにアジアの民族解放運動との力比べでつまずいていた。」と述べている。
  • 日韓併合は「独立運動を虐殺で押さえ込むなど、併合ではなく軍事的な占領だった」だと主張し[6]、日韓併合以降の朝鮮史を「1910年代は土地調査事業による土地よこせ、20年代は産米増殖計画による米よこせ、30年代は皇民化政策による人よこせ、40年代は徴用、徴兵による命よこせ、の4つに区分できる」としている[7]
  • 明治時代ジェノサイドの歴史だった。」と主張し、司馬遼太郎の歴史観を『坂の下はどしゃぶりだった』と非難している[8]
  • 戦前の在日朝鮮人が急激に増加した理由については「農耕民族であった朝鮮民族は、土地政策により土地を奪われ、労働力を売って生活をする最底辺の労働者となり、海を渡って、農民からプロレタリアートへ転化させられた」と主張している[7]
  • 関東大震災における朝鮮人虐殺は「日本の民衆が流言飛語に乗せられて朝鮮人を虐殺したというのは誤りで、軍隊と警察が率先して朝鮮人虐殺を実行し、朝鮮人暴動のデマを流して民衆を興奮させ、虐殺を煽動した。」と主張し、「国家権力を主犯に民衆を従犯にした民族的大犯罪、大虐殺となったのである」と結論づけている[9]。 
  • 北朝鮮による日本人拉致問題については「『』がミスを犯したことがきっかけになって、麻生江藤石原といった人たちに代表される様々な歴史的な妄言を繰り返す。これが10年前だったら麻生にしろ石原にしろ首が飛んでいただろう。」と憤慨している[10]

著書

単著

編著

  • 『現代史資料6 関東大震災と朝鮮人』みすず書房、1963年
  • 『現代史資料25~30 朝鮮』1~6、みすず書房、1966~1976年

共著

訳著

脚注