大寺山洞穴遺跡
千葉県館山市の総持院境内にある海蝕洞穴遺跡
大寺山洞穴遺跡(おおでらやまどうけついせき)は、千葉県館山市沼にある海蝕洞穴遺跡。館山市指定史跡に指定されている(指定名称は「大寺山巌窟墓及び出土品等」)。
大寺山洞穴遺跡 | |
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大寺山洞穴遺跡 | |
別名 | 大寺山洞窟遺跡 |
所在地 | 千葉県館山市沼字大和田東 |
位置 | 北緯34度58分32.0秒 東経139度51分07.9秒 / 北緯34.975556度 東経139.852194度 東経139度51分07.9秒 / 北緯34.975556度 東経139.852194度 |
形状 | 海食洞穴3基 |
規模 | 第1洞(開口部×高さ×奥行)5.5×4×30メートル 第2洞 5.2×1.7メートル(奥行き不明) 第3洞 6×3.6×9.3メートル |
埋葬施設 | 舟葬墓 |
出土品 | 舟形木棺、土師器・須恵器・短甲・冑・大刀・鉄鏃・耳環・管玉・勾玉 |
築造時期 | 古墳時代 |
史跡 | 館山市指定史跡「大寺山巌窟墓及び出土品等」 |
地図 |
総持院裏庭の、海抜約30メートル前後の海蝕洞穴3基から構成される[1]。
概要
洞穴のうち第1洞では12基以上の舟形木棺が発見されており、これらの舟形木棺は丸木舟を棺に用いた「船葬」という葬送形式が発見された初めての例である[2]。この洞穴墓から出土した甲冑や須恵器などの遺物から、この遺跡が墓として使用されたのは5世紀前半から7世紀後半であると考えられている[3]。
立地
大寺山洞穴遺跡は、千葉県館山市沼大字大和田東にある総持院の裏手の山にある[4]。この山は標高約30メートルで[5]、約6,000年前の縄文海進の際、波の浸食作用で形成された隆起によりこの高さに海食洞穴がある[1][6]。
発掘調査の概要
出土品
土師器、須恵器などの土器、甲冑、大刀などの鉄製品、三角板革綴短甲、三角板革綴衝角付冑などの武具、勾玉、管玉、銅製鈴、舟形木棺などが出土されている[11][13][14]。
大寺山洞穴遺跡で、木製の出土品が腐敗せずに残った理由として、洞窟内の安定した湿度、砂質土壌が考えられる[11]。
文化財
館山市指定文化財
- 史跡
- 大寺山巌窟墓及び出土品等 - 1972年(昭和47年)1月21日指定。
出典
参考文献
- 大寺山洞穴遺跡調査団/編 編『館山市大寺山洞穴遺跡発掘調査報告書』千葉県教育委員会、1997年3月。
- 館山市史編纂委員会/編著 編『館山市史』国書刊行会、1981年5月。
- 千葉県郷土史研究連絡協議会(編)「大寺山洞穴遺跡調査概要」『房総の郷土史』第25号、千葉県郷土史研究連絡協議会、1997年3月。
- 館山市教育委員会、館山市文化財保護協会/編 編『館山市の文化財』館山市教育委員会、2016年3月。
- 館山市教育委員会生涯学習課編/編 編『たてやまスタディ:知って得する館山ガイド』館山市教育委員会、2013年3月。
- 天野努・高梨友子/監修 編『図説安房の歴史』郷土出版社〈千葉県の歴史シリーズ〉、2009年12月。ISBN 978-4-86375-053-1。
- 館山市立博物館/編 編『館山湾の洞窟遺跡:棺になった舟。黄泉の国への憧憬』館山市立博物館、2010年2月。
- 『Graphルックたてやま』第13号、館山市役所、1997年7月。
関連項目
外部リンク
- 大寺山洞穴遺跡 - 館山市ホームページ