時代 | 平安時代中期 |
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生誕 | 承平4年(934年) |
死没 | 永延元年11月6日(987年11月29日)) |
官位 | 正三位・参議 |
主君 | 村上天皇→冷泉天皇→円融天皇→花山天皇 |
氏族 | 大江氏 |
父母 | 父:大江維時、母:藤原遠忠娘 |
兄弟 | 重光、斉光、皎子 |
妻 | 桜嶋忠信娘 |
子 | 為基、寂照、成基、道基、尊基 |
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大江 斉光(おおえ の ただみつ/なりみつ)は、平安時代中期の公卿。中納言・大江維時の次男。官位は正三位・参議。
村上朝の天暦8年(954年)文章得業生に補せられると、天暦11年(957年)対策に及第し、式部丞を経て、天徳4年(960年)巡爵により従五位下・摂津権守に叙任される。
応和元年(961年)春宮・憲平親王の東宮学士となる一方で、応和4年(964年)権右少弁にも任ぜられる。康保3年(966年)従五位上・右少弁に昇進し、康保4年(967年)憲平親王が践祚(冷泉天皇)すると、今度は春宮・守平親王の学士を務めた。
安和2年(969年)正月に讃岐権介任ぜられて弁官を去るが、守平親王の践祚(円融天皇)に伴って同年9月に学士の労によって四階昇進して従四位上に叙せられる。その後、治部卿・治部卿・大学頭を歴任し、天延4年(976年)正四位下に昇叙される。のち散位となるが、貞元2年(977年)蔵人頭に抜擢されると、貞元3年(978年)右大弁、天元2年(979年)式部権大輔と次々に栄職を占め、天元4年(981年)参議兼式部大輔に任ぜられて公卿に列した。
天元5年(982年)従三位に叙せられる。この頃より毎年のように式部大輔の辞任を上表するが、なかなか許されたなかった。寛和2年(986年)正月に左大弁を兼ね、11月に正三位に至る。
一条朝初頭の永延元年(987年)7月に式部大輔、10月に左大弁を辞し、11月6日に薨去。享年54。