大江 定経(おおえ の さだつね、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族。木工頭・大江清通の子。官位は正四位下・美濃守。
長和5年(1016年)後一条天皇の践祚に伴い六位蔵人に補せられ、蔵人を務める傍らで左兵衛尉・式部丞を兼ねた。のち、巡爵により従五位下に叙せられ、三河守として受領となった。国司の任期後、右兵衛佐・内蔵権頭と京官を歴任するが、後一条朝末にかけて美作守も兼帯している。
後朱雀朝の長久元年(1040年)上東門院行幸賞により正四位下に至る。この加階は上東門院の意向によるものであったが、非常に具合の悪い取り扱いだとして、蔵人頭・藤原資房に批判されている(『春記』)。
のち、美濃守も務めた。
『尊卑分脈』による。