古宇田晶

日本の内務・警察官僚

古宇田 晶(こうだ あきら、1882年明治15年)4月16日[1] - 1939年昭和14年)11月13日[2])は、日本の内務警察官僚政友会系官選宮崎県知事

経歴

東京府出身。古宇田義鼎の四男として生まれた[3]第三高等学校を卒業。1908年東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。農商務省に入省し山林局に配属。1909年11月、文官高等試験行政科試験に合格した[3][4]

その後、内務省に転じ宮城県事務官となる。以後、新潟県理事官兵庫県理事官、岩手県警察部長、宮崎県警察部長、静岡県警察部長、愛知県警察部長、北海道庁土木部長などを歴任[3]

1927年5月、田中義一内閣により宮崎県知事に任じられた。普通選挙による初の県議選において、選挙違反に問われ大迫元繁宮崎市長と共に逮捕された。そのため、1928年1月10日に依願免本官となり退官した[3][4][5]

選挙違反事件

古宇田は知事在職中1927年9月、普通選挙最初の県会議員選挙において、政友会本部から渡された1万3000円の金を使って、反対党候補の弾圧などを行った。この選挙で児湯郡、西臼杵郡において、立候補者を断念させたり、また、政友会に入党させるために資金を使い、現職知事の選挙違反事件として、起訴された。宮崎市長大迫元繁も巻き込んだ事件であった[6]

親族

父親の古宇田義鼎は茨城県出身の判事[7]。長兄に古宇田実、次兄に実業家の古宇田巌(東京帝大法科卒業後朝鮮商業銀行重役などを経て佐賀炭鉱代表、甲子不動産専務など)[7][8]。妻のスエは海軍中将玉利親賢(1853-1916)の四女[7][9]。長女・越乃は内田常雄の妻[10]

脚注

参考文献

  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。
  • 『宮崎県大百科事典』宮崎日日新聞社、1983年。