国民政府委員会 (汪兆銘政権)

中華民国(汪兆銘政権)の政府機関

国民政府委員会(こくみんせいふいいんかい、: 國民政府委員會)は、中華民国汪兆銘政権)の政務を担当する機関である。「中華民国国民政府組織法」の規定によると国民政府委員会は国民政府主席(国民政府委員会主席)と国民政府委員で構成され、その人員は中央政治委員会中国語版が決定した[1]

中華民国の旗 中華民国行政機関
国民政府委員会
國民政府委員會
役職
国民政府主席汪兆銘(1940年 - 1944年)
陳公博(1944年 - 1945年)
概要
所在地中華民国の旗 中華民国 南京特別市
設置根拠法令中華民国国民政府組織法
設置1940年3月30日
廃止1945年8月16日
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主席

1940年(民国29年)3月30日汪兆銘率いる南京国民政府が樹立され、重慶側の主席であった林森を名目上の主席に据え、汪兆銘自身は代理主席として政務を担当した。11月28日、中央政治委員会の会議で「中華民国国民政府組織法」が改正され、「主席は実際の政治責任を負わない」「主席は他の官職を兼任できない」という条文を削除した上で汪兆銘を主席に選出した。

汪兆銘は1944年(民国33年)3月3日に病気治療のため日本に渡航したが、渡航前に陳公博に後事を託していたこともあって、同年3月22日の中央政治委員会臨時会議では汪の意向を踏まえ、汪が不在の間、陳公博が職務を代行することになった。そして11月10日に汪兆銘が死去すると陳公博は11月20日に代理主席に就任し、1945年(民国34年)8月16日に南京国民政府が崩壊するまで依然として代理主席の地位にあり続けた[2]

姓名肖像在任期間備考
-林森 1940年3月30日 - 1940年11月28日名目上の主席であり、汪兆銘が代理主席として実際の政務を行った。
1汪兆銘 1940年11月28日 - 1944年11月10日1944年11月10日に死亡。
代理陳公博 1944年11月20日 - 1945年8月16日1945年8月16日に南京国民政府が解散。

委員

以下が国民政府委員の一覧である[3][4]

指名就任時期
王克敏1940年
張永福中国語版1940年
愛新覚羅溥侗1940年
張英華1940年
董康1940年
褚民誼1940年12月12日
陳中孚1941年5月1日
趙正平1941年8月16日
楊寿楣1941年8月16日
張国元中国語版1941年9月11日
倪道烺1942年
廖恩涛1942年
オンクパト1943年
王揖唐1943年
陳済成1943年
岑徳広1943年
周作人1943年
徐良1943年
陳群1943年6月17日
趙毓松1943年8月26日
李泰棻1944年2月3日
王道元1944年
江亢虎1944年11月2日
羅君強1944年12月27日
喻熙杰中国語版1945年1月18日
陳継祖1945年1月18日
克興額中国語版1945年2月1日
高冠吾1945年3月3日
陳春圃1945年5月3日
项致庄1945年5月3日
項致荘1945年5月3日

脚注

注釈

出典

関連項目