受肉

キリスト教の教義の一つ

受肉(じゅにく、古代ギリシャ語: Ενσάρκωση, Ensarkōsē[1], ラテン語: Incarnatio, 英語: Incarnation, ドイツ語: Fleischwerdung, Menschwerdung, ロシア語: Воплощение)とは、三位一体のうち子なる神(神の言)が、ナザレのイエスという歴史的人間性を取ったことを指す、キリスト教における教理[2]

訳語

正教会では藉身(せきしん)と訳される[3][4]。これは「身を藉りる(かりる)」と読み下すことができ、キリストが身をとったことをより能動的に表している。「籍身」の用字は誤り[5]

カトリック教会ではかつて託身[6]および托身[7](いずれの読みも「たくしん」)という訳語も用いられたが、2010年現在ではほとんど使われず、「受肉」が一般的となっている[8]

概念

公会議

アレクサンドロスアタナシオス、および他のニカイア公会議に出席した教父たちによる〈父と子は同質で、永遠に共存した〉という教えが、最終的に正統の教義と定義された。

東方正教会とビザンティウムのカトリック教徒

受肉の意義はキリスト教の歴史にわたって広く議論されて、無数の賛美歌祈りの主題となった。

西方古代シリア教会

西方古代シリア教会すなわち古代シリア正教、マランカラ正教、シリアマランカラ・カトリック教徒、古代シリアカトリック、およびマロン派カトリック教徒は主として、聖ジェイムス(60年ごろ)の聖餐クルボノを祝う。その中でアンティオキアの大司教聖セウェルス(465年ごろ-538年)に伝統的に仮託されている詩的な賛美歌「マネート」[9]をささげる。

私は、神にして王たる汝を賞揚する、
神聖な父の、
ただ一人の子にして言葉
生来不滅なりて、救済のために
そして、すべての人類の命のために
汝は優美に降り来たりて、受肉された
聖なる、
輝かしく、純粋な乙女
聖母マリアの中に
そして、どのような変化もなしに人になり、
私達のために磔にされた。
ああキリスト、私達の神、
死を踏みにじり、私達の死を屠殺するもの、
聖三位一体のうちの1柱、
父と聖霊とともに、
拝まれて、尊敬され、
慈悲を私達すべてに抱いている。[10]

ユルゲン・モルトマン

体系的神学での受肉と償いの間のつながりは複雑である。

脚注

関連項目

外部リンク

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