天寧駅
天寧駅(てんねいえき)は、かつて北海道釧路市貝塚町(現在の貝塚3丁目)[1] にあった日本国有鉄道(国鉄)根室本線(貨物支線)の貨物駅である。事務管理コードは▲110475[2]。国鉄の鉄道貨物輸送縮小計画によって1984年(昭和59年)に廃止された。
天寧駅 | |
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てんねい Tennei | |
◄東釧路 (1.5 km) | |
所在地 | 北海道釧路市貝塚町 (現:北海道釧路市貝塚3丁目)[1] 北緯42度59分48.8秒 東経144度24分25.0秒 / 北緯42.996889度 東経144.406944度 東経144度24分25.0秒 / 北緯42.996889度 東経144.406944度 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 根室本線貨物支線 |
キロ程 | 1.5 km(東釧路起点) |
駅構造 | 地上駅 |
開業年月日 | 1923年(大正12年)9月25日 |
廃止年月日 | 1984年(昭和59年)2月1日 |
備考 | 東釧路 - 天寧間の廃止に伴う廃駅 |
歴史
年表
- 1922年(大正11年)頃:釧路駅 - 上別保駅間から株式会社釧路木材倉庫の専用線敷設が計画される[3][4]。
- 1923年(大正12年)9月25日:鉄道省根室本線釧路駅 - 上別保駅(→別保駅)間から分岐する形で天寧駅開業[5]。扱い上は釧路駅 - 上別保駅間に設置されている扱いとなる[6][注 1]。
- 1925年(大正14年)3月16日:釧路駅 - 上別保駅間の釧路臨港鉄道接続点を別保信号場として開設し、運賃計算上の接続駅としたことに伴い[7]、運賃計算上当駅へは別保信号場で根室本線から分岐する形となった[注 2][7]。
- 時期不詳(大正15年頃):支線南側に大日本人造肥料釧路工場(後に日東化学工業が工場買収)設置。専用線敷設[8]。
- 1928年(昭和3年)11月11日:別保信号場が一般駅となり東釧路駅として開業、引き続き運賃計算上の分岐駅となる[9]。
- 時期不詳(昭和5年前後):支線を釧路川河畔の木材土場に沿って南へ延伸[10]。
- 1940年(昭和15年)1月15日:前日付で釧路駅 - 当駅間の貨物運輸営業を廃止し、同日より東釧路駅 - 当駅間の貨物運輸営業を開始。施設上も東釧路駅から分岐する支線となり、改キロ(当駅 - 東釧路駅:1.5 km)[11][12]。
- 時期不詳(昭和20年代中頃):支線北側から内陸側へ太平洋炭礦の付帯工場(火力発電所、練炭工場等)専用線が延伸[13]。
- 1960年(昭和35年)11月:北海製罐が釧路工場を支線北側に設置[14]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:支線廃止により、廃駅。
駅名の由来
付近の地名から。「てんねる」とも読まれることがある[15]。アイヌ語の「テイネイ(teine-i)」(湿れている・ところ=湿原)[5]、あるいは「テイネル(teine-ru)」(湿れている・道)[15]、のいずれかに由来する。
駅構造
駅跡
- 貝塚町(現在の貝塚3丁目)の駅構内を取り囲むように両側に隣接して昭和40年台に数棟のカマボコ型農協倉庫が建てられたが、現在もそのまま残されている。
- 南側の材木町へ延伸していた貨物支線周辺は、廃線前の昭和50年台から既に木材需要が無くなったために荒れ地となって放置されていたが、民間業者によってソーラー発電所が計画され、設置工事が始められている。
- 支線に沿って操業していた日東化学工業や北海製罐の工場は撤去されて跡形もない。
- 軌道は殆ど撤去されたが、東釧路駅から橋南幹線道路の陸橋まで、根室本線脇に僅かに残されている。
隣の駅
- 日本国有鉄道
- 根室本線 貨物支線
- 東釧路駅 - 天寧駅
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
- 1961年(昭和36年)撮影航空写真 - 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス(※貨物支線が最大延長になった頃の状況)。